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大河ドラマ「光る君へ」で注目!紫式部が青春時代を過ごした町・越前
- 2024/01/29
紫式部は「源氏物語」の作者として有名ですが、京の都(宮廷)をテーマにした作品なので京都のイメージが強いかもしれません。しかし、実は紫式部は京を離れ、福井県でも過ごしたことがあると言います。
今回は紫式部が過ごした町、越前の関連スポットを紹介していきます。歴史好きの方はぜひチェックしてみて下さいね。
紫式部の幼少期
紫式部の父親は、藤原為時(ふじわら の ためとき)という貴族で政治家・歌人でした。京都に生まれた紫式部ですが、幼いころに母親を亡くし、父の元で成長します。
父の為時は国司(その国をおさめる責任者、現代でいう知事のようなもの)として越前の国に赴任することになり、娘の式部も同行したと言われています。996年に都を離れ越前に来て、1年ほど過ごしたそう。紫式部は天禄元年(970)から天元元年(978)の間に生まれたとされているので、十代後半から二十代前半の青春時代をここで過ごしたのかもしれません。
越前ってどんな国?
福井県越前市は、自然に囲まれた静かな街。紫式部はこの地で京都にはない雄大な自然や文化に触れ、感性を育んだと言われています。紫式部が住んでいた場所からは越前の日野山という山が見えました。紫式部はその山を眺めながら、故郷を思い浮かべ歌も詠んでいます。
こゝにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に けふやまがへる
目の前の日野山に降り積もる雪を眺めながら、故郷の様子を懐かしみ、小塩山(京都の山)の松にも雪が降っているのだろうか、と思い浮かべる状況が描かれています。やはり故郷への想いが強かったのかと思わせる歌ですね。
越前からふたたび京へ
紫式部は越前の滞在を約1年半で終え、京都へ戻っています。
父・為時の任期はまだ残っていたので、一緒に来た父を残しての帰郷だったそうですが、この翌年に紫式部は藤原宣孝と結婚しているため、おそらく結婚が関係していたのでは、と言われています。
独身時代最後の時間を越前でゆっくり過ごしていたのかもしれませんね。
越前市にある紫式部の関連スポット
市内にある「紫式部公園」はその名の通り、紫式部に由来したスポット。紫式部の生きた平安時代の貴族の住居を再現した、全国で唯一の寝殿造庭園です。
園内には紫式部の像が日野山の方向を向いて佇んでいるので、当時の様子を思い浮かべながらゆっくり散歩してみてはいかがでしょうか。
紫式部公園に隣接して、「紫ゆかりの館」という資料館もオープンしています。平安時代にタイムスリップしたような気持ちで巡れるので、時間がある方はぜひこちらも訪問して紫式部に思いを馳せてみて下さい。
<参考>
- 越前市公式サイト 紫式部公園
- 福井県立図書館 通史編1 原始・古代『福井県史』
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