浜名湖に沈んでいる幻の戦車 〜四式中戦車「チト」〜
- 2025/04/01

平成11年(1999)の1月3日、中日新聞朝刊(静岡版)に「奥浜名湖に幻の戦車」という見出しの記事が掲載されました。
その内容は、「太平洋戦争末期に2両だけ完成した “幻の戦車” と呼ばれる四式中戦車チト(以降チトと表記)の1両が静岡県引佐郡三ヶ日町(現在は静岡県浜松市浜名区三ヶ日町)の浜名湖湖底に現在も沈んでいる」というものです。
当時の軍関係者や住民の証言で明らかになったこのニュースは、歴史愛好家たちに驚きと期待を持たせるものでした。そもそもチトはなぜ「幻の戦車」と呼ばれるのか? チトとはどのような戦車だったのか?
今回は、この四式中戦車チトに焦点を当てていきたいと思います。
その内容は、「太平洋戦争末期に2両だけ完成した “幻の戦車” と呼ばれる四式中戦車チト(以降チトと表記)の1両が静岡県引佐郡三ヶ日町(現在は静岡県浜松市浜名区三ヶ日町)の浜名湖湖底に現在も沈んでいる」というものです。
当時の軍関係者や住民の証言で明らかになったこのニュースは、歴史愛好家たちに驚きと期待を持たせるものでした。そもそもチトはなぜ「幻の戦車」と呼ばれるのか? チトとはどのような戦車だったのか?
今回は、この四式中戦車チトに焦点を当てていきたいと思います。
ニュースの詳細
このニュースに登場する軍関係者(大平安夫氏)の話をさらに詳しく紹介した雑誌『丸 12月号』(1999年 No.64)の記事を要約してみましょう。
昭和20年(1945)、戦車技術者の大平氏が所属する“独立戦車第八旅団”は本土合戦のため大陸から三ヶ日に移動してきた。
2月、上官から「もうじき日本に2両しかない新型戦車がここへ来るよ」と聞かされた。
3月23日、愛知県豊橋市の高師原で“SK”と書かれた新型戦車1両を受け取ると、上半分をシートで被せた状態で三ヶ日まで運転して戻った。
しかし、その後すぐに「米軍が遠州灘に上陸する」という情報が入ったため、この新型戦車を使った訓練をする間はなく、近くの山の麓に隠したまま終戦を迎えた。
8月23日か25日、三ヶ日町大崎の浜名湖と猪鼻湖の境界付近、猪鼻湖神社がある辺りで
チトが沈んだ時、「ガーン」という岩にでも衝突したような大きな音が聞こえた。なお、この3両を沈めた理由は、戦後にアメリカ側からウインザーキャリアの捕獲についてあれこれ聞かれるのは嫌、SKは軍事機密だし、チハも敵やるのは癪だったから。
2月、上官から「もうじき日本に2両しかない新型戦車がここへ来るよ」と聞かされた。
3月23日、愛知県豊橋市の高師原で“SK”と書かれた新型戦車1両を受け取ると、上半分をシートで被せた状態で三ヶ日まで運転して戻った。
しかし、その後すぐに「米軍が遠州灘に上陸する」という情報が入ったため、この新型戦車を使った訓練をする間はなく、近くの山の麓に隠したまま終戦を迎えた。
8月23日か25日、三ヶ日町大崎の浜名湖と猪鼻湖の境界付近、猪鼻湖神社がある辺りで
- ①英軍から捕獲した装甲兵員輸送車ウインザーキャリア
- ②内部の無線機を取り外すなどかなり改造した九七式中戦車(チハ)
- ③新型戦車SK(チト)
チトが沈んだ時、「ガーン」という岩にでも衝突したような大きな音が聞こえた。なお、この3両を沈めた理由は、戦後にアメリカ側からウインザーキャリアの捕獲についてあれこれ聞かれるのは嫌、SKは軍事機密だし、チハも敵やるのは癪だったから。
非常に興味深い内容ですね。確かに戦争に負けたとはいえ、敵に戦車をくれてやるのは嫌だという気持ち、分かります。
この内容について、その後の検証で明らかになった点を列記すると、
- 旅団が移動する前にSKを受領している旅団の移動は5月下旬〜6月上旬だが、大平氏を含む20名ほどが先発隊として先に三ヶ日に来ていた
- SKと呼ばれた新型戦車とはチトのこと軍の記録、大平氏の証言内容からチトである可能性が非常に高い
- 一緒に沈められたウインザーキャリアはユニバーサルキャリアの間違い浅い所に沈んでいたため、戦後に引き上げられスクラップにされている。また、一緒に沈められたのはチハではなく、チヌ(三式中戦車)ではないか、という説もあります。
幻の戦車・チトとは
チトとは一体どのような戦車だったか、簡単に紹介します。新型戦車の開発
当時の日本陸軍主力戦車だったチハは、アメリカ軍の主力戦車Mー4シャーマンに全く歯が立ちませんでした(砲弾を命中させても跳ね返され、逆に命中されると即炎上する)。そこで、日本陸軍はシャーマンに対抗するため、新型戦車を次々と開発します。170両生産された一式中戦車(チヘ)は、装甲を厚くして防御力を高めますが(チハの倍の50mm)、主砲がチハ改と同じだったため、シャーマンを撃破することは出来ませんでした。
166両生産された三式中戦車(チヌ)は、本土決戦用の切り札として口径75mm野砲(榴弾砲)をチヘに取り付けただけの苦し紛れの設計で、重量増加により機動性は低下したものでした。
チトの開発
そもそも日本陸軍の戦車は “歩兵直協車両” の位置付けだったため、生粋の “対戦車用” 戦車は存在しませんでした。そこで、初の“対戦車用” 戦車として開発されたのがチトです。75mmの戦車砲(キャノン砲)&最大装甲75mmの装備を持ち、車体からエンジンまで全て新設計されたチトは、シャーマンと同等の戦力を持つ戦車として開発されます。
当初の計画では、昭和20年度内に三菱重工で200両生産予定でしたが、結局 “2両の試作機” が完成するのみとなりました。
2両のチト
昭和19年5月、試作機が1両完成します。これは57mmの戦車砲(キャノン砲)を搭載した “前期型” といわれるものです。しかし、破壊力が小さかったため、上述の通り75mm砲に換装した“後期型”に変更します。ですから、一般にチトと言ったら75mm砲を持った “後期型” を指します。昭和20年2月に三菱重工東京機器製作所で完成したチト1号機は、相模原で試験運転後に貨車に積まれ、富士裾野演習場で射撃試験を実施した後、豊橋へ運ばれます。
田原にある伊良湖射場で様々な試験を行った後に、三菱重工東京機器製作所へ戻るため三河田原駅から貨車に載せられる予定でした。しかし、三河田原駅まで送られたチト1号機は忽然と姿を消すのです。
一方で、チト2号機は千葉戦車学校に研究用として配備され、終戦を迎えています。8月下旬にアメリカ軍が接収し、アメリカ本土のアバディーンに運ばれて各種の性能試験が行われた後に、標的となって破壊されました。
1号機が2号機同様アメリカ軍に接収された記録は無く、現在も行方不明なため「幻の戦車」と呼ばれるようになったのです。
湖底に沈んだチトを探す
〝幻の戦車、チトが浜名湖に沈んでいる〟
このニュースが流れた後、愛知県豊橋市にあるプラモデルメーカー・ファインモールドの会長や、地元模型店主ら12人が「四式中戦車を引き揚げる会」を発足させます。しかし、資金が足らずに活動休止となってしまいます。
その後、平成24年(2012)に地元三ヶ日の町おこしグループ「ステキみっかび発信プロジェクト:SM@Pe(スマッぺ)」が「幻の戦車・調査プロジェクト」を開始しました。
この年の11月から平成27年(2015)3月にかけて鉄パイプによる探査、音波探査、ダイバーによる潜水探査、磁気探査などが合計4回実施されています。特に磁気探査で金属反応の高い場所を特定することができましたが、チト発見には至りませんでした。

本当にチトは浜名湖に沈んでいるのか?
実際にチトを沈めた大平氏やその様子を見ていた地域住民の証言により、水没地点は特定されているのに発見されないチト。本当に今も沈んでいるのでしょうか?「水中で酸化して分解し小破片となってしまった」や「水流で別の場所に流されてしまった」など、発見できない理由はいくつか挙げられました。しかし、車重30トンもあるチトが、酸化して小破片になったり水流で流されたりすることは考えにくいです。
ちなみに、『湖底の戦車 ─幻の四式中戦車チトのゆくえ─』筆者の大野勝美氏は「磁気探査機器の能力不足」を指摘しており、筆者もこれが一番可能性として高いのでは、と思っています。
浜名湖の湖底に沈んでいるチトが発見される日はいつになるのでしょうか?
【主な参考文献】
- 大野勝美『湖底の戦車 ─幻の四式中戦車チトのゆくえ─』(ブイツーソリューション、2024年)
- あかぎよしのり『幻の日本陸軍中戦車 チト+チヌ/チリ マニアックス』(秀和システム、2023年)
- 花田雅春 編『太平洋戦争 日本帝国陸軍 日本軍隊史上最大の組織』(成美堂出版、2000年)
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