この記事はユーザー投稿です
源氏物語は誰もが知る紫式部の名作。長いエピソードがありますが、その中で主人公である光源氏の大きな転機となったのが、「須磨」そして「明石」の巻だと言われています。
実は紫式部は「源氏物語」の中でも「須磨」「明石」から書き始めたという話もあるというほど、思い入れのあるのがこの巻だと言われています。
源氏物語の主人公・光源氏のモデルになったのが歌人として知られる在原業平の兄弟で貴族・歌人であった在原行平です。
理由は明らかになっていませんが、在原行平は何らかの罪で須磨に流されたと言われています。一説では在原行平はたいそうなプレイボーイで、他の貴族からの嫉妬もあったのだとか。もし真実だとしたら源氏物語そっくりのエピソードですよね。
在原行平は須磨滞在時に、海辺で過ごしていたときに浜辺に流れ着いた木片と絹糸から一絃琴を造り、寂しさを紛らわすために奏でていたのだとか。この一絃琴は須磨琴といわれ、今でもその音色が守られています。
また行平は須磨で「もしほ」と「こふじ」という海女の姉妹と出会い、二人を「松風」・「村雨」と名付けて寵愛したといいます。都へ戻ることになった行平は、その姉妹に形見として身につけていた烏帽子と狩衣を残したのだとか。行平が須磨を去った後、姉妹は尼となりましたが最後まで行平を慕い待ち続けたといいます。
このエピソードも、源氏物語の「須磨」「明石」の元となった話です。
創建は仁和2年(886)とされる須磨寺。正式には上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)といわれ、真言宗須磨寺派の本山です。
在原行平は須磨に蟄居していたので須磨寺ともゆかりのある人物。この時代から須磨と源氏物語は深くつながっていて、ひとつの観光名所であったのかもしれませんね。境内にはたくさんの桜があり、桜の名所となっています。
※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。