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いざ鎌倉 ~漫画巨人の星にも登場した「鉢の木物語」とは
- 2025/09/20

昭和40年代の野球漫画として、多くの子供たちに夢と感動を与えた「巨人の星」。主人公・星飛雄馬の成長を描く漫画の中に、鎌倉時代の逸話として知られる「鉢の木物語」のエピソードが盛り込まれていたことをご存じでしょうか?
「巨人の星」とは
漫画「巨人の星」は梶原一騎氏の原作、川崎のぼる氏の作画で、昭和41年(1966)から週刊少年マガジンに連載され、野球漫画の代表格となりました。幼い時から父・星一徹と読売巨人軍のスターを目指していた星飛雄馬が、紆余曲折の中で巨人軍に入団。自身の弱点を克服した魔球「大リーグボール」を駆使し、父親やライバルたちと熾烈な戦いを繰り広げるというストーリー。
「鉢の木物語」のエピソードは、飛雄馬が巨人軍の新人公募テストに合格し、川上哲治監督が自ら星家を訪れ、一徹に報告した際に用いられています。
では、「鉢の木物語」とは、どんな逸話なのでしょうか。
「鉢の木物語」とは
「鉢の木物語」の舞台となったのは鎌倉時代中期の北関東。雪が降る寒い夜、佐野源左衛門常世のあばら家に一人の僧が宿を求めてきました。貧しい常世は「ろくな接待もできません」としつつ、凍える僧を見かねて泊めてあげることにしたのです。やがて、囲炉裏の火が燃え尽きようとしていました。常世は大切にしていた盆栽(鉢の木)を囲炉裏にくべて、僧をもてなします。そして、「今は落ちぶれているが、鎌倉に大事があれば、いの一番に駆け付けてみせる」と言い、御家人の心意気を示しました。
そののち、鎌倉幕府は戦のために御家人たちに召集をかけます。常世は言葉通り、一番に駆け付けたのです。その姿を見て涙した執権・北条時頼こそ、旅の僧その人でした。
時頼は、常世が失った領地を回復させただけでなく、鉢の木の恩に報いて新たな領地を与えたのでした。


「巨人の星」でどう描かれた?
「巨人の星」のなかでは、川上監督と星一徹が、この逸話をもとに入団テスト合格までの道のりを振り返ります。星飛雄馬は甲子園での高校野球決勝戦で、爪が割れていたのを隠して血染めのボールを投げ続け、力尽きました。隠した理由は控え投手の名誉を守るためで、「それは常世が大切な盆栽を火にくべた行為と重なる美しい姿だ」と川上監督は語ります。
血染めのボールの話が公になってしまい、多くの球団が多額の契約金を提示してスカウトに現れる中で、巨人軍は飛雄馬を採ろうとしません。その代わり、川上監督はシーズン中にもかかわらずあえて新人公募テストを実施したのです。
川上監督の真意を一徹は悟ります。つまり、入団テストは「鎌倉幕府の召集」であり、テストにやって来た飛雄馬は常世同様「いざ鎌倉」の意気込みを示したのです。
佐野源左衛門は架空の人物?
「鉢の木物語」に描かれた鎌倉時代は、幕府と御家人が「御恩と奉公」という関係で結ばれていました。御家人は幕府のために命がけで働き、幕府は御家人に恩賞を与えたり、領地を安堵したりしていました。物語に登場する北条時頼は、執権から隠居した後に諸国を訪ね歩いたそうで、その伝説に基づき、江戸時代に創作されたのが「鉢の木物語」です。能や講談の演目として今も上演され続けています。
佐野源左衛門常世は逸話で作られた架空の人物とされていますが、実在だったとも言われており、栃木県佐野市の願成寺には常世の墓や位牌が残されています。
おわりに
漫画「巨人の星」の根幹をなす「星飛雄馬の巨人軍への強い思い」は、鉢の木物語にある「鎌倉幕府と御家人」の強固な結びつきに例えられていたことが分かりました。鉢の木物語の歴史的背景を頭に入れながら「巨人の星」を改めて読んでみると、少年時代に無我夢中で読んだ時とは違った感動を漫画から得ることができました。
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