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倉敷美観地区を散策しながら知る”大原家”とのつながり
- 2025/01/14
日本でも有数の観光スポットとなった倉敷は、今までどのように発展してきたのでしょうか? 今回は倉敷の歴史を語る上で欠かせない大原家にフォーカスをあてて解説していきたいと思います。
初代・大原孝四郎
武士の三男として産まれた孝四郎は、豪商であった大原家に養子に入ります。もともと大原家は倉敷の大地主という存在でした。当時は倉敷の産業といえば、米と綿花が中心で、あまり豊かな街ではなかったそう。そこで大原孝四郎が中心となり紡績工場を立ち上げ、明治21年(1888)に現在の「クラボウ」の前身となる有限責任倉敷紡績所が設立されました。
二代・大原孫三郎
大原孝四郎の三男であった孫三郎は「クラボウ」の発展に力を注ぎ、全国規模の大会社に発展させました。他にも倉敷絹織(現在の「クラレ」)、中国合同銀行(現在の「中国銀行」)、の社長を務めるなど大原財閥を築き上げたことでも知られています。さらに、日本初の西洋絵画の私立美術館である「大原美術館」を創設します。美観地区から知ることができる「大原家」
大原美術館
倉敷美観地区を訪れると、まず大原美術館を訪れる方が多いのではないでしょうか。大原美術館は大原孫三郎が出資し開館しましたが、画家・児島虎次郎の功績も大きいといいます。児島虎次郎はヨーロッパに留学し、現在の大原コレクションの礎となる作品を次々に買付け、大原美術館の開館に至りました。
また、優れた画家でもあったため、児島虎次郎の作品も大原美術館で見ることができます。その跡を継いだ長男である大原總一郎も、コレクションの拡充につとめ、大原美術館は発展を遂げました。
倉敷アイビースクエア
明治時代、倉敷紡績所があった工場を再利用して生まれた複合施設。ホテルやレストラン、お土産店等さまざまなショップが並びます。平成19年(2007)には国の「近代化産業遺産」に認定されているのだとか。れんが造りの建物がツタで覆われた外観はとってもレトロで雰囲気があります。倉敷に行ったらぜひ訪れたい施設のひとつです。
旧大原家住宅
大原家が代々過ごしたという旧大原家住宅。国の重要文化財にも指定されています。現在は「語らい座大原本邸」という施設になっており、入場料を支払って中を見学できます。広い庭や美しい庭園、蔵を使った展示や数々の書籍が読める書庫などがありゆったりと過ごせます。
倉敷を訪れたら大原家ゆかりのスポットも巡ってみて
他にも、通年公開はされていませんが大原家の旧別邸である「有隣荘」や大原家が私財で架けたという「今橋」、倉敷国際ホテルなど、大原家が関わった建物が倉敷には多く残っています。倉敷を訪れたなら、ぜひこれらのスポットも巡ってみて下さい。当時の大原家の街づくりへの情熱も感じることができるかもしれません。
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