「木曾義高」頼朝長女・大姫の許婚の悲劇的な死

木曾義高(きそ よしたか。源義高とも)は木曾義仲の嫡男で、「志水(清水)冠者」の名でも知られます。父・義仲と源頼朝の和議のために人質として鎌倉に入り頼朝長女の大姫の許婚となった義高は、義仲が討たれると報復を恐れた頼朝によって誅殺されてしまいます。大姫が義高を逃がそうとするエピソードが有名です。

木曾義仲の嫡男・義高

木曾義高は、木曾義仲の嫡男として承安3(1173)年に生まれました。母は今井兼平の娘です。

ちなみに「志水冠者」の「冠者(かじゃ/かんじゃ)」とは元服して加冠した少年のことで、軍記物でよく見かける表現。若者を気軽に呼ぶのに使用される言葉です。「志水(清水)」は地名と思われます。

義仲と頼朝の和議のため、人質になる

以仁王の挙兵に従ってほぼ同じころに挙兵した義仲と頼朝。どちらも源為義の子を父にもつ(義仲は源義賢の子、頼朝は義朝の子)従兄弟同士でしたが、同じ源氏として仲良く協力し合う関係ではありませんでした。

源氏の棟梁として地位を築きたい頼朝に対して義仲は独立した動きをしており、ふたりはライバル関係にあったのです。義仲が以仁王の遺児・北陸宮を奉じていたことも、頼朝にとっては脅威だったでしょう。

ふたりの対立は寿永2(1183)年ごろに表面化します。どちらにとっても叔父である源行家、志田義広が頼朝から離れて義仲を頼り、義仲が匿ったことも対立の一因であるといわれます。

あわや両者衝突かというところで戦を回避できたのは、義仲の嫡男・義高を人質として鎌倉に送ったおかげでした。

大姫の許婚として鎌倉へ

名目上は頼朝の長女・大姫と婚姻させるためでしたが、実態は人質です。義仲の乳母子の今井兼平は義高を人質として送ることを反対したようですが、聞き届けられず義高は鎌倉に入りました。

義高11歳、大姫5、6歳のころに決まった婚約。まだ幼い大姫は、義高のことをとても慕っていたといわれています。

父・義仲の死

一方、頼朝より先に上洛を果たした義仲は後白河院と対立した末に、寿永3(1184)年正月に頼朝が送った討伐軍により討ち取られてしまいました。

頼朝は義仲の子・義高の処遇をどうするべきか悩みます。幼い大姫が義高を慕っていることはよく知っていたはずなので、きっと義高を討てば娘が嘆き悲しむに違いないと考えたのではないでしょうか。

しかし、今の義高の立場は、平治の乱で平氏に父を殺された少年時代の頼朝と同じです。頼朝自身がボロボロになりながらなんとか生き延びて力をつけ、今仇敵の平氏と戦っているのことを考えると、義高もいずれは自分にとって脅威になるかもしれない…。悩んだ末に、義高誅殺を決断しました。

義高の逃亡劇

頼朝は大姫にショックを与えないよう配慮し、大姫や頼朝室・政子に知られずに義高を殺害するよう命じました。しかし、義高殺害はすぐに大姫に知られてしまいました。

『吾妻鏡』によれば、義高殺害について頼朝が話しているのを仕えていた女房が聞いていて、大姫に知らせてしまったというのです。4月21日、大姫は義高を逃がす計画を立て、静かに義高を見送りました。

大姫は義高の同じ年の海野小太郎幸氏を義高の身代わりにし、義高がいつもどおり過ごしているかのように見せかけました。そして義高を女房姿に仕立てて逃がしたのです。

ところがその日の夜に頼朝にバレてしまい、義高は頼朝が放った追っ手に武蔵国で捕らえられ、入間川の河原で殺害されてしまいました。

義高の死後、大姫は死ぬまで悲嘆に暮れた

義高が亡くなったことを知った大姫は魂が消えてしまうほど悲しみ、病に臥せるようになりました。大姫の悲しみは決して癒えることなく、建久8(1197)年7月14日に亡くなるまで苦しみ続けました。

大姫がもっと父の事情も理解できるほどの年齢であったなら違ったのかもしれませんが、6,7歳の幼い少女だった大姫にとって、慕っていた義高が父に殺されてしまった衝撃は、きっととてもたえきれないほど大きかったのでしょう。


【主な参考文献】
  • 『国史大辞典』(吉川弘文館)
  • 『世界大百科事典』(平凡社)
  • 『日本人名大辞典』(講談社)
  • 校注・訳:市古貞次『新編日本古典文学全集46 平家物語(2)』(小学館、1994年)
  • 元木泰雄『源頼朝 武家政治の創始者』(中央公論新社、2019年)
  • 下出積與『木曽義仲 (読みなおす日本史)』(吉川弘文館、2016年)
  • 渡辺保『北条政子』(吉川弘文館、1961年 ※新装版1985年)
  • 『国史大系 吾妻鏡(新訂増補 普及版)』(吉川弘文館)

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  この記事を書いた人
東滋実 さん
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター。 卒業後は日本文化や歴史の専門知識を生かし、 当サイトでの寄稿記事のほか、歴史に関する書籍の執筆などにも携わっている。 当サイトでは出身地のアドバンテージを活かし、主に毛利元就など中国エリアで活躍していた戦国武将たちを ...

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