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【麒麟がくる】第25回「羽運ぶ蟻」レビューと解説

東滋実
 2020/09/29

「麒麟がくる」第二十五回レビュー用

越前に入ってしばらく放置されている義昭。藤孝らはじれじれですが、美濃を平定した信長に光秀が接触したことでようやく動き出しそうです。

道三の「大きな国」について語り合う光秀と信長ははしゃいで楽しそうではありますが、互いの行動原理の違いを認識しないまま進んでいくととてもやばい、不穏な感じがします。

大きな国、認識の違い

信長が美濃の斎藤龍興を破り、美濃を平定したことで光秀はやっと故郷の明智庄へ帰ることができました。母・お牧の方の喜びようはすごい。

光秀は稲葉山城に入った信長と面会し、今後どうするつもりなのかを話します。信長は光秀を家臣にしたいようですが、越前に暮らしがある光秀の反応は判然としません。

かつて、信長が今川義元を討った時、光秀は次に美濃を平定したら、その後はどうするのかと尋ねました。信長はそのことについて考えていたようで、しかしどうしたらいいかわからない。「何のために戦っているのかわからなくなった」と言うのです。

ただ、「戦をするのは嫌いではない」と言う。なぜかと言えば、今川を討った時、皆が喜び、ほめてくれたからだと。信長が次々と戦をする行動の源泉は「皆が喜ぶ」ことにあるのです。

ここがまず光秀の考えと違うんですよね。光秀はどうしたらいいかわからないと言う信長に「上洛して義昭様と幕府を再興すれば、武士が誇りを持てる平らかな世になる」「そうすれば皆が喜ぶ」と言って上洛を促そうとするのですが、「そうしたら皆喜ぶよ」とは取ってつけただけの言葉で、光秀の目的は「武士が誇りを持てる平らかな世」です。

どこまでも「武士の誇り」を意識し、将軍を立てて太平をめざそうという光秀は、武士の視点に立っています。しかし、「皆が喜ぶから戦をする」と無邪気に言う信長は、正直武士の誇りなんてものはどうでもいい。

道三の語った「大きな国」を同じもののように語るふたりですが、それぞれが見ている「大きな国」には違いがある。ボタンを掛け違えたように、それに気づかない。

光秀は、武士の棟梁たる将軍を中心とした、理想の武士の世をつくりたい。一方信長は、大きな国を手に入れたら、堺で異国と貿易をしたいと語る。

この認識の隔たりにいつ気づくのでしょうか。

駒と転売少年の正義

一方、京では薬を高値で又売りしている輩がいると知った駒が怒っています。転売絶対許さないマンの駒は勇んで薬を配った住職に注意し、又売りしているという少年に会いに行きます。

見るからに貧しい暮らしをする少年に対して「ただでもらったものを又売りするのはいけないことだ」と正論を振りかざす駒は結構図太い神経をしていると思いますが、「金を儲けて何が悪い」「弟や妹を食わせるためだ」と言う少年に、それ以上言い返すことはできませんでした。

家に帰ると、「団子を食べよう」という東庵。駒は戦災孤児ですが、あの少年のような貧困を本当の意味では知らないでしょう。今だって、おやつに団子を食べられる暮らしをしている。「何が正しいのかわからなくなった」と言う駒に、東庵は「どちらも間違いではない」と言います。少年には少年の正義がある。

まあ、現代でも元の価格以上の高値で転売することは人の道に外れた行為で、最近特に問題視されていますね。駒の言う通り、ただで得た物(しかも嘘をついて)を高値で売った少年の行動は悪いことではあります。

しかし、それで誰かが困ったかといえばそんなことはないでしょう。もともと貧しい人にはただで配られているもので、それで手に入らなかった人はお金を払って手に入れる。お金を払う人は払うだけの力がある人なのでしょう。

ただ、嘘をついて少年が薬を得たことで、薬を得られず困った人がいるかもしれない。少年の行動で誰かが損をしたかもしれない。しかし、翻って、「貧しい人にただで配る」駒の行いはどうなのか。寺社にはお金をもらって売っているものですが、寺社が貧民にただで配ることで、本来貧民が治療や薬を求めたはずの医者や薬売りは客を取られて困っているでしょうね。

薬の価格破壊が起きているかもしれない。「貧しい人を助けたいからただで配る」という駒の行動も、完全に正義だとは言い切れないのです。

人を喜ばせたい

ところで、駒や東庵のオリジナルパートはよく蛇足だといわれるところですが、「商売を嫌い、施しで人を救いたい」駒は義昭と通じるところがありますね。

義昭も門跡だったころは、人々に施しを与えて少しでも救いたいと行動する人でした。そして、その対極にあるように見えるのが信長です。信長は初登場時、獲った魚を安値で売っていました。今は勢力を広げたら貿易をしたいと考えている。商売に意欲的です。

しかし、施しにしろ商売にしろ、「人を救いたい、喜ばせたい」という動機は同じです。手段が違うだけで、目的は同じなのです。

寺社に話をつけて薬で一儲けしようという伊呂波太夫に対して、駒は「金儲けをするためにつくっているのではない」と不満顔でしたが、細々と駒が施しをするのと、寺社に売って大々的に広げるのとどちらが人を救うかと言えば、後者です。

さらに言えば、今は寺社を通じてただで配っていますが、価格を統一して販売に専念したほうが救う人の数は多くなるはずです。薬は金があるところに売り、得たお金で貧しい人々に施しを与える方法だってあるのです。そうすれば医療以外の面でも人を救えるはず。

「施す」義昭と駒、「商売する」信長、どちらが多くを救うか、答えはまだ出ませんが、この手段の違いはのちの義昭と信長の不和につながってくるのかもしれません。

今井宗久

住職に文句を言いに行った駒は、一瞬ですが今井宗久と会っています。悪い表情をした宗久、彼は茶人で、武野紹鴎に茶を学んだ人物。光秀とものちに交流を持つことになります。この人、堺の豪商でもあり、軍需品の販売を行う武器商人です。のちに信長の蔵元になります。

駒の丸薬に目を付けたようですが、これまたあの丸薬は駒の手が及ばないようなところまで広がっていきそうな感じですね。

羽を運ぶ蟻

信長に上洛を促した光秀でしたが、「義昭様はどういうお方か」と聞かれるとうまく答えることができません。光秀は前回、「あの方はいかがかとは存じます」と、将軍にはふさわしくないと義景に報告しているのです。

このまま義昭を推していいものか、悩む光秀でしたが、今回義昭と対話したことで考えを改めます。

庭で大きな羽を運ぶ蟻を見た、その蟻は意地になって他の蟻の助けを借りない。この蟻は私だ。支え合えばいいのに。助けがあればあるいは……。

僧として生きてきたのに突然将軍になれと言われた義昭はあまりの重圧に逃げだしたい気持ちでいました。自分は将軍の器ではない。そう思っていた義昭ですが、蟻を見て、将軍として足りない部分があっても、人の助けがあれば将軍としてやっていけるかもしれない、そう前向きに考えることにしたようです。

確かに、将軍ひとりで政をするわけでもなし。支え合えばいいのです。

再び義景に会った光秀が考えを改めたことを伝えると、義景は信長に先を越される前に上洛しよう、という意思を固めます。が、長男の阿君丸が現れて「飼っているねずみ(忠太郎)がいなくなった」と泣きわめくと、自ら地べたを這いつくばってねずみ一匹を探し始める義景。光秀は失望の目を向けます。

「神輿を担ぐ」者がふたり現れ、義昭を上洛させるのはさてどちらか、というところで忠太郎。義景が溺愛する長男は、もう間もなく夭折してしまい、義景は政を放棄して過ごすようになるといわれますが、上洛を決意したところへ阿君丸を持ってくるとはなんというタイミングでしょう……。


【主な参考文献】
  • 日本史史料研究会監修・平野明夫偏『室町幕府将軍・管領列伝』(星海社、2018年)

  この記事を書いた人
東滋実 さん
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター ...


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