室町幕府の財務省、プラス一部の訴訟も担当?「政所」についてほかとの違いを解説!

 規模の大小を問わず、ある組織を運営するためにはいくつかの機関が必要なことは周知の通りです。現代に生きる私たちになじみ深い政府の構造を見てもわかるように、さまざまな職掌に特化した専門の省庁や部署が設けられています。武家による政府であった室町幕府でももちろん同様で、政権運営のためにいくつかの機関が設置されました。

 なかでも政府の根幹をなす重要なもののひとつが財務・経理です。経済基盤を正しく管理し、それに伴う事務処理を行うことは組織運営とイコールといっても過言ではありません。

 今回は、そんな室町幕府における「財務省」とも例えられる、「政所(まんどころ)」について解説してみたいと思います。

政所とその歴史

 「政所」という言葉の歴史自体は古く、平安時代では親王あるいは三位以上の高位の公卿にのみ設置が許された家政機関を指していました。

 夫人がそれを統括し、その住居は邸宅北側に設置される場合が多かったことから、摂政または関白夫人を「北政所(きたのまんどころ)」と呼ぶ慣習ができました。

 鎌倉幕府においては書類管理や訴訟などを取り扱う「公文所(くもんじょ)」を前身として、通常政務と財務管掌を任務とする「政所」が設置されます。開設時期と経緯には諸説ありますが、本来は公家に関わる機関だったものの名称を正式に武家政権に取り入れたことの意義が指摘されています。

 室町幕府における政所も、基本的には前政権の構造を踏襲したものですが、ここでは財務と土地関係を中心とした一部の訴訟などを管掌分野としました。15世紀後半に成立した室町幕府の訴訟制度解説書である『武政軌範』によると、政所の職務が次のように規定されています。

  • 将軍家および幕府の経済基盤の管轄
  • 諸国料所年貢の管轄
  • 土蔵、酒屋、その他諸商売公役等の管轄
  • 利銭、出挙、替銭、替米、年経地、本物返、質券地、諸貢物、諸預物、諸借物、諸放券、沽却田畠、勾引人の管轄

 これらのうち、財務・経理を除くものは鎌倉時代でいう「雑務沙汰」という訴訟関連のカテゴリーであり、政所はいわば一部分において裁判機関としての機能も持っていたことがわかります。

 室町幕府の政所はその長官を「執事」、次官を「執事代」、執事代の代理官を「政所代」とし、政所職員である役人は「寄人(よりうど)」と呼ばれています。

政所の実務担当におけるトップが執事代であり、その下およそ15~20人ほどで構成される寄人が実務そのものを担当。さらにその下には雑用を務める「公人(くにん)」が置かれていました。

 室町幕府成立から40年ほどの間、政所の長官には二階堂氏が多く就任し、ほかには長井氏、粟飯原氏、佐々木氏などが名を連ねています。

 二階堂氏は前政権の鎌倉幕府における政所の会計方で上級職員である「執事」職を世襲しており、その伝統を引き継いだものと考えられています。

 室町幕府では 北朝:康暦元 / 南朝:天授5年(1379)、斯波義将が将軍補佐官である管領に就任し、政所執事に伊勢貞継を任命。以降、15世紀なかばと 16世紀なかばの一時期2例を除き、伊勢氏の世襲となりました。

政所執事「伊勢氏」

 政所長官である執事を世襲した伊勢氏とは、どのような氏族だったのでしょうか。以下にその概要を記しましょう。

 伊勢氏は桓武平氏の流れを汲む氏族で、平惟衡の子孫と伝わっています。鎌倉時代末期に足利尊氏に従った俊継が伊勢守に任じられ、以降は「伊勢」を氏族名として名乗りました。

 伊勢氏として初めて政所執事に任命されたのが「伊勢貞継」で伊勢氏嫡流が世襲していきますが、支流の人材も将軍右筆・御番衆・申次衆などを務め隆盛します。

 文正元年(1466)、伊勢貞親が斯波家と将軍家の家督争いに関与して、6代将軍 足利義教の子・義視の誅殺への讒言で失脚、しかし8代将軍 足利義政の召喚により復帰。武家故実「伊勢流」の祖となりました。以降も伊勢氏は命脈を保ち、江戸時代には儀礼や行事の専門家である有職家として名を馳せます。

 ちなみに、後北条氏の初代とされる北条早雲は伊勢氏の庶流・備中伊勢氏出身の「伊勢新九郎盛時」であるとされ、戦国期の歴史に大きな影響を与えた人材を輩出しています。

おわりに

 武家政権の発足当初には軍事力や指揮能力の有無が重要なファクターになったであろうことが想像されますが、安定した政権運営のためには事務能力に秀でた人材と専門部署が不可欠となります。

 政所はまさしくその中枢機関のひとつであり、財務官僚や司法官としての能力が必要とされました。室町時代前期の裁判記録はほぼ残されていないといいますが、土地や金銭に関わる訴訟は大きな問題となっていたことがうかがえます。

 土蔵・酒屋といった金融業や特殊な徴税に深く関連する業種を統括したことからも、当時の経済網との複雑な折衝業務も重要な任務だったのでしょう。貴族の家政機関に端を発する政所ですが、室町幕府においても要となるポジションだったことがわかります。



【参考文献】
  • 『図説 室町幕府』 丸山裕之 2018 戎光祥出版
  • 「南北朝期室町幕府仁政方の研究」『史林 89(4)』 亀田俊和 2006 史学研究会(京都大学文学部内)
  • 「室町幕府足利義教「御前沙汰」の研究」『歴史民俗資料学叢書1』 鈴木江津子 2006 神奈川大学21世紀COEプログラム「人類文化研究のための非文字資料の体系化」研究推進会議
  • 『日本史諸家系図人名辞典』 監修:小和田哲男 2003 講談社

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  この記事を書いた人
帯刀コロク さん
古代史・戦国史・幕末史を得意とし、武道・武術の経験から刀剣解説や幕末の剣術についての考察記事を中心に執筆。 全国の史跡を訪ねることも多いため、歴史を題材にした旅行記事も書く。 「帯刀古禄」名義で歴史小説、「三條すずしろ」名義でWEB小説をそれぞれ執筆。 活動記録や記事を公開した「すずしろブログ」を ...

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