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仲が良かった吉田松陰のきょうだいたち

 幕末の長州藩で、革命家や指導者として活躍した吉田松陰には、6人のきょうだいがいました。きょうだいは仲が良かったようで、松陰の家族愛や人間像を表すエピソードが数多く残っています。

 夭折した艶を除く5人のきょうだいは、どんな人たちだったのでしょうか。

長男で杉家跡取りの梅太郎

 杉家の父親は百合之助、母親は瀧で、二人の最初の子である長男の梅太郎(民治)が生まれたのが文政11年(1828)でした。その2年後に寅次郎(松陰)が生まれ、松陰のすぐ下の妹が千代、さらに寿、艶、文、敏三郎と、子宝に恵まれました。

 梅太郎は、革命家として激しい人生を貫いた松陰とは違い、杉家の跡取りとして「家を守る」ことに尽くしてきました。対照的な性格の二人ですが、2歳違いということでとても仲が良かったそうです。

 松陰は何度か牢獄につながれたことがあります。学問好きの松陰のために、梅太郎は書物の差し入れを欠かさなかったといいます。梅太郎の心の中に「跡取りである自分に代わって、国家や藩のために尽くせ」という激励の思いがあったのでしょう。

 梅太郎は長州藩の役人として勤め、明治に入ると岩国市山代という地域の治水事業にも携わりました。さらに、松陰が数多くの若き藩士たちを教えた松下村塾を再興し、弟の遺志を継ぐかのように門弟たちの教育にあたったのでした。

兄・松陰を語り継いだ千代

 千代は松陰の2歳年下の妹で、年齢が近かったこともあり、松陰を最もよく知るきょうだいでした。晩年、千代が雑誌のインタビューで松陰について語った記事が掲載され、松陰の人となりが広く紹介されたのです。

 千代は松陰について「お世辞なども言わないような人だから、一見するととても不愛想に思われていた」「正直を重んじるその思いが、尋常ではなかった」などと語っています。のちの世に出来上がった「松陰像」の原点になっている気がします。

 千代をはじめ、寿、文のことも常に気にかけていたようで、妹たちには「心さえ清ければ、それでいいのだよ」と話していたといいます。千代は、その言葉を生涯忘れることはなかったようです。

兄の盟友に嫁いだ寿と文

 松陰には小田村伊之助という若いころからの友人がいました。小田村は明治になって楫取(かとり)素彦と名乗り、群馬県令として養蚕や製糸産業の発展に尽力した人物です。

 寿が素彦に嫁いだのは嘉永6年(1853)で、親友との結婚を大いに喜んだそうです。その後、松陰の過激な思想に素彦が離れがちになっても、松陰は刑場の露と消えるその時まで、彼を盟友として信頼し続けました。

 時代は下り、明治政府から群馬県令を命じられた素彦は、妻の寿が病気がちということもあり、妹の文を呼び寄せます。寿が亡くなった後、文は後妻として素彦の伴侶となり、後半生を共に過ごすことになるのです。

 文は幼い時から松下村塾に出入りしていたとされ、松陰が最も評価していた弟子である久坂玄瑞と安政4年(1857)に結婚します。松陰にとって、玄瑞が家族の一員になったことは、とても嬉しかっただろうと想像できます。

 しかし、玄瑞は師匠の後を追うように、元治元年(1864)の禁門の変で戦死してしまいます。未亡人となった文は長州藩のお城仕えとなり、藩主の嫡男の守役として働いていました。

障がいがあった末弟の敏三郎

 末弟の敏三郎は、松陰と15歳離れていました。つまり、少年時代の多感な時期に、革命家としての兄の行動をつぶさに見ていたことになります。

 敏三郎にはハンディがありました。それは聴覚障がいで、生まれつき耳が聞こえなかったため、言葉を話すこともできなかったそうです。しかしながら、松陰らの影響を受けたのでしょう、読書が大好きな少年だったといいます。

 松陰は敏三郎をかわいがり、江戸でわざわざ絵本を買って実家に送り届けてあげることもありました。そのかいがあって、敏三郎は字が書けるようになったそうです。そんな優しい兄が処刑されたとき、敏三郎はまだ15歳。どんな思いだったのでしょうか。

おわりに

 吉田松陰が家族にあてた最後の手紙には、両親や兄などに「くれぐれもお体に気をつけ、長生きしてください」と忠孝の思いを綴り、妹たちには「大切なのは、人の死を悲しむことではなく、自分がなすべきことをなすことです」と諭しています。

 当時の松陰は「重罪人」として幕府に裁かれようとしていました。しかし、家族の誰もが「寅次郎は正しい道を歩んだ」と信じていたのです。その深い絆こそが、杉家のきょうだい愛を培っていたのだと思います。

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  この記事を書いた人
マイケルオズ さん
フリーランスでライターをやっています。歴女ではなく、レキダン(歴男)オヤジです! 戦国と幕末・維新が好きですが、古代、源平、南北朝、江戸、近代と、どの時代でも興味津々。 愛好者目線で、時には大胆な思い入れも交えながら、歴史コラムを書いていきたいと思います。

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