「島津忠良」入道名 "日新斎" で知られた島津氏中興の祖の生涯とは


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加世田竹田
島津忠良を祀る竹田神社(※鹿児島県南さつま市)で販売されている「島津日新(※じっしん)公 いろは歌集」にある「日新公といろは歌 略伝」によると、「(前略)公は神・儒・仏の三教をきわめ、文武の道に達し、政治・経済・文化の各方面に善政をしいた。このいろは歌は、日新公の五十四歳までの作で、家老春成久正が京都へ持参し、当時の高官前関白近衛稙家が感服絶賛し跋文を書き、この道の権威者花本宗養法師の一首ごとの評を得ている。人間として社会に生きる道・人の上に立つ者の心得を説いたもので四百余年以来、子弟教育の教典となった。」とあります。当初、田舎者が作った歌だと軽視していた近衛稙家が、その出来栄えに驚き、上記の次第に至ったというエピソードが残っています。この歌集が全国レベルのものとして、評価されたエピソードです。この様に戦国時代は、各地方の優れた人物が群雄割拠して、鎬を削った時代と言えるでしょう。その集大成が、徳川幕藩体制による全国の安定した統治であり、今日の「治安の良い日本」の礎を築いたと言えるかもしれません。
2024/01/28 22:28
加世田竹田
島津忠良の「いろは歌」が、郷中(ごじゅう)教育を通じて、薩摩藩の武士達に大きな影響を与えたのですが、その影響は、現代にも生きています。京セラの創業者である稲盛和夫氏は、郷中教育が形を変えた学舎で学びました。斎藤之幸(くにゆき)氏は、その著書、「西郷 大久保 稲盛和夫の源流 島津いろは歌」(株式会社出版文化社)で、下記の「いろは歌」と稲盛和夫氏の人生を成功するための方程式「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」との関連について言及しています。
「名を今に のこし置ける 人もひと こころも心 なにかをとらむ」『名声を今日に残すような立派な業績を上げた人も人、心も同じ心、どこに劣ることがあろうか。』
稲盛和夫氏は昨年他界されましたが、現代の日本を代表する企業経営者にも、大きな影響を与えています。
2023/01/12 21:41
加世田竹田
私は、鹿児島県南さつま市の加世田(合併前の加世田市)出身です。島津忠良を祀る竹田神社の近くに実家があり、竹田神社は子供の頃の遊び場でした。この様に記事に取り上げて頂いて、嬉しく思います。この神社は、室町時代の保泉寺に始まり、島津忠良の死後は、日新寺という菩提寺になりました。江戸時代は、歴代の藩主が参拝していたということなので、如何に尊敬されていたかわかると思います。明治以後に、竹田神社となりました。島津忠良は、日本史における知られざるキーパーソンです。薩摩藩成立と、その幕末における役割の基礎を築きました。特に、「いろは歌」に代表される教育の力によって、それを成し遂げた事は、現代の日本にとって、学ぶべき点は多いと思います。最近このサイトを知ったばかりなので、今回はコメントのみですが、今後は自分でも記事を投稿して、郷土の偉人を、アピールしていきたいと思います。

2022/02/02 21:59