信玄には多くの兄弟姉妹がいるが、まずは以下に系図と一覧で示したのでざっくりみてほしい。
兄弟を年齢順(推定)に並べると以下のようになる。
次に姉妹も同様に以下にあげてみる。
これら兄弟姉妹のうち、同母の兄弟としてはっきりしているのは姉の定恵院、弟の信繁と信繁の3人だけのようだ。さて、それでは次に信玄の兄弟姉妹たちの事跡をそれぞれみていこう。
7歳で早世した。
7歳で早世した。
武田二十四将の1人で副大将の位置づけ。惜しくも第4次川中島の戦い(1561年)に討死した。
武田二十四将の1人。武田滅亡後に織田軍による武田残党狩りで捕らえられて殺害された。
母は松尾信賢の娘。信賢の養子となって家督を継いで松尾信是と名乗った。
松尾信是の同母弟。恵林寺に入寺した。
甲斐河窪村を領したことで河窪信実と称した。長篠の戦い(1575年)で徳川軍に討ち取られた。
武田二十四将の1人。鎌倉時代に断絶していた一条忠頼を祖とする一条氏の名跡を継承し、一条信龍と称した。武田滅亡となった甲州征伐(1582年)で討ち取られた。
最初、信虎の亡命先の駿河で今川義元・氏真に仕え、桶狭間(1560年)での義元死後は兄・信玄に通じて駿河侵攻の際に武田方として呼応している。最期は甲州征伐(1582年)で捕縛されて処刑された。
信虎の長女で信玄の同母姉にあたる。18歳のときに政略結婚で今川義元の正室となり、今川家当主・今川氏真を産んでいる。
信虎の次女であり、穴山信友の正室となって天文10年(1541年)には長男の信君(穴山梅雪)を産んでいる。その穴山梅雪はのちに信玄の次女を娶っている。
信虎の三女であり、信玄の異母妹である。信濃の諏訪頼重に嫁がれたが、天文12年(1543年)に16歳という若さで亡くなった。
信虎の五女といい、信玄の養女となって信玄の母方の実家の大井氏に嫁いだ。
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