「森乱丸(蘭丸)」信長に寵愛された聡明な近習
- 2019/12/24
では、気難しい信長に気に入られ、近衆として重用された蘭丸とは一体どのような人物だったのでしょうか?「なるほど!」と思わず感心させられる蘭丸のエピソードとともにご紹介いたします。
蘭丸は初期の織田軍を代表する武将の子息
蘭丸の父・森可成(もりよしなり)は信長が若い時期から織田家に仕え、初期の織田軍を代表する武将10人に数えられるほど活躍していました。可成は信長の天下統一の道半ばで討ち死にしてしまいますが、跡を継いで森家の後継者となった森長可(もりながよし)はわずか13歳、蘭丸自身も数え年で6歳という幼さ。信長も幼い子を遺して死んだ家臣を哀れと思ったのか、残された森家の兄弟たちに目をかけ、手厚い処遇を与えます。
蘭丸の兄・長可には父の所領を安堵し、東美濃の国衆の統率権も保証しました。そして蘭丸も弟たちと共に、天正5年(1577)より信長の小姓として召し抱えられることになりました。
華やかな「蘭丸」という名の人物は存在しなかった?!
ところで、世間で一般的に知られている「森蘭丸」という名前についてですが、蘭の花の華やかなイメージともあいまって、一目で魅了されてしまうような美少年の姿が想像されてしまいますよね。でも、「蘭丸」というのはあくまでも通称です。蘭丸自身の発給文書や当時の公家の日記などに残された彼の本当の名前は、「乱」といいました。元服してからは成俊(なりとし)という諱を用いたため、正確な名乗りは「森乱成俊」となります。「蘭」と「乱」では名前から受けるイメージがずいぶんと違ってくるのではないでしょうか。
とにもかくにも、この「乱」が初めて信頼できる資料に登場するのは天正7年(1579)の『信長公記』。ここから18歳で没するまで3年の間、蘭丸は信長に異例の抜擢をされて活躍していきます。
相手を圧倒する立ち居振る舞い
信長は天正7年(1579)4月16日、まだ自分に仕え始めたばかりの蘭丸に大役を与えました。摂津の塩河長満のもとへ、感謝の報酬を与える使者として蘭丸を使わせたのです。この時の使いは蘭丸一人ではなく、馬廻の中西権兵衛も同行していたのですが、あくまでも正式な使者は蘭丸であり、権兵衛は副使でありました。『森家先代実録』によると、先方の塩川はこのときの蘭丸の容貌や立ち居振る舞いの見事さに深く感じ入ったといいます。
15歳にして相手を圧倒させるだけの資質を備えていた蘭丸。信長は早くから蘭丸の才を見抜き、自分のそばに置きたいと思うようになったのでしょう。
蘭丸にしか務まらない?!近衆としての仕事
当時の一般的な小姓の仕事は、信長の食事の世話や身支度の手伝い、外出の供や夜の相手など多岐にわたりました。しかし、信長の小姓は身の回りの雑務がこなせるだけでは及第点には及ばなかったと思われます。気配りができ、信長の意向を瞬時にくみ取ることもでき、しかも武勇に優れていなければなりません。単に容姿が美しいというだけでは小姓のお役目は到底務まらなかったでしょう。しかし蘭丸は、こうした難題を軽々とクリアしただけではなく、さらに近衆として信長の期待に応える働きをしていたのです。
蘭丸の近衆としての主な仕事には、次の3つがありました。
信長の使者としての仕事
蘭丸は信長の使者として忙しく働いていたようです。信長の3人の息子・信忠、信雄、信孝に贈品である脇差を届けたり、敵の首を持参した武将や、信長が好んだ幸若舞の太夫に褒美を与えたり。ほかにも信長に降った者に地行の安堵を伝えたり、各地の武将に金を届けたりと、信長の手足のようにこまごまと使者を務めていました。奏者としての仕事
奏者というのは、簡単に言うと信長への取次ぎをする役のことです。『兼見卿記』によると天正8年(1580)8月13日、吉田兼和が菓子をもって信長を訪ね、蘭丸に披露を頼んでいます。さらに兼和は甲州軍にあった信長に勝軍治要のお祓いのため蘭丸に書状を書いて、披露を頼んでいます。信長に用のある人は、まずは蘭丸を通す必要があったというわけです。信長の朱印状などに書状を添付する仕事
蘭丸は信長の発注した朱印状などに文書を添える仕事をしていました。特に多かったのは河内の金剛寺にあてたものでした。金剛寺では信長にものを贈る時は蘭丸を通すのが通例となっていたようです。信長がいかに蘭丸を信頼していたかがわかります。こんな部下が欲しい?!蘭丸の聡明さがわかるエピソード
蘭丸は数多い信長の小姓たちの中でも、信長からの寵愛はナンバーワンでした。現在に伝わっている蘭丸と信長の日常的なエピソードの多くは後世の創作と思われますが、中には蘭丸の実像にかなり近いものもある気がします。打てば響くような頭の良さと、どこまでも忠心を注ぐ蘭丸は、信長でなくても身近に置いておきたい!と思わせるほど。ちょっぴりあざとさも感じさせるところが蘭丸らしいと言えなくもないですよね?!ここではそんな蘭丸のエピソードをいくつかご紹介いたします。
閉まっていた障子を閉めてくる?
あるとき信長が「障子を開けたままにしてきた。閉めてこい」と言うので蘭丸が行ってみると障子は閉まっていました。蘭丸は閉まった障子を一旦開けて、ピシリと音を立てて閉め直してから戻って来ます。
「どうだ、障子は開いていたか」と問う信長。蘭丸は「閉まっておりました。しかし、主君が開けたまま、と仰せられたのを大勢の者が聞いているのですから、そのままでは主君の思い違いだったことになってしまいます。それで、障子を開けてまた閉めました」と答えたといいます。
わざと転んで言葉通りに
ある僧侶が献上した大量のミカンを披露するため、蘭丸がミカンを台に載せて運んでいると、信長が「その方の力では危ない。倒れるぞ」と注意しました。蘭丸は信長の言葉通り、部屋の真ん中で台ごとひっくり返って転倒してしまいました。
その翌日、他の小姓に転んだことを同情されてしまった蘭丸は「主君が倒れるといったのだから、その判断が正しかったことを示すためにわざと転んだのだ」と答えたのだと言います。
爪ひとかけらも見逃さない
信長が爪を切って、蘭丸にその切った爪を捨ててくるように言いつけると「一つ足りません」と答えました。信長が袖を振って見せると、果たしてその足りない爪のひとかけらがでてきました。
蘭丸は信長の爪に呪いがけかられることのないようにと、わざわざ堀まで爪を捨てに行くほどの慎重さ。ここまで大切にされていれば、主君も悪い気はしませんよね?
数あてクイズ
信長の刀の鞘に刻まれた模様の数を当てたものに刀をやろうと、小姓たちに数当てをさせていた時のこと。ワイワイとはしゃぐ小姓たちの中、蘭丸だけがその輪に参加せずに見ていたので信長が理由を尋ねると、「以前主君が用を足すときに刀を預かりました。その間に数を数えたので、私はもう知っています」と答えました。信長はその正直さを誉め、刀は蘭丸に与えました。
以心伝心?
あるとき信長が蘭丸に「欲しいものを書いてみなさい。私もお前が欲しいものを書いて当ててみよう」と、お互いに書いたものを見せ合いました。蘭丸が書いてみせたのは自分の父親の旧領であった「近江坂本六万石」。はたして信長が書いたものも同じく「近江坂本六万石」でありました。
お互いの考えていることが手に取るように分かる、ツーカーの中であったと考えると微笑ましいですね。実はこの坂本城、当時は明智光秀の居城でした。これが後に本能寺の変の伏線になったという話も…。
本能寺の変で信長とともに戦死
小姓の身分ながら5万石の大名に
天正9年(1581)、信長は近江500石の知行を蘭丸に与えます。さらにその翌年(1582)、武田氏を滅ぼした信長は武田氏の旧領を家臣に分け与えました。この時、蘭丸には美濃岩村5万石が与えられました。蘭丸はこれによって小姓の身分のまま独立大名に大出世しました。しかし、同年の6月2日、まだ夜も明けぬ午前4時過ぎのこと。明智光秀の軍が信長の滞在している本能寺を包囲しました。当時の本能寺は寺でありながら四方を堀で囲み、その内側には土居を構築、出入り口には木戸まで立ててあり、まるで城構えのような構造でした。
明智軍がこれらを乗り越えて、四方から攻め込んできたとき、本能寺の殿舎にいた信長は下々の者たちが喧嘩騒ぎをしているくらいにしか思っていませんでした。しかし、鬨の声があがり、殿舎にも鉄砲が撃ち込まれたところで、初めてこれが謀反であると気が付いたのです。
本能寺での最期
「これは謀反か。いかなるものの企てぞ」と問う信長に、蘭丸はさっと駆け寄り「明智の者と見受けます」と答えます。信長は「是非に及ばず」と、自ら弓をとって応戦。弓弦が切れると槍をとって敵に討ちかかりましたが、最期は御殿へ退いて腹を掻き切りました。
蘭丸も信長の側近くで奮戦しましたが、明智三羽烏の一人に数えられた安田作兵衛という武将に打ち取られたと伝わっています。享年18歳でした。
おわりに
容姿端麗かつ、利発。主君である信長の寵愛を一身に受け、信長の近習としてなくてはならない存在にまで上り詰めた蘭丸。信長が本能寺の変で倒れなければ、蘭丸は信長の右腕として、天下統一を強力にサポートする人材へと育っていったことでしょう。人々は若くして信長に殉じた才気あふれる少年の死を悼み、蘭丸の逸話や伝説を語り継いできました。その多くがフィクションかもしれませんが、今私たちが知りえる蘭丸伝説は、彼の実像に遠からず迫っているのではないでしょうか。
【主な参考文献】
- 『新・歴史群像シリーズ⑨ 本能寺の変』(学習研究社、2007年)
- 中道武『戦国武将ものしり辞典』(主婦と生活社、2000年)
- 谷口克広『信長の親衛隊 戦国覇者の多彩な人材』(中公新書、1998年)
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