妖怪歴史学 妖怪と幽霊は違う?古典にはどんな妖怪が登場しているのか

 古い文献を読んでいると、ちらほら妖怪が登場しますよね。

「あれ、また妖怪?」
「ん、これも妖怪の話か??」

 一方で、幽霊らしき存在はあまり出てこないのです(江戸時代くらいの物語から非常に多く登場しま
すが…)。

 何故なのでしょうか?そこで、今回は妖怪についてちょっと学んでみましょう。

妖怪と幽霊は同じなのか

「妖怪って何?」と聞かれて明確に答えられる人は少ないかもしれません。なぜなら、“お化け”として幽霊と混合している人もいるからです。

「そもそも妖怪とは? 幽霊と何が違うのか?」

 この問いに明確な答えを出したのが、民俗学者の柳田国男氏です。先ずは、彼の考えを基に妖怪と幽霊の違いについて解説します。みなさんも妖怪と幽霊、それぞれイメージしながら読んでみて下さい。

妖怪について

 妖怪の特徴は、

  • 出現場所は大抵“決まっている”
  • 相手は“誰でもいい”
  • 出現時刻は“夕方”か“明け方”が多い
  • 格好は人間から動物、器物など“何でもあり”
柳田国男『妖怪談義』より

 つまり、妖怪は出現する場所が決まっていて、そこを通りがかった人なら相手を選ばず怖がらせるのが仕事のようです。

 さらに、真昼間に出てきても何やらマヌケな感じがするし、真っ暗闇で出てきても見てもらえなかったら意味がないので、うっすら姿が見える夕方や明け方に出現して怖さを強調する演出の細かさまで持っています。

 なお、格好が“何でもあり”なのは、妖怪の正体が“物に宿るものが起こす怪異”と考えたからで、物体なら何でもよいわけです。“物の怪(もののけ)”という言葉はここからきています。

幽霊について

 一方、幽霊の特徴は、

  • 出現場所は“決まっていない”
  • 相手は“恨みがある特定の人”
  • 出現時刻は“決まっていない”
  • 格好は大抵“人”
柳田国男『妖怪談義』より

 ほぼ妖怪と真逆な特徴であることに気付くと思います。

 幽霊は足が無いにもかかわらず、何時でも何処までも恨みのある人の所へ自らやってくる執念深さがあります。そして、幽霊の正体は主に“人への恨みや恐怖”が具体化したものと言えます。

A・コントの“三段階の法則”と妖怪、幽霊の起源

 社会学者のA・コントは『社会静学と社会動学』で、人間の精神や知識は三段階を辿るという“三段階の法則”を説いています。その三段階とは、

①学的段階
様々な現象は全て超自然的なものの仕業であると考え、事実は空想されたものによって説明さ
れる段階。

②形而上学的段階
超自然的なものから抽象的な実体をつくって様々な現象を説明する段階。

③実証的段階
観察が重視され、事実を追求して様々な現象の原因を見つけ説明する段階。

 この“三段階の法則”は実に良くまとめられていて、歴史を学ぶ上でも非常に役立ちます。

 まず、縄文~弥生時代あたりまでは神学的段階として “アニミズム” の風習があり、自然には“何か”が宿っていて大切にしなければならない恐ろしい存在、とされていました。

 次に、古墳時代以降が形而上学的段階となり、この“何か”の正体が神や妖怪として具体化され、文献で登場してきます。つまり、

 “得体のしれない力を持つ何かに対する恐れ” → 具体化して”妖怪”

という流れで妖怪が誕生したのです。

 しかし、中世以降になると知識や技術が発展することで「実証的段階」に入ります。すると、これまで得体のしれなかった自然を人間は理解・支配しようとします。(自然科学の発達や自然環境を支配するため土木工事の発展など)

 一方で、世の中は都市化して人口も増えていきます。すると今度は“人間同士のトラブル”が増えていきます。そうなると、“理解し難い他人”こそが得体のしれないものになります。つまり、

 「得体のしれない他人への“恐怖・恨み”」→具体化して「幽霊」

になったと考えられます。

 よって、妖怪の方が歴史が古く原始的で、幽霊の方が近代的な存在であることが分かります。ですから、古い文献には妖怪が多く登場するわけですね。

歴史に登場する妖怪たち

 実際に古い文献ではどのようなものを恐れや不安と感じて妖怪としたのか、いくつか原文(書き下し文)と一緒に紹介します。

「八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)」 恐ろしい自然が妖怪化

(前略)「彼の目は、赤かがちの如くして、身一つに八つの頭・八の尾有り。亦、其の身に蘿と檜・椙と生い、其の長さは谿八谷・峡八尾に度りて、其の腹を見れば、悉く常に血爛れたり」とまをしき<此に赤かがちと謂へるは、今の酸醤ぞ>。
『古事記 上巻』より

 文献で見る最古の妖怪が“八俣の大蛇”でしょう。出雲に来た須佐之男命が毎年“八俣の大蛇”に食べられる娘とその父母を助けるため“八俣の大蛇”を退治する話で、『日本書紀』にも記述があります。

『日本略史 素戔嗚尊』に描かれたヤマタノオロチ(月岡芳年画、出典:wikipedia)
『日本略史 素戔嗚尊』に描かれたヤマタノオロチ(月岡芳年画、出典:wikipedia)

 この “八俣の大蛇” は出雲(島根県)にある斐伊川のことではないか、といわれています。

「毎年決まった時期に起こる斐伊川の氾濫(八俣の大蛇)が人々を襲い、それを鎮めるために生贄を授ける。そして、須佐之男命が治水工事によって斐伊川の氾濫を治めた(八俣の大蛇を退治)」

という内容です。

 因みに、須佐之男命が八俣の大蛇より手に入れた天叢雲剣(草薙剣)ですが、斐伊川流域は“たたら”による製鉄が盛んでしたから、そこで造られた鉄剣、と考えるとさらに面白いですね。

「鵼(ぬえ)」 先の見えない不安が妖怪化

抑源三位入道と申すは、摂津守頼光に五代、三河守頼綱が孫、兵庫頭仲政が子なり。
(中略)此人一期の高名とおぼえし事は、近衛院御在位の時、仁平のころほひ、主上よなよなおびえたまぎらせ給ふ事あり。
(中略)頭は猿、むくろは狸、尾は蛇、手足は虎の姿なり。なく声鵼にぞ似たりける。おそろしなどもおろかなり。
(中略)去る応保のころほひ、二条院御在位の時、鵼という化鳥、禁中にないて、しばしば宸襟をなやます事ありき。先例をもて、頼政を召されけり。(後略)
『平家物語 巻第四』より

 平家が世を治めた後に起きた怪異です。しかも2度も起きています。そして、そのいずれも源三位頼政が退治しています。

 これまで無かった武家による政治。先が見えず不安がる貴族・朝廷の心境を表した怪異なのでしょうか。その怪異を武士が退治するというのは、以降も永く続く武士の活躍を暗示していたのかもしれません。

源頼政が鵺を退治する様子を描いた絵(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
源頼政が鵺を退治する様子を描いた絵(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

「広有怪鳥射事(ヒロアリケテウヲイルコト)」 先の見えない不安が妖怪化2

さる程に、元弘四年正月二十九日改元あつて、建武に遷される。(中略)この年天下に大疫癘して、病死する者甚だ多し。これのみならず、不思議の事ども多くありける中に、その秋の末かとよ、紫宸殿の上に怪鳥現じて、夜な夜な飛び翔りて、「何(いつ)まで何まで」とぞ啼きたりける。

(中略)頭は人の如く、身は蛇の如き形なり。角曲りて歯は鋸の如く生ひ違ひたり。両足に長き距ありて、利きこと剣の如し。羽さきを熨してこれを見るに、長き事一丈六尺なり。不思議なりし怪鳥なり。(後略)
『太平記 巻第十二』より

 有名な後醍醐天皇の建武の新政。これが当時の人々に混乱を与えたことは歴史の授業で習っていると思いますが、混乱した世は一体「いつまで」続くのかという世間の想いが現れた怪異です。

 怪鳥は先に紹介した“鵼退治の頼政”の先例を真似て、弓矢の達人として呼ばれた隠岐次郎左衛門広有によって退治されます。なお、この怪鳥は江戸時代に描かれた『今昔画図続百鬼』という妖怪画集で“以津真天”として紹介されています。

『今昔画図続百鬼』に描かれた以津真天(出典:wikipedia)
『今昔画図続百鬼』に描かれた以津真天(出典:wikipedia)

これは妖怪と幽霊のどっち?

 一方で、これは妖怪なのか幽霊なのか判別しにくい輩もいます。妖怪か?幽霊か?皆さんも考えながら原文(書き下し文)をお読みください。

斉明天皇葬儀で現れた青い蓑笠の鬼

是の夕に、朝倉山の上に、鬼有りて大笠を著て、喪の儀を臨み視る。衆、皆嗟怪ぶ。
『日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇』より

 この鬼は斉明天皇の幽霊?と考えることもできますが、恨みを果たすための何か行動に出ているわけではなく、葬儀の様子を山の上から静観しているだけです。よって、先述の柳田国男氏による基準で考えれば幽霊ではなく妖怪になります。

 因みに、斉明天皇といえば土木事業が有名ですね。ですから、斉明天皇の死んだことによってもう破壊されないであろう、と安堵する山(朝倉山)が鬼になって登場したのでは、と私は考えます。

 または、重労働を課せられていた当時の人々の気持ちを“鬼”と表現したのでしょうか?斉明天皇が造らせた運河のことを当時の人は、

「狂心の渠」
『日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇』より

と呼んでいたくらいですからね。

怨霊は妖怪?幽霊?

 都市化の進んだ平安時代以降によく登場する “怨霊”は、妖怪なのか幽霊なのかも同様の基準で考えるとはっきりします。

 例えば、菅原道真(清涼殿に雷を落とした怨霊)や崇徳院(建春門院・高松院・六条院・九条院などの相次ぐ死去)などは、疫病・日照りなどの自然災害も起こし、不特定多数を狙っていますので妖怪と判断しがちですが、特定人物だけでなく “世の中全体” に対して恨みを持っていた考えると、しっかりその対象に恨みを果たしていますので幽霊となります。

おわりに:現代社会はハイブリッドが主流?

 こうしてみていくと明らかに妖怪と幽霊は異なります。今後は古典にて“お化け”が登場したら、妖怪と幽霊の違いに基づいて判別しながら読んでみてください。その背景にあるものが深く見えてきて、古典がより楽しくなると思います!

 しかし、柳田国男氏が『妖怪談義』で、

「たまたま真っ暗な野路などをあるいて、出やしないかなどとびくびくする人は、もしも恨まれるような事をした覚えがないとすれば、やはりそれは2種の名称を混同しているのである」

 と書いているように、現在の人々は2種(妖怪と幽霊)の区別など意識せず、ただ“怖いもの(お化
け)”として捉えている気がします。実際にホラー映画や小説を読んでいると、「これは妖怪?幽霊??どっちなんだ・・・」と悩んでしまう“恐ろしきもの”が登場することがあります。

 もはや現在社会においては妖怪も幽霊も区別なく、2者のハイブリッドとして“お化け”という存在だけが残っていくのかと思ってしまいます。そうなると少し寂しい気もしますね。


【主な参考文献】
  • 『妖怪談義』柳田国男 講談社学術文庫(1995年)
  • 『妖怪学新考-妖怪からみる日本人の心―』小松和彦 小学館(1994年)
  • 『妖怪の民俗学-日本の見えない空間-』宮田登 岩波書店(1990年)
  • 『百鬼夜行の見える都市』田中貴子 ちくま学芸文庫(2002年)
  • 『世界の名著 第36巻』より「社会静学と社会動学」A・コント、霧生和夫訳 中央公論社(1970
    年)
  • 『太平記2 巻第十二~巻第二十』小学館(1996年)
  • 『平家物語一』小学館(1990年)
  • 『古事記』小学館(1997年)

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  この記事を書いた人
まつおか はに さん
はにわといっしょにどこまでも。 週末ゆるゆるロードバイク乗り。静岡県西部を中心に出没。 これまでに神社と城はそれぞれ300箇所、古墳は500箇所以上を巡っています。 漫画、アニメ、ドラマの聖地巡礼も好きです。

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