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 2017/10/18

【逸話 LINEトーク画風】武田軍の蒲原城攻略(1569年)

※『名将言行録』より

永禄12年(1569年)12月、信玄による駿河侵攻が大詰めを迎え、すでに今川氏は事実上滅び、信玄は今川に援軍を出す北条氏との抗争を繰り広げていた。

こうした中、信玄が北条綱重の守る駿河国・蒲原城に攻め込んだときのことである。

ーーー 駿河国・蒲原城周辺ーーー

信玄は蒲原城内に使者を出し、開城を試みた。

<a href='https://sengoku-his.com/shingen'>武田信玄</a>アイコン

信玄の使者

武田の使者にござる。こたびは朋輩のご連中と城の明け渡しをお願い申す。

北条綱重

うぬう・・。我等はいやしくも北条幻庵のせがれであるゆえ、他の者らとはいささか違う。わしは降伏はせぬ。もし信玄が攻めてくるというならば一戦を辞さぬ覚悟だ。帰ってそのように伝えるがよい。

家臣アイコン

これを聞いた信玄は・・・・

武田信玄アイコン

武田信玄

うむ、やむを得んな。明日は駿河の城に取りかかることとし、蒲原城はまたのことにする。

こうして御触れをだした。

武田方は去る同年10月に三増峠で北条方を討ち破っていたが、信玄がこの戦いのことを知ると、また言った。

武田信玄アイコン

武田信玄

敵の城兵らは打って出てきたところで我らを食い止められまい。老臣らは出てこないが、綱重だけは氏康・氏政より豪勇の士だからおそらく外へ討って出てくるだろう。

北条の忍び

・・・

家臣アイコン
武田信玄アイコン

武田信玄

もし敵兵が食い止めに討ってでてきても、かまわずにつき進むのじゃ。ここで兵数を減らし、駿河の城攻めに手間取ってはどうしようもないわ。

北条の忍び

!!(むう、すぐに報告しなくては・・)

家臣アイコン

信玄はこうして作戦を立てたが、敵の忍びが潜んで話は聞かれていた。
忍びが城に戻ってこれを報告すると、敵の上下の者らは競い合って言った。

北条諸将ら

諸将A:明日、武田が通るところを討って出て食い止めようぞ。
諸将B:いや、通した後に追って討つのがよかろう。

家臣アイコン

北条綱重

うむ、敵の先手と本隊を分断してしまえば、信玄を討ち取ることは容易じゃ。

家臣アイコン

などと意見を言い合った。

ーーーーーーーーーー

さて、武田の先手が5日の途中に出発し、6日の朝には由井倉沢まで通った。しばらく間をおいて小山田備中昌辰が本隊の少し先を行った。すると案の定、綱重と狩野新八郎が城を出払って武田先鋒と本隊との間に割って入り、打って出てきた。

そして北条綱重が昌辰と競り合う隙に、武田四郎勝頼が道場山から攻め込み、その他本隊と後備・脇備が一緒になって蒲原城を乗っ取ったのであった。

これをみて綱重は城に引き返すが後の祭りであり、小山田勢の追撃を受けてことごとく首を討ち取られたのであった。



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