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信長も富士を見た 甲州街道「台ヶ原宿」を歩く

江戸五街道の1つでもある甲州街道は、江戸日本橋から中山道下諏訪までを結ぶ道。なかでも台ヶ原宿(山梨県北杜市)はその面影を残す場所としても知られている。

『甲斐国志』には「甲州道中ノ宿場ナリ、古道ハ逸見筋ノ渋沢ヨリ此ニ次ぐ、今ハ韮崎宿ヘ逓送セリ」とあり、台ヶ原が近郷から馬や食料が行き交う場所として「甲州街道の設定以前から、交通集落としての機能を果たしていた」(『白州町誌』)とされる。

現在の国道20号線を甲府から諏訪方面へと向かうと、右側に入る道があり、その分岐点には趣のある「日本の道百選 甲州街道 台ヶ原宿」の木の看板が建っている。道沿いに歴史ある酒蔵や和菓子店、古い民家や蔵が点在しており、江戸期の街並みへと思いを馳せることができるスポットだ。

江戸期の台ヶ原宿の様子を伝える場所に、荒尾神社(田中神社等を合併)がある。田中神社に将軍のためのお茶を宇治から江戸へと運ぶ御茶壺道中の宿とされたという記録が残っており、お茶の品質を保つためにあえて内陸にある甲州街道を通って運んだと考えられている。

台ヶ原で歴史を感じる建物に酒蔵がある。日本酒「七賢」で知られる山梨銘醸が台ヶ原で酒造業を始めたのは1750(寛延3)年のことだとされ、1880(明治13)年の明治天皇の京都巡幸に際しては、山梨銘醸の奥座敷が行在所に指定されたという。また、信玄餅で知られる「金精軒」の台ヶ原での開業は明治期とされるが、建物は江戸末期のものだという。

一方、台ヶ原には戦国期の歴史を伝えるスポットもある。白砂山自元寺は、武田信玄に仕えた武将として名高い武田二十四将の1人である馬場美濃守信房(信春)開基の寺であり、菩提寺。武田信虎、信玄、勝頼の三代に仕え、戦場で負傷したことがなく不死身と言われた武将であり、武田四天王とも称えられている人物だ。長篠の戦いから勝頼が退去する際に殿(しんがり)を務め、主君が逃れるのを見届けた後に自害したとされる。台ヶ原にある自元寺の総門は、馬場美濃守信房の屋敷から移築したものとされる。

また、『信長公記』には甲州攻めの様子が記されており、1582(天正10)年4月2日に諏訪から移って大ヶ原(台ヶ原)に陣を取り、翌3日に大ヶ原を出立し“五町ばかり”進んだところで山あいからこれぞ名山という雪の積もる富士山を見たことが記されている。


参考サイト・文献

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  この記事を書いた人
KOBAYASHI Sayaka さん
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