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【飛鳥の大寺】奈良県川原寺をご紹介

奈良県明日香村には、1600年前なら国立の大寺院として当時の文化・宗教の中心地であった寺院や寺院の跡地が沢山あります。今回はそれら寺院のひとつである川原寺(現弘福寺)を紹介します。

● 川原寺とは?
川原寺とは、飛鳥時代の7世紀ごろに建てられたお寺です。飛鳥寺、大官大寺、薬師寺と並び「飛鳥四大寺」とグループ化された大寺院であり、日本最初に写経が行われたことや、当時の日本では唯一の伎楽団が置かれていました。

しかし藤原京から平城京への遷都の際に移転することは無く、更に複数回に渡る焼失によって、室町時代には廃寺となりました。建てられた時期、建てられた理由や移転が無かった理由は、複数存在考えられています。

建てられた時期では 584 年、653 年、655 年、661 年、673 年が挙げられており、建てられた理由としては天智天皇が母の斉明天皇の冥福を祈って建立したという説が主流です。しかし、未だにはっきりとしていない点が多くあるので、謎の多い寺です。

● 1960年の発掘調査から分かる川原寺

1、特殊な伽藍配置【図1】

1つの塔と2つの金堂を据える、飛鳥時代の寺院においては特殊な伽藍配置です。
天智天皇と関わりの深い大津の地域の寺院では川原寺と似た伽藍配置の寺院が発見されています。

【図1】川原寺の伽藍配置

2、国内初導入!「複弁蓮華文軒丸瓦」

従来の古代寺院にみられた軒丸瓦と違って、一枚の花弁に子葉が2つ置かれている、「複弁蓮華文軒丸瓦」が国内で初めて導入されました。川原寺の「複弁蓮華文軒丸瓦」が「川原寺式」として各地域の寺院で採用されるようになりました。

3、金堂跡にある白い礎石【写真1】

川原寺の礎石のほとんどは花崗岩でできていますが、中金色堂跡にのみ、白い硅灰石でできた礎石があります。この硅灰石は滋賀県石山寺境内で採れた石材が使われていると考えられており、石山寺と川原寺との関係性を考察する研究が増えています。

【写真1】中金堂跡の白い礎石
● 現在の川原寺
川原寺の金堂跡が「弘福寺」の境内として残っています。現在は写経会が盛んに行われています。

また、金堂以外の跡地は基壇跡が整備されており、飛鳥の川原寺を偲ぶこともできます。奈良県明日香村に来たときは是非川原寺にお立ち寄りください!

※参考文献
網干善教・NHK取材班 1982『謎の大寺 飛鳥川原寺』日本放送出版協会
関西大学国際シンポジウム実行委員会 2012 『国際シンポジウム 川原寺裏山遺跡と東アジア 資料集』
奈良国立文化財研究所 1960 『川原寺発掘調査報告』奈良国立文化財研究所学報9

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  この記事を書いた人
まっさん さん
お寺が好きなどこかの大学院生です。 考古学を専攻しており、古代日本史が大好きです! 将来の夢は文化財専門職

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