「伊達晴宗」父と争い、新しい領国統治を行った革命家

 奥州の戦国大名としては絶対的な人気を誇っているのが独眼竜政宗こと「伊達政宗」です。一方でその祖父である伊達晴宗は、歴代の伊達氏当主の中でも評判が良くありません。今回は、父と争い、また子とも争った晴宗の生涯についてお伝えしていきます。

伊達稙宗の嫡男として誕生

母は蘆名氏

 伊達晴宗は、伊達氏十四代当主である伊達稙宗の嫡男として、永正16年(1517)に誕生しました。母親は正室の泰心院で、会津国の蘆名盛高の娘です。

 さらに晴宗の姉は盛高の孫である蘆名盛氏の正室となっており、陸奥国の伊達氏と会津国の蘆名氏が強い絆で結ばれていたことを示しています。

 稙宗は側室が六人もいたと伝わっており、そのため晴宗の兄弟姉妹が多くいました。ただし、兄弟は大崎氏や葛西氏などに入嗣しており、家督争いは起こってはいません。

 天文2年(1533)には、室町幕府将軍である足利義晴の一字を拝領し、晴宗を名乗りました。家督を継いだのは天文の乱の前と後という説があります。前であれば、天文10年(1541)のことになりますし、和睦した後であれば天文17年(1548)です。伊達氏十五代当主となりました。

伊達稙宗の婚姻策。黒線は婚姻関係、青破線は養子縁組
伊達稙宗の婚姻策。黒線は婚姻関係、青破線は養子縁組

稙宗とは真逆の性格だったのか?

 天文の乱によって晴宗は実の父親である稙宗と争うことになりますが、性格や価値観が晴宗と稙宗では真逆だったのではないかと考えられる点がいくつかあります。

 そのひとつが側室の人数です。

 稙宗が側室を多く持ち、二十人以上の子どもがいたのに対し、晴宗には側室がいた記録が残されていません。この時代には珍しく正室一筋だったわけです。

 晴宗の正室は久保姫(岩城重隆の娘)で、奥州一の美女だったと伝わっています。

 岩城氏は白河氏と結び伊達氏に対抗し、天文3年(1534)には戦っていますが、蘆名氏や二階堂氏、石川氏と連合を組んだ稙宗に敗れました。そこで重隆の娘が稙宗の嫡男である晴宗に嫁ぐことが決まったようです。

 一説には久保姫が他家に嫁入りする際に晴宗が強奪したという話もあります。結婚した時期は天文の乱が起こる天文11年(1542)以前だと考えられています。


 久保姫との間には十一人の子どもをもうけており、かなり仲が良かったようです。

 長男の伊達鶴千代丸(後の岩城親隆)は、事前の約束通りに重隆の養子となり岩城氏の家督を継いでいますが、他の子は一族と結婚した者が多く、縁戚関係によって外部の勢力取り込みを繰り返していた稙宗とその点も大きく異なります。

 晴宗は内側の結束を強化することを優先したようです。この価値観の違いが父子で争う天文の乱を起こす要因のひとつだったのかもしれません。


対外活動はほとんど行っていない

天文の乱終結後

 天文の乱が終結した後、天文22年(1553)には家中統制のための知行の安堵状を一斉に発給しています。

 『晴宗公采地下賜録』によると、このときの晴宗に仕える武士は四百を超えていました。「一家」と呼ばれる最上位の上士は「殿」をつけて記録されており、桑折氏、小梁川氏、田手氏、大枝氏、村田氏、瀬上氏、白石氏らが一家であり、その下が一族、さらに外様という順になります。

 白石大和守宗利はこのとき一族から一家に上がっており、同じく遠藤修理亮宗忠も外様から一族に格上げされました。

※政宗時代の伊達家臣団の家格
※参考:政宗時代の伊達家臣団の家格

 晴宗は稙宗に味方した家臣の領土を没収し、自分に味方した家臣に給付しています。またさらに所領の惣成敗、守護不入、棟役段銭諸公事の免除などを認めました。

 ちなみに和睦に反対した懸田俊宗・義宗父子は同年7月に攻め滅ぼされています。対外政策を進めるよりも内側を固めることに専念していたためか、晴宗の具体的な活動を示す史料はあまりありません。

譜代家臣の台頭

 天文の乱で晴宗を支えた中野宗時、牧野久仲父子は、晴宗政権の中核をなし、発言力を強めていきました。

 また、天文の乱で敵対した相馬氏とは領土争いがその後も続くこととなり、伊達氏の勢力自体は稙宗の頃よりも衰退しています。

 ちなみに天文の乱の発端となった晴宗の弟、伊達実元ですが、当初の稙宗側から晴宗側に乗り換えたため(降伏したという説もあります)安堵され、信夫郡大森城主として重用されました。実元の器量は父親である稙宗も認めており、晴宗も伊達氏の大黒柱としてかなり期待していたようで、二女(鏡清院)を嫁がせています。

 おそらく台頭してきた譜代家臣に対抗するための策だったのではないでしょうか。実際に実元は独眼竜政宗が当主になった時期にも伊達氏を支え、活躍したのです。

当主となった伊達輝宗との確執

伊達氏はついに奥州探題職に就く

 天文の乱が終結し、伊達氏家臣団の統制を改めた晴宗は、天文24年(1555)左京大夫の官位と正式な奥州探題職に補任されました。

 稙宗の代では室町幕府も大崎氏に遠慮していましたが、大崎氏の権威も衰え、奥州をまとめるには伊達氏しかいないと幕府も認めたということでしょう。こうして伊達氏は悲願の奥州探題職の座を手に入れました。晴宗としても意気揚々としていたはずです。

 『伊達正統世次考』に残されている陸奥守大館晴光奉納書によると、晴宗が奥州探題職に補任された際に、重臣である桑折播磨守貞長と牧野弾正忠久仲が奥州守護代に補任されたと記されています。どちらも晴宗のクーデターの際の立役者です。

 この後、特に久仲の実父である中野宗時は、伊達氏家臣団の中でもリーダー的存在として権勢を振るい、伊達氏の政に強い発言権を持ちました。これが伊達氏の次なる内乱の火種となったのです。

家督を伊達輝宗に譲る

 晴宗は永禄7年(1564)または同8年(1565)に、二男である伊達輝宗に家督を譲り、道祐と名乗り、信夫郡の杉目城へと移りました。晴宗は46歳でした。

 伊達氏では早くに家督を子に譲り、隠居した身で家中を統制し続けるというケースが多くみられます。晴宗と輝宗の関係も同様でした。輝宗は伊達氏十六代目当主にはなったものの、伊達氏の政は依然として晴宗と宗時が牛耳っていたのです。

 輝宗としてはこの立場には納得していなかったようです。それが垣間見られるのが、永禄9年(1566)の伊達氏と蘆名氏と和睦交渉です。蘆名氏は前年に二階堂氏と対立し、その領土に侵攻しています。

 二階堂盛義は晴宗の長女(阿南姫)が嫁いだ相手であり、晴宗の息子ですから、晴宗は当然加勢します。しかし伊達氏は撃退され、盛義は降伏。

 ここで伊達氏と蘆名氏は和睦を結ぶのですが、条件は蘆名盛氏の嫡男である蘆名盛興に晴宗の娘(彦姫)を嫁がせるというものでした。これに晴宗は反対しますが、輝宗は彦姫を自分の養女とし、盛興に嫁がせます。

 この際に蘆名氏が晴宗と距離を置くことが明文化されていますので、輝宗としては晴宗に対抗するつもりであったことがはっきりわかります。もしかすると祖父の稙宗を幽閉し、家督を継いだ父の晴宗自体を認めていなかったのかもしれません。

 実際に輝宗は稙宗の外交方針を踏襲しており、弟ふたりを宮城郡の留守氏と石川郡の石川氏へ入嗣させていますし、妹を常陸国の佐竹氏の正室とし、縁戚関係によって伊達氏の勢力を拡大する路線を進んでいます。

 このような方針の違いで晴宗・輝宗父子の関係がさらに悪化していきました。

元亀の乱で実権を失う

 晴宗はこのような自らの意に沿わないことを続ける輝宗をどうしようとしていたのでしょうか。もしかすると当主の座から引きずり落とそうと画策していたのかもしれません。

 実際のところ晴宗がどこまで係わっていたのかは不明ですが、元亀元年(1570)、中野宗時・牧野久仲父子が謀反を起こしたとして輝宗勢に攻められ、国外に追放されます。一説には輝宗が領国統治権を掌握するためにクーデターを起こしたのではないかとも考えられています。

 自らを最も支えてくれていたこのふたりを失ったことで、晴宗は完全に実権を失ってしまいました。それ以降はもはや復帰を諦めたのか杉目城に籠もって静かな余生を送ったようです。輝宗との関係も改善されたと伝わっています。

 そして天正5年(1578)に59歳で死去しています。

おわりに

 父へのクーデターで実権を奪った晴宗は、子のクーデターによって実権を失ったのです。

 二度の内乱によって伊達氏衰退を招いた晴宗は後世では暗君とされています。中野宗時らはそれをそそのかした姦臣という扱いです。

 独眼竜政宗は幼い頃、祖父である晴宗の杉目城で開かれる宴会に参加し、和歌を披露していたと伝わっていますが、政宗にはこの晴宗がどのように映っていたのか、興味のあるところです。

 もしかすると反面教師として見ていたのかもしれません。


【主な参考文献】
  • 高橋富雄『陸奥伊達一族』(吉川弘文館、2018年)
  • 遠藤ゆりこ(編)『伊達氏と戦国争乱』(吉川弘文館、2015年)
  • 高橋富雄『伊達政宗のすべて』(新人物往来社、1984年)

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  この記事を書いた人
ろひもと理穂 さん
歴史IFも含めて、歴史全般が大好き。 当サイトでもあらゆるテーマの記事を執筆。 「もしこれが起きなかったら」 「もしこういった采配をしていたら」「もしこの人が長生きしていたら」といつも想像し、 基本的に誰かに執着することなく、その人物の長所と短所を客観的に紹介したいと考えている。 Amazon ...

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