【麒麟がくる】第6回「三好長慶襲撃計画」レビューと解説

第6回は、三好長慶初登場です。大変渋くて声のいい山路和弘さんが演じていますが、このころ長慶は26歳の青年です。そうはいっても父の死後に幼くして当主になり、もう16年。当主として、そして晴元の家臣として着々と勢力を拡大しており……。

今回物語の中心となる長慶暗殺の騒動は、長慶の力を脅威に感じた主君・晴元が起こしたものでした。

三好長慶と連歌

戦国時代の武士にとっては、教養も大事でした。「麒麟がくる」でも織田信秀が都でなめられないよう蹴鞠を練習する姿が描かれましたよね。当時の武家社会では、茶の湯、和歌、蹴鞠、そして連歌などの文化が好まれました。

長慶は中でも連歌を好みました。今回登場する中で、連歌といえば細川藤孝(幽斎)ですが、彼ものちに長慶の連歌を評価しています。

「修理大夫(長慶のこと)連歌は、いかにも案じてしたる連歌なりしなり」(『日本歌学大系』所収の『耳底記』より)

つまり、長慶の連歌はよく推敲され考えられた句であると。

また、連歌会での振る舞いついても、松永貞徳(江戸時代の連歌師で、里村紹巴や細川幽斎に師事)が幽斎に聞いた話として、「まるでしかばねのようで、ほとんど身動きせず、夏の暑い時は静かに扇をとって音がしないようにあおぎ、元の置いてあった場所に、畳の目一分もたがわずに戻すのだ」。

幽斎もまさにそのように振る舞っていた、だから自分もそれに倣いたいのだ、と『戴恩記』に記しています。長慶は、連歌や和歌の大家が「見倣いたい」と尊敬するほどの教養ある文化人であったことがわかります。

今回、万里小路家での連歌会シーンはわずかでしたが、長慶は真剣に取り組んでいましたね。詠んだのは以下の四人。

  • いとはやも天のとわたる雁首(かりがね)や(公家)
  • かなたこなたになき渡る声(万里小路)
  • きく人の遠つ松山波越えて(宗養)
  • 月に孤影の愁いとむろう(長慶)

第三句を詠んだ宗養(そうよう)は有名な連歌師で、里村紹巴(さとむらじょうは)と並び称されたといいます。公家の三条西家、また武家では尼子晴久などと親交があり、連歌に熱心だった長慶とも付き合いがあった人物です。

能「敦盛」をなぜここで?

連歌会のシーンの前、暗殺計画を小耳にはさんだ光秀は三淵藤英の屋敷を訪れました。このとき屋敷では、将軍・義輝を招いて能が披露されていました。こちらも連歌同様に短いシーンでしたが、あえてこの演目を?となかなか見過ごせない憎い演出……。気づいた方も多いと思いますが、演目は「敦盛」でした。『平家物語』にも描かれている、平敦盛と熊谷直実の後日譚です。

『平家物語』では、自分の子とほとんど変わらない年頃(16歳)の美少年・敦盛を討つことにためらいながらも、覚悟を決めた敦盛に促されて討つという場面が描かれました。

能の「敦盛」はその後のお話。出家した直実が、敦盛を弔うために須磨へ赴いたとき、敦盛が霊となって現れ……というエピソード。この演目、実は織田信長が好んだ演目で、『信長公記』にも桶狭間の戦いの直前に信長が「敦盛」をうたい舞った、と書かれています。

そう、
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生をえて、滅せぬもののあるべきか」(『信長公記』より)
というアレです。

本能寺の変の時、炎に包まれながら舞ったといわれる演目です。大河ドラマでは「利家とまつ」が印象的でしたね。

「麒麟がくる」では、信長本人の登場は焦らしに焦らし、そうかといえば序盤で「本能寺」や「敦盛」といった本能寺の変キーワードを小出しにしてくるという。本当に細部まで見逃せません。

意味を知らずにうたう今様が切ない

「敦盛」ときて、次は今様(いまよう)です。このへん「平清盛」かな?と思ってしまいますね(笑)

駒が歌う今様とは、言葉としては「現代風の」という意味があります。ここでは、平安時代にはじまった七五調の歌「今様歌」のことをさします。

「平清盛」では、後白河法皇が好んだものとしてよく登場しました。もともとは白拍子や遊女が歌ったもので、それがやがて宮中でも広がったとされています。駒は、東庵に引き取られる前に育ててもらっていた旅の一座の親方に教わった、と言っていました。のちに登場する伊呂波太夫の親でしょうか。話を聞くと、5つ、6つのころに覚えたもののようで、たぶん意味は知らないのでしょう。

「よしなのわれらがひとりねや
かばかりさやけき冬のよに
衣は薄くて夜はさむし」

「よしなのわれら」というのは「由無し」つまり「ゆかりのない私たち」。それが相手もおらず独り寝をしている。これほど澄みきった冬の夜に、衣は薄くて夜は寒い。

まさに駒と光秀の状況を詠んだかのような歌なのですが、駒がこの意味を知らずに歌っているのだと思うとなんだか切ないですね。

「ここで寝よ」と隣に呼ぶ十兵衛の行動は、朴念仁なので当然恋心からではなく、知らずしらず恋の歌ともとれる今様を歌う駒の感情は行き場がありません。

今回は、能、連歌、今様といった「文化」が、言葉による説明ではなく描写によって、いろんな情報や感情を見せてくれるのが面白い回でした。

帰蝶と信長の縁組

次回、やっと信長が登場するようです。大柿城での攻防のあと、道三と信秀は今川の勢いを警戒して、和睦することになります。

その和睦の証しとなるのが、帰蝶の輿入れです。予告を見た感じでは嫁に行きたくなさそうな帰蝶。この婚姻は「そういうことがあった」という記録があるだけで、当時者の感情なんて残っていませんから、自由に描けるところですね。

駒だけでなく帰蝶からも矢印を向けられる光秀、さてどうする?


【参考文献】
  • 『国史大辞典』(吉川弘文館)
  • 今谷明・天野忠幸 監修『三好長慶 室町幕府に代わる中央政権を目指した織田信長の先駆者』(宮帯出版社、2013年)
  • 長江正一 著 日本歴史学会 編集『三好長慶』(吉川弘文館、1968年 ※新装版1999年)
  • 奥野高広・岩沢愿彦・校注『信長公記』(角川書店、1969年)

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  この記事を書いた人
東滋実 さん
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター。 卒業後は日本文化や歴史の専門知識を生かし、 当サイトでの寄稿記事のほか、歴史に関する書籍の執筆などにも携わっている。 当サイトでは出身地のアドバンテージを活かし、主に毛利元就など中国エリアで活躍していた戦国武将たちを ...

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