【平和祈念展示資料館】終戦後、ソ連軍に連行されたシベリア抑留者と家族を繋いだ「俘虜用郵便葉書」など約70点を展示!抑留企画展「言葉は海を越えて 収容所と日本を結んだ葉書」10月18日(火)から開催!

戦ヒス編集部
 2022/09/16

第二次世界大戦における兵士、戦後強制抑留(いわゆるシベリア抑留)、海外からの引揚げに関する資料を展示する平和祈念展示資料館(所在地:東京都新宿区西新宿、館長:増田 弘)は、終戦後、ソ連軍によって、シベリアをはじめとするソ連(現・ロシア)やモンゴル領内に連行された人々、通称、シベリア抑留者(以下、抑留者)と日本の家族が、互いの安否を確かめ合う唯一の通信手段だった「往復葉書」を展示する、2022年度 抑留企画展「言葉は海を越えて 収容所(ラーゲリ)と日本を結んだ葉書」を、1期と2期に分けて開催します。


1期は「異国の丘にて[1946-1950]」と題し、ソ連領のウクライナから日本に届いた6枚の葉書を含む、抑留者が家族とやり取りした「俘虜用郵便葉書」を中心に、合計約70点(会期中の展示替え後の資料を含む)を展示します。期間は2022年10月18日(火)~2023年1月9日(月・祝)です。
休館日は毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)と、年末年始(2022年12月28日~2023年1月4日)。入館料は無料です。

ソ連領のウクライナから届いた俘虜用郵便葉書 (ソ連側の検閲により墨が塗られている)
ソ連領のウクライナから届いた俘虜用郵便葉書 (ソ連側の検閲により墨が塗られている)

《本展の狙い》
抑留者と家族が交わした往復葉書は、唯一、一定数が現存する、抑留者自身が収容所内で書いた、極めて重要な“リアルタイムの記録”です。
ほとんどの抑留者は帰還の際、ソ連側から、家族からの返信葉書を含め、文字が書かれた紙類の持ち帰りを禁じられました。そのため、日本に届けられ、家族のもとで保管されていた葉書は、今や“無二の歴史資料”と言えます。

ソ連による厳しい検閲のため、葉書に書ける内容は限られていましたが、遠回しの表現で家族に自身の状況を必死に伝えようとした葉書も残されています。あるいは逆に、到底事実とは思われない内容の葉書も残されていますが、裏を返せば、事実を書けないほど収容所での監視の目がいかに厳しいものであったかを物語っているとも言えます。葉書からは、意外なほどに多くの情報を読み取ることができます。

本展では抑留者と家族の心情や様々な苦難、生活の実態などを、1期と2期を通じ、残された葉書から読み解いていきます。

《シベリア抑留者と郵便葉書》
終戦直前の1945(昭和20)年8月8日、ソ連は「日ソ中立条約」を一方的に破棄し、日本に対して宣戦布告。翌9日以降、日本の支配下にあった満州(現・中国東北部)をはじめ、朝鮮北部・南樺太(現・サハリン島南部)・千島列島に侵攻し、日本の軍人や軍属を中心とする約60万人を、ソ連・モンゴル領内の収容所(ラーゲリ)へと連行しました。収容所はシベリアから中央アジア、モスクワ近郊まで、広範囲に点在しており、そこで様々な労働が課されました。
そうして、戦争が終わったにもかかわらず、貧しい食事や厳しい寒さ、劣悪な生活環境、危険で過酷な強制労働などに苦しみながら、いつ故郷に帰れるかも分からない日々を送らなければならなかった人々を「抑留者」(通称、シベリア抑留者)といいます。
厳しい収容所生活によって、約1割の方が帰還を果たせず命を落としてしまいましたが、生き残った抑留者のほとんど(約47万人)は、1950年4月までに日本へ帰還することができました。

その一方で、日本軍や満州国の高官、対ソ諜報や研究活動に関与した人々など2千数百人は、ソ連の一方的な裁判で「戦犯」とされ、最短でも1953年12月、最長で1956年12月まで引き続き抑留されました。この1950年4月以降も例外的に抑留された人々のことを「長期抑留者」といいます。

長い間、生き別れとなった抑留者と家族を繋いだのは「往復葉書」でした。この葉書は、ソ連のハバロフスクで印刷された後、それぞれの収容所で抑留者に支給され、抑留者への人道支援を行っていた国際赤十字・赤新月社(せきしんげっしゃ)を経由し、原則無料でやり取りできました。

抑留者はこの葉書の上半分(往信面)に文章を書いて送り、家族は葉書の下半分(返信面)を切り取り、文章を書いて送り返しましたが、この往復のやり取りには数か月かかることも珍しくありませんでした。
1946年10月~1950年頃まで、抑留者に広く支給された往復葉書は、「俘虜(ふりょ)用郵便葉書」と呼ばれます。この葉書の1人あたりの支給枚数はごくわずかで、ソ連と、日本を占領統治していたアメリカ(GHQ)、双方の検閲がありました。

俘虜用郵便葉書(未使用)
俘虜用郵便葉書(未使用)

特に、ソ連の検閲は厳しく、収容所の場所や暮らしぶり、従事している作業や労働の内容、ソ連に対する批判、亡くなった戦友の話などを書くことは許されませんでした。また、日本語に不慣れなソ連人の検閲官でも読みやすいよう、カタカナで書くように指示されることもありました。

2022年10月18日(火)からスタートする1期の「異国の丘にて[1946-1950]」では、1946年~1950年に多数の抑留者と家族が書いた「俘虜用郵便葉書」を中心に展示します。帰還時のソ連側による所持品検査を掻い潜り、抑留者が命がけで持ち帰った「家族の返信葉書」5点を含め、抑留者の回想録、帰国後に描いた絵画や漫画など、合計約70点(展示替え後の資料含む)を、テーマや時系列順にわかりやすく紹介します。

【2022年度 抑留企画展 全体概要】
催事名称
 2022年 抑留企画展「言葉は海を越えて 収容所(ラーゲリ)と日本を結んだ葉書」
 1期:異国の丘にて[1946‐1950]
 2期:残されし者たち[1952‐1956]
場所
 平和祈念展示資料館 企画展示コーナー
所在地
 〒163-0233東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル33階
期間
 1期:2022年10月18日(火)~2023年1月9日(月・祝)
 2期:2023年1月11日(水)~終了日未定
    ※会期中に一部展示替えを行います。(1期は11月末の予定、2期は日程未定)
時間
 9:30~17:30(最終入場:17:00)
休館日
 ・毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)
 ・年末年始(2022年12月28日~2023年1月4日)
入館料
 無料
展示概要
 ■1期:異国の丘にて[1946‐1950]
  1950年4月までに、帰還できた大多数の《抑留者》が、
  1946年10月~1950年頃まで、家族とやり取りした葉書を紹介。
  抑留者が帰還する際、密かに隠し、持ち帰った「家族の返信葉書」も紹介。
 ■2期:残されし者たち[1952‐1956]
  1950年以降も、ソ連に残されていた《長期抑留者》の葉書を紹介
主催
 平和祈念展示資料館

【1期:異国の丘にて[1946‐1950] 開催概要】
催事名称
 2022年 抑留企画展「言葉は海を越えて 収容所(ラーゲリ)と日本を結んだ葉書」
 1期:異国の丘にて[1946‐1950]
場所
 平和祈念展示資料館 企画展示コーナー
期間
 2022年10月18日(火)~2023年1月9日(月・祝)
    ※11月末に約15点の展示替えを予定。
時間
 9:30~17:30(最終入場:17:00)
主な展示資料
 抑留者と家族が交わした俘虜用郵便葉書を中心に、抑留者の回想録、抑留者が
 帰国後に描いた絵画や漫画などを展示
総展示数
 合計約70点(展示替え後の資料を含む)
展示方法
 俘虜用郵便葉書の文面と宛名面の両面(片方は複製)、文面の書き下し、資料解説で
 構成し、テーマや時系列順で展示
一般の方からのお問い合わせ先
 平和祈念展示資料館
 TEL:03-5323-8709、公式HP:https://www.heiwakinen.go.jp


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