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「島津忠良」入道名 "日新斎" で知られた島津氏中興の祖の生涯とは
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加世田竹田
いろは歌の教育面での貢献が有名ですが、行政面での貢献にも言及にもすべきでしょう。薩摩藩政の中心機関である鹿児島城内の御家老座(ごかろうのざ)には、下記の3首が額装して掲げられ、家老はまずこの額に一礼して職務に就いていました。
1.「いにしへの道を聞きても唱へても わが行ひにせずばかひなし」
【大意】昔からの立派な教えをいくら聞いても、またどれだけ口先で唱えても、自分で実行しなけ
れば何の役にも立たない。
2.「科(とが)ありて人を斬るとも軽くすな いかす刀もただ一つなり」
【大意】たとえ死刑にするような重罪人の場合でも、決して軽々しいさばき(裁判)をしてはならな
い。人を殺す刀もまたいかす刀も、君主の心一つにあるのだ。 (念には念を入れ、誤りが
ないようにせよ)
3.「もろもろの国や所の政道は 人に先づよく教へ習はせ」
【大意】どこの国や村でも、そこで行われている法令、きまり等は国民にまずよく教え習わせてお
くようにせよ。
行政面でも重視されていた事がわかります。単なる教訓ではなく、薩摩藩全体の道徳的結束の象徴としての役割が、見て取れます。
※上記のエピソードは、「普遊舎ムック 歴史探訪シリーズ 薩摩藩精強無比の千年史」 (普遊舎 平成25年7月1日発行)の70ページで紹介されています。また各首とその大意は、「島津日新(じっしん)公いろは歌集」(南さつま市)より引用しました。
2025/02/02 17:09
加世田竹田
島津忠良を祀る竹田神社(※鹿児島県南さつま市)で販売されている「島津日新(※じっしん)公 いろは歌集」にある「日新公といろは歌 略伝」によると、「(前略)公は神・儒・仏の三教をきわめ、文武の道に達し、政治・経済・文化の各方面に善政をしいた。このいろは歌は、日新公の五十四歳までの作で、家老春成久正が京都へ持参し、当時の高官前関白近衛稙家が感服絶賛し跋文を書き、この道の権威者花本宗養法師の一首ごとの評を得ている。人間として社会に生きる道・人の上に立つ者の心得を説いたもので四百余年以来、子弟教育の教典となった。」とあります。当初、田舎者が作った歌だと軽視していた近衛稙家が、その出来栄えに驚き、上記の次第に至ったというエピソードが残っています。この歌集が全国レベルのものとして、評価されたエピソードです。この様に戦国時代は、各地方の優れた人物が群雄割拠して、鎬を削った時代と言えるでしょう。その集大成が、徳川幕藩体制による全国の安定した統治であり、今日の「治安の良い日本」の礎を築いたと言えるかもしれません。
2024/01/28 22:28
加世田竹田
島津忠良の「いろは歌」が、郷中(ごじゅう)教育を通じて、薩摩藩の武士達に大きな影響を与えたのですが、その影響は、現代にも生きています。京セラの創業者である稲盛和夫氏は、郷中教育が形を変えた学舎で学びました。斎藤之幸(くにゆき)氏は、その著書、「西郷 大久保 稲盛和夫の源流 島津いろは歌」(株式会社出版文化社)で、下記の「いろは歌」と稲盛和夫氏の人生を成功するための方程式「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」との関連について言及しています。
「名を今に のこし置ける 人もひと こころも心 なにかをとらむ」『名声を今日に残すような立派な業績を上げた人も人、心も同じ心、どこに劣ることがあろうか。』
稲盛和夫氏は昨年他界されましたが、現代の日本を代表する企業経営者にも、大きな影響を与えています。
2023/01/12 21:41
加世田竹田
私は、鹿児島県南さつま市の加世田(合併前の加世田市)出身です。島津忠良を祀る竹田神社の近くに実家があり、竹田神社は子供の頃の遊び場でした。この様に記事に取り上げて頂いて、嬉しく思います。この神社は、室町時代の保泉寺に始まり、島津忠良の死後は、日新寺という菩提寺になりました。江戸時代は、歴代の藩主が参拝していたということなので、如何に尊敬されていたかわかると思います。明治以後に、竹田神社となりました。島津忠良は、日本史における知られざるキーパーソンです。薩摩藩成立と、その幕末における役割の基礎を築きました。特に、「いろは歌」に代表される教育の力によって、それを成し遂げた事は、現代の日本にとって、学ぶべき点は多いと思います。最近このサイトを知ったばかりなので、今回はコメントのみですが、今後は自分でも記事を投稿して、郷土の偉人を、アピールしていきたいと思います。
2022/02/02 21:59
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1.「いにしへの道を聞きても唱へても わが行ひにせずばかひなし」
【大意】昔からの立派な教えをいくら聞いても、またどれだけ口先で唱えても、自分で実行しなけ
れば何の役にも立たない。
2.「科(とが)ありて人を斬るとも軽くすな いかす刀もただ一つなり」
【大意】たとえ死刑にするような重罪人の場合でも、決して軽々しいさばき(裁判)をしてはならな
い。人を殺す刀もまたいかす刀も、君主の心一つにあるのだ。 (念には念を入れ、誤りが
ないようにせよ)
3.「もろもろの国や所の政道は 人に先づよく教へ習はせ」
【大意】どこの国や村でも、そこで行われている法令、きまり等は国民にまずよく教え習わせてお
くようにせよ。
行政面でも重視されていた事がわかります。単なる教訓ではなく、薩摩藩全体の道徳的結束の象徴としての役割が、見て取れます。
※上記のエピソードは、「普遊舎ムック 歴史探訪シリーズ 薩摩藩精強無比の千年史」 (普遊舎 平成25年7月1日発行)の70ページで紹介されています。また各首とその大意は、「島津日新(じっしん)公いろは歌集」(南さつま市)より引用しました。
2025/02/02 17:09