【麒麟がくる】第41回「月にのぼる者」レビューと解説

東滋実
 2021/01/19

「麒麟がくる」第四十一回レビュー用

大きな動きはなかったものの、最後の決断に向けての確認作業のような回でした。前回役割を終えたかに見えた平蜘蛛釜がまた登場し、ダメ押しの一手として使われたものの……久秀の「ほら見ろ」という声が聞こえてきそうです。

足利将軍のため

天正5(1577)年10月10日に松永久秀が自刃した後、光秀はふたたび丹波へ。丹波攻略があまり詳しく描かれないので何が何やらわかりませんが……。

今回登場した荒木氏は荒木村重ではなく、丹波の国衆です。丹波の荒木といえば荒木氏綱ですが、氏綱の園部城を落とすのは天正6(1578)年4月のこと。今回はこの後播磨へ向かう直前の秀吉があいさつにやってくる(秀吉の播磨は天正5年10月23日)ので、時期が合いません。もしかするとまた別の荒木なのかもしれません。

丹波で苦戦を強いられている光秀は、なぜ抵抗して戦うのかと問います。すると丹波国衆は「足利将軍への恩のため」だと言う。追いやり過去の人になったはずの義昭は、いまだ力を持っている。織田の勢力が戦っている真の相手は備後・鞆にいる義昭なのだと思い知らされるのです。

秀吉にとって平らかな世とは

播磨出陣を前に光秀の邸へあいさつにやってきた秀吉は、平蜘蛛釜の件を追及されます。光秀の前ではタジタジの秀吉、弟(創作っぽいですが)の辰吾郎を「叱っておきます」と言いつつ、さっさと処分してしまいます。

光秀に「貴殿にとって平らかな世とは」と問われ、秀吉は「昔のわしのような貧乏人がおらぬ世」と答えます。

光秀の言う夢のような「平らかな世」とは違ってはっきりしていて説得力があるのですが、もともと「貧乏人」だった秀吉が、今の貧乏人に寄り添ってそう言っているとは思いにくく……。

物乞いをする子どもたちを「見よ、昔のわしじゃ」と言う秀吉は、哀れみではなく嫌悪する目だったように思います。

努力の末、貧乏人ではなくなった今の自分は、どうしたって昔の貧乏だった自分とは切り離せない。貧乏だった自分が嫌いで、それを想起させる貧乏人を見るのも嫌だ、というだけのような気もしてきます。

平蜘蛛釜の値打ち

安土城にて。信長は近衛前久とともに鼓を打っていて、光秀にも一緒にやろうと誘います。しかし光秀は遊びに来たのではなく、お小言を言いに来たのです。

「京でのわしの評判は上々だと聞く」とどこで拾ってきたかわからない、都合のいい評判だけ好んで耳を傾けたらしい信長にそんなこと誰が言ってたのか、と言う光秀は相変わらず序盤から飛ばしすぎですね。「変だな、自分はそんなふうに聞いてないよ」と。

そこで平蜘蛛釜を出し、嘘をついたことを謝罪し、戦勝の祝の品として受け取ってほしいと渡します。ここで久秀が言った「天下一の名物を持つ者の覚悟」を説き、「殿もそういう覚悟を持ってほしい」「それでこそ人がついてくる」「城を美しく飾るだけでは人心はついてこない」と改めて信長を正しい道へ導こうとしますが……。

信長はただ「今井宗久に金に換えさせよう」と嘲笑うのでした。その覚悟とやらも含め、一万貫くらいにはなるか、と。

信長も嘘をつかれたことが相当腹に据えかねていて、いまだに拗ねてるんでしょうが、ストレートに「戦勝おめでとうございます」と渡さず説教たれる光秀のやり方も気に入らなかったんでしょうね。だから素直に受け取ってやらない気持ちもあったのだとは思いますが。

何を言っても暖簾に腕押し。平蜘蛛釜に込められた「上に立つ者の覚悟」をただ数字に置き換えられてしまうと、光秀渾身の一手・平蜘蛛釜ももう何の意味もなくなってしまいます。

同じ「大きな国」を語って手を組んだ二人ですが、最初からそれぞれが抱く「大きな国」の中身は違っていたような。それが今になって表出しただけのような気もします。だから久秀は信長にだけは渡さないと言ったのに。

王維「送別」

三条西実澄邸にて、王維の詩を読む光秀。実澄は王維の「送別」を口ずさんで、「今の明智殿の気持ちか」と笑います。

「馬を下りて君に酒を飲ましむ
君に問ふ何れの所にか之くと
君は言ふ意を得ず
南山の陲に帰臥せんと
ただ去れまた問ふなかれ
白雲尽くる時無し」

「意を得ず」。この世は思うようにいかないから、隠棲しよう。理由はともかく、ちょうど先週帰蝶が田舎へ行って隠棲することを決めましたね。光秀はそういうつもりはないと笑います。

実澄は、信長が帝に譲位を迫っているなどと言って、「信長は気分で帝も朝廷もかえてしまおうと思うておる。杞憂であればよいが」と不満を漏らします。

ただこれはちょっとどうでしょう。正親町天皇はむしろ譲位したがっていて、お金がないからできなかった。信長が譲位を強要したというのは古い説ですね。

太陽と月

内裏にて、光秀は再び実澄のはからいで帝と言葉を交わす機会を得ます。しかも今回は月見で、本来光秀の立場では姿を見ることができないはずの帝と対面を果たしました。

月を見ながら、帝は月に住むという奇妙な男「桂男」の話をします。これは以前、光秀と煕子の坂本デートの時にも登場した人物ですね。

桂男は、水に溶かして飲むと不老不死になるという不可思議な木に咲く花を取りに月へのぼったが、神の怒りに触れて不老不死のまま月に閉じ込められてしまった。

帝は、先帝が「月はこうして遠くから眺めるのがよい」と教えてくれたのだと言います。「美しきものに近づき、そこから何かを得ようとしてはならぬ」と。しかし力ある者は月へ駆け上がろうとするもので、帝は今まで数多の武士がのぼるのを見たが、結局誰も戻ってはこなかったと語ります。

信長はどうか。信長も同じ道をたどっているのではないか。だから、「信長が道を間違えぬようしかと見届けよ」と光秀に託すのです。

ところで、今まで信長がめざすところといえば太陽でした。父・信秀が一番偉いと言ったお天道様。安土城の信長のモチーフは太陽(っぽい。あるいは満月?)、光秀の邸は月。安土城の高さといい、どこまでも高いところを目指す信長が手にしたいのは太陽であって、月ではなかったはずです。

ここで帝が「月にのぼる者」と例えるのは、天照大神の子孫である天皇が暗に「太陽などおこがましい。お前たち(武士)がのぼれるのはせいぜいこっち(月)だ」と言っているように思えます。

それにしたって月に閉じ込められて二度と戻れないし、また太陽に近づけばイカロスのように堕とされて終わりかもしれません。


【主な参考文献】
  • 『日本大百科全書』(小学館)
  • 二木謙一編『明智光秀のすべて』(新人物往来社、1994年)
  • 奥野高広・岩沢愿彦・校注『信長公記』(角川書店、1969年)

  この記事を書いた人
東滋実 さん
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター ...


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