シン・ウラシマタロウ…あまり知られていない浦島太郎の真実
- 2024/11/22
「♪むかし~、むかし~、浦島は~、助けた亀につれられて~♬」
の童謡で有名な『浦島太郎』。子供のころ、昔話として読んだことがある人も多いと思います。最近では、桃太郎・金太郎と一緒に三太郎として某携帯電話会社のCMにも採用されている人気者ですね。
しかし、この『浦島太郎』という昔話。桃太郎や金太郎など他の昔話と比べると、大きく異なる点が存在します。それが何か分かりますか?今回は、『浦島太郎』が他の昔話と異なる点を紹介しつつ、浦島太郎という人物にも焦点を当ててみましょう。
の童謡で有名な『浦島太郎』。子供のころ、昔話として読んだことがある人も多いと思います。最近では、桃太郎・金太郎と一緒に三太郎として某携帯電話会社のCMにも採用されている人気者ですね。
しかし、この『浦島太郎』という昔話。桃太郎や金太郎など他の昔話と比べると、大きく異なる点が存在します。それが何か分かりますか?今回は、『浦島太郎』が他の昔話と異なる点を紹介しつつ、浦島太郎という人物にも焦点を当ててみましょう。
『浦島太郎』を復習
先ずは、昔話『浦島太郎』の内容を復習しましょう。漁師だった浦島太郎は、浜で子供達が亀をいじめているところに遭遇します。そこで、太郎はその亀を買い取って、海へ放してあげます。
数日後、太郎の前に亀が現れ、お礼として太郎を海中の竜宮に連れて行きます。竜宮では乙姫が太郎を歓待します。しばらくして太郎が帰る意思を伝えると、乙姫は「決して蓋を開けてはならない」と言って玉手箱を渡します。
太郎が亀に乗って元の浜に帰ると、地上では何百年もの年月が経過していて、太郎が知っている人はもう誰一人いません。悲しみにくれた太郎が忠告を忘れて玉手箱を開けると、中から白い煙が発生し、太郎は白髪で皺だらけの老人の姿になってしまいました。
これは大正~昭和時代、小学校で採用された教科書『尋常小学国語読本』に書かれていた内容を要約したものです。いたって普通の昔話ですよね。何が他の昔話と異なるのでしょうか??
『浦島太郎』は実際にあった出来事?
実は昔話『浦島太郎』の内容は実際にあった出来事なのではないか、という説があります。因みに、主人公(モデルとなった人)が実在したと言われる昔話は他にもあります。有名なのは金太郎(坂田金時)でしょうか。昔話『金太郎』は熊と相撲をとったり悪者を退治したりする内容ですが、これは『今昔物語』といった説話集や各地に残る伝説を基にしています。
そもそも昔話とは「むか~し、むかし、あるところに…」で始まるように、時代も場所も明確ではないことが多いですね。しかし、『浦島太郎』が他の昔話と大きく異なるのは、浦島太郎の本名、場所、そしていつの出来事か具体的に分かる話という点です。
これは浦島太郎の話が、日本の“国史”といわれる六国史の一つ『日本書紀』の巻第十四「雄略記」に記載されているからです。『日本書記』は巻第一~二が所謂“神話”で、巻第三以降から各天皇の時代に起きた出来事を記した書物です。ですから、浦島太郎の話は神話や伝説などではなく“雄略天皇の時代に起きた出来事”として書かれているわけです。
『日本書紀』の浦島太郎
それでは『日本書紀』における浦島太郎の記述を見ていきましょう。雄略天皇22年(478)7月の条に以下の内容が書かれています。<原文読み下し>
秋七月に、丹波国余社郡管川の人水江浦嶋子、舟に乗りて釣し、遂に大亀を得たり。便ち女に化為る。是に浦嶋子、感でて婦にし、相逐ひて海に入り、蓬莱山に到り、仙衆に歴り覩る。
<筆者意訳>
秋七月に、丹波国与謝郡筒川の住人である水江の浦嶋子は舟に乗って釣りに出て、大きな亀を捕まえた。するとこの大亀はたちまち女になった。浦嶋子はこの女に心を惹かれて妻にし、一緒に海に入り、蓬萊山(とこよのくに)へ着いて、仙人たちに会ってまわった。
『日本書紀』からわかる具体的な浦島太郎
① 本名
浦島太郎の本名は “浦嶋子(うらのしまこ)” といい、苗字が “浦” で名前が “嶋子” になります。皆さんは浦島太郎のことを “うらしま たろう” と呼んでいませんか?筆者も先ほどの昔話『浦島太郎』内で、彼を太郎と省略して記述しています。しかし、それは間違いであることが分かりましたね。彼は “うら しまたろう” だったのです!
② 場所
今の京都府与謝郡伊根町の旧筒川村。丹後半島の東端あたりになります。実際にこの伊根町には、浦島太郎を御祭神(筒川大明神)とする“浦島神社※”があったり、“亀島”と呼ばれる岬があったりします。※式内社“宇良神社”…天長2年(825年)創建
③ いつの話
478年の7月(旧暦ですから今の9月頃?)の出来事です。浦島太郎の謎
『日本書紀』の内容は昔話と少し違いますが、かなり具体的なことが分かりますので、この出来事は本当にあったことなのでしょうか?しかも、『日本書紀』の「雄略記」では“雄略天皇が白髪皇子を皇太子にした話”と“百済の文斤王が死に東城王が即位した話”の間にわざわざ嶋子の話を入れています。
何故でしょうか?謎ですね…。しかし、何か理由があるはずです。
『日本書紀』に嶋子の話を入れたのは何故?
真相は当時の人や舎人親王(『日本書紀』の編者といわれる)に聞くしかありませんが、残念ながら筆者にはその術がないので、いろいろと理由を推測してみます。<理由1>「だって本当の話なんだもん!」
これが本当に起こった出来事なら、きっとあなたにも夢のような出来事が起こるのではないでしょうか。<理由2>「浦嶋子を紹介したかった!」
国史の中で、どうしても嶋子を紹介(登場)させたかったのではないでしょうか。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、浦島太郎の話をより詳しく伝えている文献に『逸文 丹後風土記』があります。その中の「筒川の嶼子」というタイトルがついている文章の冒頭を紹介します。
<原文読み下し>
与謝の郡。日置の里。この里に筒川の村あり。ここの人夫、日下部の首(くさかべのおびと)らが先つ祖、名を筒川の嶼子と云ふひとあり。為人、姿容秀美れ風流為ること類なし。これ、謂ゆる水江の浦の嶼子という者なり。
<筆者意訳>
与謝郡にある日置の里に筒川村があった。ここの住人で、日下部の統率者の先祖にあたる筒川の嶋子という者がいた。彼は容姿が美しくとても優雅な人だった。これが、世間でいわれる水江の浦嶼子である。
なんと、嶋子は日下部氏の先祖であると書かれています。この日下部氏は、雄略天皇后である草香幡梭(くさかのはたび)皇女の料地を管理することになる、と『日本書紀』の「雄略記」には記載されています。つまり、妻の下で働く部民の素性を紹介するうえで、祖となる嶋子について触れておきたかったということでしょうか。
<理由3>「神仙思想は実現できる!」
『日本書紀』が書かれた頃、日本では神仙思想が流行っていたようです。神仙思想とは、簡単に説明すると“不老長寿の仙人に憧れ、自らも仙人(不老長寿)になろう”とする考えです。先に紹介した『逸文 丹後風土記』「筒川の嶼子」は、私たちが知っている昔話『浦島太郎』とよく似ていて、「筒川に戻った嶋子は300年余りの時が過ぎていたことを知り、悲しみで玉匣を開けてしまう…」となっています。
嶋子は蓬莱山で仙人たちに会っています。そのおかげで300年余りも生きることができ、まさに神仙思想を実現した人がいたんだよ、と紹介したかったのでしょうか。
浦島太郎の真実
国史『日本書紀』がわざわざ浦島太郎の話を載せる真相は残念ながら分かりません。一方で、浦島太郎は他の昔話に比べて妙に具体的な設定があることが分かりました。特に、名前が “浦 島太郎” だったという真実!!筆者はここに一番驚きを感じましたが、皆さんはいかがだったでしょうか?
因みに浦島太郎の話は『万葉集』にも載っています。内容はほとんど『逸文 丹後風土記』と同じ。違う点は、玉櫛笥を開けた嶋子が最後に死んでしまうところでしょうか。
そんな嶋子の様子について反歌では、
常世辺 可住物乎 剣刀 己之行柄 於曾也是君
(常世の国に ずっと住んでいればよかったのに 自分の行いで 馬鹿なことをした奴だ)
と歌われています。ちょっと可哀想…。
【主な参考文献】
- 『日本書紀②』小学館、1996年
- 『風土記』小学館、1997年
- 『万葉集②』小学館、1995年
- 早川純夫『誰も書かなかった日本史』日本文芸社、1988年
- 笠原一男、児玉幸多『続 日本史こぼれ話』山川出版社、1999年
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