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本堂は一度火災で全焼しており、建て替えされているそうです。
当時、隊士たちがいたのは本堂ということなので、そちらは失われていますが、山門は当時と同じものが現存しています。新選組もこの山門を通って出入りしていたのでしょうか。
残念ながら萬福寺の中に入ることはできません。中にある庫裏(くり)は当時のものだといいますが、外からは確認することはできませんでした。
石碑もあるためわかりやすいです。「新選組 大坂旅宿跡」とあります。
新選組は当時大阪で起こった事件いくつかに関与しています。
・力士乱闘事件(1863年7月18日)
屯所が置かれる前の事件。新選組(当時は壬生浪士)と酔った力士が遭遇し、乱闘など一悶着がありました。その後、新選組が北新地で酒宴を楽しんでいたところに力士が大勢復讐のため押しかけ、死者も出る乱闘騒ぎになったといいます。
・内山彦五郎暗殺事件(1864年6月23日)
内山彦五郎は大坂西町奉行組の与力で、大阪で斬られ暗殺されました。当時から新選組の仕業であるとの噂はあり、前年の力士乱闘事件からの因縁があったという説や、大阪に不正を働く与力がおり、天誅として粛清されたのではないかという説があるそうです。しかし現在でも新選組が犯人であるという確証はないということです。
・ぜんざい屋事件(1865年2月3日)
土佐勤王党の残党ら(そのうちぜんざい屋を構える浪士がいた)が、大阪の街に火を放ちその混乱に乗じて大坂城乗っとりを計画をたてていました。察知した新選組隊士らがぜんざい屋を襲撃したもののほぼ成果はなく、残党は逃してしまったといいます。
・藤井藍田捕縛惨殺(1865年5月26日)
大阪で私塾を開いていた藤井藍田が、長州志士と討幕を企てていたという容疑で、新選組に捕縛・惨殺された事件です。大阪屯所・萬福寺に幽閉され、拷問を受け死亡したと言われています。
例えば池田屋事変でも拷問事件がありましたが、その後志士を討ち取り放火を未然に防ぐという成果を上げています。それに対しこの事件ではその後特に何が起こったということもなく、本当に長州志士と交流があったのかも不明であるため、少し違和感を感じる事件になっています。
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