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源氏の氏神「石清水八幡宮」の歴史や見どころ

大河ドラマで話題となった鎌倉幕府。源平合戦や幕府設立、そして治承・寿永の乱までみどころがたくさんありますが、中心となった源氏が信仰していた氏神が京都にあります。今回はその石清水八幡宮と源氏のかかわり、また石清水八幡宮の歴史についてひも解いていきたいと思います。

石清水八幡宮とは?

石清水八幡宮に大きく関係する「清和源氏」

時代は鎌倉幕府からさかのぼり、「清和源氏」から説明していかなければなりません。

清和天皇(850~881)は藤原氏が実権を握る時代に産まれ、母が藤原氏一族だったためにわずか9歳で天皇の位につきます。しかし藤原氏が力を持つことを良しとしておらず、早くに譲位し仏門に入りました。わずか31歳の生涯ながら子孫が多く、そのうちの一族に「源」という姓を与えました。この一族を「清和源氏」といいます。

清和源氏は地方に広がり、武士となって勢力をのばしました。源頼義・義家の時代に関東で地盤を築き、ここで源頼朝は鎌倉幕府を開くことになります。

石清水八幡宮のなりたち

石清水八幡宮は応神天皇、神功皇后、比咩大神(ひめおおかみ)の三神をお祀りする、二所宗廟(にしょそうびょう)のひとつ。二所宗廟は、皇室が先祖に対して祭祀を行う廟のことで、日本には伊勢神宮と石清水八幡宮の二つだけという格の高い神社でもあります。

清和天皇の時代(859年)、奈良大安寺の行教(ぎょうきょう)という僧が、託宣に従い八幡にある男山に御神霊をお祀りするように朝廷に報告し、清和天皇が八幡大神をお祀りし、社殿を建立したことが起源と言われています。

その縁から、清和天皇の子孫である清和源氏も八幡大神を氏神として信仰しており、その中心である石清水八幡宮が崇拝されるようになったのです。

石清水八幡宮はそれだけでなく、平安京の裏鬼門を守る神社としても大事な位置に建っています。また、八幡大神は武神でもあったため、多くの武将からも崇敬されました。名だたる戦国武将や天皇、将軍もお参りに訪れていて、重要な宝物が多く残されています。

源氏と石清水八幡宮

源義家(1039~1106)は石清水八幡宮で元服したといい、「八幡太郎義家」を名乗っていたといいます。また、源氏同士の戦いになった木曽義仲(1154~1184)も石清水八幡宮を詣でた記録があるのだとか。

清和源氏の勧請で八幡宮は全国につくられ、鎌倉で有名な「鶴岡八幡宮」もそのひとつ。鶴岡八幡宮は、源頼義・源頼朝によって勧請されたといいます。

石清水八幡宮のみどころ

八幡八幡宮は国宝や重要文化財に加え、境内も魅力たっぷり。多くの参拝者が訪れています。

アクセスは石清水八幡宮駅から

石清水八幡宮は男山という山の中に建てられています。

京阪「石清水八幡宮駅」と直結の「ケーブル八幡宮口駅」から山上まではケーブルカーで約5分。簡単にアクセス可能です。ケーブルカーを使わず徒歩の場合は参道を通り、約40分ほど。そんなに激しい山道ではありませんが、ちょっとしたハイキングにはなるので山登りされる際は服装や天気などに注意が必要です。参道を通って参拝すると鳥居など見どころもあるので、ゆっくりお詣りされたい方にはおすすめです。

社殿は国宝

石清水八幡宮の社殿は何度かの再建が繰り返されていますが、朱色が美しい、「八幡造」の建造物。日本で最古、そして最大であり国宝に認定されています。

動物などのモチーフの彫刻が極彩色で彩られた回廊や、織田信長が寄進したという「黄金の雨樋(あまどい)」など他にも色々なみどころがあります。たっぷり楽しみたいという方は特別公開の時期を狙って訪れるのが良いかもしれません。

鳩のモチーフが人気!

八幡大神様の使いは「ハト」。そのため境内のあらゆる所にハトの姿があります。ハトを探しながら参拝するのも楽しいかもしれません。御守などもハトをモチーフにしたものが多く、人気の商品です。

石清水八幡宮で歴史に触れるひととき

石清水八幡宮は、歴史があるだけでなく格も高い神社です。源氏とかかわりが深いだけでなく、他にも多くの武士や皇族などが訪れる場所。京都のパワースポットのひとつでもあります。

八幡という中心地からは少し離れた場所にあるので注目はされにくいですが、貴重な神社なのでぜひ訪れて歴史に触れてみて下さい。

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  この記事を書いた人
ゆかた さん

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