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今も続く?長屋王の祟りや真相を探る

古都・奈良の観光地にある商業ビル「ミ・ナーラ」。今でこそさまざまな施設が入る人気のビルですが、「そごう」だった時代を覚えている人も少なくないかもしれません。デパートや商業ビル、さまざまに変わるこの場所ですが、実はここは長屋王の邸宅があった場所で、曰くつきの場所なのだとか。そこには一体どんな話があるのでしょうか?

長屋王とはどんな人物?

長屋王(ながやおう、684~729)は、高市皇子の息子。皇族ですが皇位継承者としては考えられておらず、官僚として活躍します。

とても頭が良く、優れた人物として有名で、血筋も良い皇族の長屋王は、この地で優雅な生活をしていたといいます。天皇にはならないものの、朝廷内の権力者・藤原不比等との関係も良好でした。

しかし徐々に変わってきたのは720年。藤原不比等が亡くなり、その子供達藤原四子が朝廷で活躍するようになると、その周辺は変わってきます。

長屋王とその妻・吉備内親王(きびないしんのう)はともに皇族の血をひく人物。天皇は存在しますが、もし何らかのアクシデントがあった際に長屋王の子が天皇になるかもしれないと考えられるようになりました。

それをよく思わない藤原四氏(不比等の子4人)は、長屋王を遠ざけるべく策を練ります。そして729年、とうとう長屋王の変という事件が起こります。この事件により長屋王は家族とともに自害。藤原氏の繁栄はより極まることになりました。

長屋王の変とは?

変の2年前の727年、聖武天皇に念願の跡継ぎとなる男子が産まれました。しかし出産したのが藤原氏出身の妻であったため、藤原氏はこの結びつきを万全なものにしようと、わずか一ヶ月で男子を皇太子としました。

これは当時として異例のこと。当然長屋王も良くは思っていなかったと思われています。しかし男児は728年9月に夭折してしまいます。

そして729年2月、長屋王の変につながります。

聖武天皇の元に、「聖武天皇の男児が亡くなったのは長屋王が呪詛をしたからであり、長屋王は謀反を企んでいる」という密告がありました。これは現在では藤原四子の策略であると考えられており、実際に長屋王が謀反を考えていたかどうかは定かではありません。

聖武天皇は長屋王の謀反に対し怒り、直ちに兵を差し向けました。長屋王は屋敷を包囲され死を悟り、「捕らわれて殺されるぐらいなら」と、自ら妻子を殺害し、毒をあおって自死したとされています。

長屋王の祟りとは?

長屋王の死から、自然現象や疫病などが続き、人々はそれを「長屋王の祟り」というようになりました。

『続日本紀』より

長屋王の変の翌年の天平2年(730)6月、「神祇官の屋根に雷が落ち、火の手が上がった。人や動物の中に、雷で亡くなる者も出た」と記録があるといいます。

天然痘の流行

天平7年(735)ごろに飢饉と天然痘が流行し、多くの人が若くして亡くなったといいます。

『日本霊異記』より

ここには、真実かどうかはわかりませんが、長屋王の変の後の話が書かれています。

聖武天皇は長屋王と妻子の遺体を平城京の外に運ばせ、焼いて砕いたあと、川や海に撒いたといいます。そして長屋王の骨だけを土佐国(高知県)に持って行ったというのです。しかし、土佐の百姓が大勢疫病などで亡くなってしまいました。百姓たちが長屋王の祟りでみな死に絶えてしまうと訴えてきたため、聖武天皇は長屋王の骨を現在の和歌山県の小島に移したというものです。

藤原四子の滅亡

天平9年(737)4月から立て続けに、藤原四子が死亡します。一年の間に4兄弟そろって…というのは異例の事態。藤原四子が長屋王の変を引き起こしたと誰もが考えていたため、どうしても「長屋王の祟り」だと思うのは仕方ないことなのかもしれません。

朝廷は考えを撤回

これらの事態が重なり、誰もが長屋王の変は冤罪で祟りがあったと考えていました。天皇も例外ではありません。一時は兵も差し向けてしまいましたが、そのことを後悔していたといわれています。のちに朝廷は長屋王の復権を画策し、贈位しているといいます。

今も続く?長屋王の祟り

長屋王の邸宅があったのは現在の「ミ・ナーラ」。1989年に「奈良そごう」が開業し、当初はにぎわっていましたが、経営が悪化して閉鎖。その後、奈良そごう跡に開業した「イトーヨーカドー奈良店」も閉店したことで、この土地が呪われているのでは、という噂がたちました。

2018年に「ミ・ナーラ」が開業すると、心配の声が寄せられましたが、2023年現在も健在です。開業当初の話によると、毎日長屋王の供養もされているのだとか。実際にこの場所は駅から遠く不便ということもあり、難しいのかもしれませんが、今度こそは長く続けば嬉しいですよね。

平城京跡の復元や、外資系ホテル「JWマリオット奈良」も近くに開業し、にわかに注目されるエリアにある旧長屋王邸宅跡。もし訪れた際には長屋王が安らかに眠れるように手を合わせてみてもいいかもしれません。


【参考文献】
  • 『日本書紀』
  • 『続日本紀』
  • 『日本霊異記』

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  この記事を書いた人
ゆかた さん

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