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京都・八坂神社に残る忠盛灯篭の謎

昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で話題となった平安時代末期から鎌倉幕府設立までの時代。源平合戦は有名で、源頼朝や義経など知名度が高く人気の武将が多いため、なんとなく平家に悪いイメージを持っている人も多いかもしれません。

しかしそのひと世代前の平忠盛(たいら の ただもり。1096~1153)の時代になると、あまり詳しくない人も多いでしょう。今回は京都の八坂神社(京都府京都市東山区祇園町)に残る不思議な平忠盛に関する伝説をお伝えします。

平忠盛とは

忠盛とは平清盛の父で、平安時代後期の院政の時代に白河上皇(法皇)に仕えていました。

元々は伊勢平氏の棟梁であり、院の警護をする「北面の武士」を司っていました。瀬戸内海一帯に勢力を拡大して宋との貿易を成功させるなどの功績をあげ、その後子の平清盛が跡を継ぎその地位をたしかなものにしていったと言われています。

平忠盛と忠盛灯篭

忠盛灯篭の逸話

五月のある夜、白川法皇が愛妾の祇園女御の許へ訪れようと、雨の中八坂神社の灯篭横を通りがかったところ、前方に光るものが見えました。周りの者たちも化け物のようななにかがいることに気付きます。

『平家物語』巻之六や『源平盛衰記』によると、「銀の針で頭が覆われ、手に光る物と槌を持った不気味なものであった。鬼であろう」とあり、法皇は恐ろしくなって同行していた者たち、中でも忠盛に化け物を切り殺すよう命じます。しかし忠盛は、まずはその化けもののようなものの正体を確かめようと生け捕りにしました。

よく見ると、化け物のようなものは灯篭に火を灯そうとする年老いた僧侶でした。頭に生えた針は、雨除けにかぶっていた藁であり、それが手に持った火の光に反射して輝いたように見えていただけだったといいます。

白河上皇は、忠盛の判断を褒め、そこにあった灯篭は「忠盛灯籠」と呼ばれるようになったと伝えられています。

平の忠盛と祇園女御

この時、白河法皇が通っていたのが祇園女御といわれる女性でした。この女性は生没年も素姓も未詳となっています。女御という身分で呼ばれていますが通称であったといいます。

忠盛灯篭の逸話では、危うく僧を殺してしまうという大問題になりそうだったところを忠盛の冷静な判断で救われた上皇は、その後忠盛を重用するようになり、これが平家の繁栄につながったといわれています。

その後、法皇は愛妾であった祇園女御を忠盛に与えたと伝えられます。その時既に女御は妊娠しており、生まれた子が後の平清盛になると『平家物語』では説明されています。

しかし平清盛は一説には祇園女御の妹の子であり、祇園女御が育てたという説もあります。

祇園・八坂神社の忠盛灯篭を訪れる

忠盛灯篭は八坂神社の中に今も現存する灯篭です。場所は八坂神社本殿の東側、柵に囲まれてある古びた灯籠です。

真偽は不明ですが、「忠盛灯篭」は平清盛の出自にもかかわる伝説だったようです。

八坂神社は京都で人気の観光スポットです。お参りをしたり庭園を散策する方は多いと思いますが、灯篭に目を向ける人は少ないかもしれません。平家の伝説があったとは知らない方も多いでしょう。

わかりやすい場所にあるので、八坂神社を訪れた際にはぜひ一度忠盛灯篭にも注目してみてくださいね。

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  この記事を書いた人
ゆかた さん

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