通常は1日2食。戦国時代の食事・食生活とは?
- 2017/11/23
現代では冷凍食品や加工食品の利用は当たり前。コンビニやスーパー、自動販売機や飲食店など、簡単に食事を楽しめる時代になりました。しかし戦国時代には、便利な加工食品や全国くまなくネットワークを張り巡らした小売店など存在しないにもかかわらず、様々な工夫を凝らしていたことが明らかになっています。
本記事では、戦国時代の食生活や食事についてご紹介します。
戦国時代は1日2食が一般的
現代人の多くが、朝昼晩の1日3回の食事を摂りますよね。しかし戦国時代は特別なことがない限り、朝昼の1日2回の食事でした。これは戦国大名や武将、庶民まで共通しており、現代のような1日3食の食事回数が普及し始めるのは江戸時代からと考えられています。
もちろん戦国時代にも1日3回の食事をする者はいました。それは城や砦などの重要拠点の守備に欠かせない夜間警備をする任務を与えられた者たちです。
彼らは翌朝まで体力が持つように夜20~21時頃に食事をしていました。戦いに明け暮れたイメージのある戦国時代なのに1日2食で体が持ったのか、と疑問に思ってしまいますが、食事量が多かったようです。
戦国大名の中には1日に米を5合も平らげた人物もいるといいます。5合といえば、約750g(1合で約150g)、炊飯すると1合あたり約350gになるため、実に1日に1.75kgも米を食べていたことに…。これならば1日2食でも十分だと言えるのではないでしょうか。
主食は玄米
現代人がご飯というと「白米」を思い浮かべますが、戦国時代にとってのご飯は「玄米」でした。
玄米は籾殻を除去しただけなので、白米のように精白されておらず、1粒1粒の色が褐色を帯びています。この色のついた部分は、ぬか漬けにも利用される「糠」であり、白米と比較すると、ビタミン・ミネラル・食物繊維を豊富に含んでいるため、健康に良いものでした。ちなみに調理は玄米にヒエやアワ、キビなどの雑穀類やイモ類などを混ぜあわせていたと考えられています。
戦国時代の流通や食品加工、農業・畜産などが現代ほどに発達していないため、主食である玄米や雑穀類からも栄養を取らなければならなかったのですが、たっぷりの栄養素を含む玄米は最適だったと考えられます。
余談ですが、江戸幕府を開いた徳川家康は、麦飯を好んで食べていたといいます。戦国大名たちは、健康食品である玄米や麦飯で英気を養っていたのです。
重要視された味噌汁
日本食に欠かせないのは「味噌」でしょう。大豆を発酵させて作る味噌は、塩分が含まれているため保存性が高く戦国時代にも重宝されており、主に汁物に利用されました。
現代では「ねこまんま」と呼ぶこともあるご飯に味噌汁をかけて食べる事も珍しくなかったようです。戦国大名も味噌の重要性を知っていました。
東北の雄・伊達政宗は、軍用の味噌の自給を目指し「御塩噌蔵」を建設しています。これは日本初の味噌工場であり、兵士たちの食事に欠かせない味噌を重要視していたことがわかります。甲斐の武田信玄も、軍用の味噌を製造したと考えられており、長野県の名産・信州味噌の起源だと指摘されています。
なぜ彼らは味噌を重要視したのでしょうか?
まず、食事には汁物が欠かせない、また、味噌汁に芋類や野菜などを入れることで腹持ちを良くすることもできます。さらに味噌には大豆由来のタンパク質やビタミンなどが豊富に含まれており、兵士たちの健康に欠かせませんでした。
ちなみに味噌を携帯する際は、乾燥させて固形にしたり、焼いて味噌玉にし、必要に応じてお湯に溶かしていました。
忍者も食べていた!?兵糧丸
忍者が食べていたと伝えられる兵糧丸は、戦国時代の一般兵士たちも利用していました。きびだんごのような形をした携行食品で、兵士一人ひとりに糧食として渡されていたと考えられています。
現代でいうところの軍用レーションであり、非常の際に食べるために携帯していました。地域などによって違いがありますが、水に晒した米、蕎麦粉、キビ粉、きな粉などを中心に梅干し、ゴマや菜種、添加物として蜂蜜や甘草、日本酒など多数の食材を原料にしています。
兵糧丸の作り方はとっても簡単。粉末化(あるいはペースト化)した原料を混ぜ込み、小さな球状にまとめます。水気が少ないためパサパサした触感をしており、命をつなげるカロリー重視の食品でした。戦ともなると糧道が絶たれたり籠城することもあります。そんなときのために、戦国大名たちは独自の兵糧丸を開発したのです。
食べるロープ!?芋茎縄とは
普段は縄として使い、万が一の際に非常食にもなる、そんな便利な携行食品が芋茎縄でした。
これも作り方はとても簡単で、里芋などの芋類の茎を帯のように編み、味噌で煮込んだ後に乾燥させるだけ。「縄」状なので普段は腰に巻いたり、武具や荷物などを固定するために使えました。
また、必要となればちぎって鍋に放り込み、水を入れて沸騰させると、染み込んだ味噌が溶け出し、芋の茎が熱湯によって柔らかくなります。つまり水と鍋、火さえあれば、芋の茎を具材にした味噌汁を味わえるというワケです。
煮込むことすら許されない状況であれば、芋茎縄を直接かじって生命の維持に欠かせないカロリーと塩分を補給することもできました。普段は縄とし使いながら非常時には食品になるため、全くムダがない。戦国時代に重宝された芋茎縄は、まさに一石二鳥な存在なのです。
知恵が詰まった戦国時代の食事
食生活の豊かさという点においては、現代が戦国時代を遥かに上回ります。しかし戦国時代に生きた人々は、あるだけの材料を活用して食事を楽しみ、戦に備えました。
戦国という動乱の時代のなかで1日2回の食生活で体が持つのだろうか、とも思いますが、栄養豊富な玄米や味噌などの食材が彼らの英気を養いました。また、知恵を凝らして兵糧丸や芋茎縄を開発し、万が一の際に備えたのです。
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