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実は激戦地だった?!源平合戦の舞台となった平等院鳳凰堂

京都・宇治にある平等院鳳凰堂(びょうどういん ほうおうどう)。10円玉にモチーフとして描かれているのも有名で、美しく人気の観光スポットです。

今の姿からは想像できませんが、平安時代末期、ここはかなりの激戦地になった場所でもあります。どんな戦いだったのでしょうか?現地を巡りながら振り返ってみます。

平等院鳳凰堂とは?

もともと平等院は、当時の関白・藤原道長が所有していた別荘を、その子頼通が継いだ時に仏寺と改めたのが始まりです。翌年の1053年には、「鳳凰堂」(阿弥陀堂)が完成し、中には「阿弥陀如来坐像」(あみだにょらいざぞう)が安置されました。

鳳凰堂は西方の極楽浄土を表現したというデザインで建立されました。当時の貴族の中には死後に極楽往生を願う浄土信仰が広く浸透しており、極楽往生を願い、阿弥陀如来を本尊とする仏堂が次々とたてられていた時代だといいます。鳳凰堂以外にも複数の堂塔がつくられていましたが、残念ながら焼失などで失われ、現存しているのは鳳凰堂だけとなっています。

鳳凰堂は当時からずっと「阿弥陀堂」と言われていましたが、屋根に鳳凰が飾られていることや、正面から見た姿が鳥のように見えたことから、後世に「鳳凰堂」と呼ばれるようになり定着したそうです。

源平合戦の舞台になった?

戦が起こったのは平安時代末期。平家が絶大な権力を誇る時代です。源平合戦のきっかけとなった戦いから承久の乱まで、意外にも宇治はかなりの戦が繰り広げられた場所でもあります。

挙兵したのは源頼政と以仁王

1180年、源頼政が平氏を討つため、高倉宮以仁王と手を組み挙兵します。この時源氏は平氏に敗れ各地に散らばっていましたが、力を合わせて平氏に立ち向かおうといったものです。

高倉宮以仁王は後白河天皇の三男でしたが、既に皇位継承は決まっており不遇されていました。さらに平氏により後白河法皇が幽閉され、領地まで没収されたことがきっかけとなったと言われています。
この挙兵を「以仁王の令旨」といい、これが源平合戦の幕開けとなります。しかし、この時期待していたような兵力は得られず、源頼朝も加勢していません。平氏側にもすぐに計画が漏れ、挙兵は失敗に終わります。

平氏と激しい戦闘になり、頼政と以仁王は京都から奈良へ落ち延びようとしますが阻止され、宇治の平等院へ逃げ込みます。宇治川をはさんで両軍の戦闘になりましたが、平氏軍は馬で渡河し、劣勢に。

源頼政は以仁王を逃がす時間を稼ぎながら、平等院に籠って抵抗するも敗北。この地で自刃したと伝えられています。以仁王はわずかな騎兵で脱出するも追いつかれ、奈良へ辿り着く前に追討軍に討たれ、亡くなりました。

宇治川の戦い

数年後の1183年には情勢はかなり変化していました。源氏である木曽義仲が軍を引き連れ入洛したものの、皇位継承を巡って後白河法皇と対立。京で狼藉を繰り返し、信頼を失ってしまいます。

後白河法皇は源頼朝に助けを求め、頼朝軍(弟の範頼・義経)と木曽義仲の源氏同士の戦いに発展しました。

両軍は宇治川で衝突。義経が主力となって宇治川で戦い、木曽義仲を敗走させる活躍を見せます。義仲は粟津まで逃げ最期を遂げました。

承久の乱でも激戦地に

1221年には平氏に代わって源氏(北条氏)が権力を持つ時代に。後鳥羽上皇は西日本では院政を行い権力を保っていましたが、鎌倉幕府の勢いを恐れ幕府討伐のため挙兵しました。

後鳥羽上皇は寺院や武士などが自分に味方するため圧勝すると考えていたようですが、思惑は外れ、北条軍の20万を超える大群に大敗してしまいます。

朝廷軍は中部地方で大敗し、宇治で上洛してきた幕府軍を迎え撃つことになります。幕府軍の大将・北条泰時は平等院で休息をとって、6月13日に朝廷軍と幕府軍は宇治橋で対峙することに。幕府軍は宇治川を渡河することに成功し、朝廷軍を敗走させました。

その後の平等院鳳凰堂は…

その後、南北朝時代の楠木正成と足利尊氏との間におこった戦いで宇治の地が戦場となりました。

残念なことに、その時の戦いで楠正成が平等院に火を放ち、多くの建物が焼失してしまったといいます。しかし本堂、そして阿弥陀如来坐像は焼失を免れることができ、「奇跡」とも言われています。

室町時代からはしだいに荒廃し、修復や新たな仏塔の建立などがされるも、江戸時代に末期までなるとかなり荒廃が進んでしまったと言います。

しかし明治時代からはかなり大規模な修繕などが行われ、近年も改修が繰り返されています。現代では創建時に近い鮮やかな朱色の建物に復元されました。

平安時代の寺院、それも建物だけでなく極楽浄土を模した庭園や、仏像までが残っているのは平等院だけで貴重な文化財となっています。

まとめ

平等院鳳凰堂が10円玉に描かれ発行されたのは1953年。以来、現代の私たちにとっても馴染みの深い場所になっています。過去に血なまぐさい戦闘があったとは思えないほど平和できれいな場所になっていますよね。

近年では世界遺産に登録されるなど、日本人だけでなく外国人観光客にも人気の観光地になっている平等院鳳凰堂。周辺には宇治の名産のお茶のお店などが立ち並び、とても賑やかなスポットになっています。

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、北条氏と源氏と平氏の戦いが描かれていますので、ゆかりのある宇治や平等院鳳凰堂も是非チェックしてみてくださいね。

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  この記事を書いた人
ゆかた さん

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