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日本にも「奴隷」は存在した!戦国期を中心とした人身売買の歴史について

  • 総合・暮らし
 2020/07/28
奴隷のイメージ

人類史には幾多の闇の部分がありますが、「奴隷」の存在はそのうちのひとつではないでしょうか。 アメリカにおける奴隷解放宣言が1862年のことであり、近代史における出来事のためごく最近といってもよいでしょう。

現代日本に生きる私たちにとっては信じがたいような倫理観ですが、このような問題は現在も世界のどこかで根強く繰り広げられています。日本史上では「奴隷」という言葉はあまり聞かないように感じられますが、現実の問題としてはそういった身分・境遇の人たちが存在していました。

本コラムでは、主に戦国期の人身売買の例を取り上げ、それらが歴史にどのように影響したかということの一端を考えてみたいと思います。

なお、奴隷に対する個別の待遇や、そのことに関する善悪そのものを追及するものではないことをあらかじめご了承ください。
(文=帯刀コロク)

日本にもあった「奴隷」と人身売買

日本の歴史のなかで奴隷と思われる存在の最古の例は、『魏志倭人伝』に登場する「生口(せいこう)」です。 これは『後漢書』や「広開土王碑」にも見られる語句で、本来は捕虜を意味していたようですが奴隷と同義と考えられています。

日本では古く「奴婢(ぬひ)」という奴隷身分があり、「奴(やっこ)」は男性の奴隷を、「婢(はしため)」は女性の奴隷を表す言葉でした。

飛鳥時代には「寺奴婢」という語句も見え、寺院が奴隷身分の人を抱えていたことがわかります。人身売買の例を示す記述は『日本書紀』が初見とされ、天武朝の7世紀終わりごろ、凶作を理由に農民の子どもを売買することの許可申請があったと記されています。

奴婢の制度そのものは律令制の崩壊とともに瓦解し、平安時代の半ばには法令で禁止されたという説があります。 しかし制度としては撤廃されたとしても、現実的には奴隷相当の境遇となった人はあとを絶たなかったと考えられています。

人身売買の記事は中世以降増えていき、説教節の『さんせう太夫』や能楽の『隅田川』など、その当事者や被害者が登場する作品も残されています。

人身売買が行われる動機としてはさまざまなものがありますが、そのうち飢饉による困窮は重大なものでした。いわゆる口減らしで、寛喜2(1230)年から翌年にかけての「寛喜の飢饉」の際は幕府が主導して特例的な人身売買を容認する施策を行いました。

妻子はもとより自分自身を売る者があとを絶たず、富裕層のもとで生活を保障させるという苦渋の選択であったともいわれています。

飢饉からの経済回復後には人身売買を再び禁止する方針であったため、幕府としてはその行為そのものを推奨していたわけではないことが理解されます。

戦国期の奴隷市場

戦国時代に突入し、各地で戦乱の火種が拡大すると戦災の形のひとつとして人身売買が行われるようになります。

戦地となった地域の民間人を襲ったり、そこの食糧や家財、はては人間そのものを略奪の対象としたりする「乱取り(乱妨取り)」が横行しました。子ども・老人・男性は労働力などに、女性は労働および性的搾取の対象として奴隷相当の扱いを受けたとされています。

この乱取りは、下級兵にとっての経済活動とされた側面もあり、指揮官はこれを容認・黙認する傾向のあったことも指摘されています。いわば戦利品としての奴隷でもあり、戦闘直後には人身売買の市場が立ったことが記録されています。

意外に思われるかもしれませんが、武田信玄や上杉謙信といった有名武将もこれを容認したことがあり、侵攻した土地で捕らえた人々を売買したことや、その金額までもが伝わっています。

そういった人身売買の被害者は身元がわかれば引受人が買い戻すこともできましたが、その際は価格を高騰させたため救出された人は限られていたと考えられます。

また、乱取りで奴隷の数が大人数になった際は価格が暴落し、「二束三文」と表現されるように安価で取引されたといいます。 戦国期の人身売買の実態は散見される文書類からもうかがえますが、海外から布教に来ていた宣教師たちもその様子を記録しています。

『日本史』などの著作で有名なルイス・フロイスも同様で、16世紀の九州島で覇権を争った薩摩の島津氏と豊後の大友氏の戦闘について書き残しています。

豊後の軍を制圧した薩摩軍は当地の人々を略奪し、特に女性・少年・少女がその対象となって残虐な行為を受けたと記しています。 肥後に人身売買の商人がおり、九州西北部の島原半島を拠点として海外の商人にも売り渡されたといいます。

逆に大友氏も同様の行為をしていたことがわかっており、当時は全国でそういった人身売買が繰り返されていたという事実があるようです。

まとめ:海外へと「輸出」された日本人奴隷

先述の通り、奴隷相当の境遇となった人々の中には海外へと「輸出」される者も多くあったのです。

逆に海外から奴隷として略奪されてきた人々もおり、巨大なマーケットができていたことがわかります。 そこには宣教師たちの活動も関係しており、後の禁教令やキリスト教弾圧の引き金のひとつになったとも考えられています。

このようなテーマは歴史学にとって、今後の大きな研究課題となってくるのではないでしょうか。


【参考文献】
  • 「鎌倉北条氏列伝(二)北条泰時」『東洋文化研究所所報 19号』長又高夫 2015 身延山大学東洋文化研究所
  • 「明代における澳門の日本人奴隷について」『東アジア文化交渉研究 第6号』 孔穎 2013
  • 「宣教師の見た日本―キリシタン時代の資料をもとにして―」『佛教文化学会紀要 1998巻 7号』柳堀素雅子 1998 佛教文化学会


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