【豊臣兄弟!】秀吉・秀長兄弟の父「弥右衛門」は百姓だったのか?

  • 2026/01/05
:歴史学者・作家・評論家

 大河ドラマ「豊臣兄弟!」第1話は「二匹の猿」。

 「豊臣兄弟!」の主人公は豊臣秀吉の弟・秀長です。秀長を演じるのは仲野太賀さん。兄・秀吉役は池松壮亮さんです。2人がどのようにして天下統一を成し遂げていくのか、壮大な物語がスタートしました。

 秀吉が生まれたのは天文6年(1537)のこと。秀吉の父は弥右衛門と言いました。弥右衛門は尾張国中村(愛知県名古屋市中村区)で百姓をしていた人物です。弥右衛門はよく「木下弥右衛門」と表記されることがあるのですが、これは秀吉が木下姓を名乗ったことから敷衍して付けられたものであり、おそらく弥右衛門は木下の苗字は名乗っていなかったと思われます。

 江戸時代初期の旗本・土屋知貞が纏めた聞書に『太閤素生記』がありますが、それによると弥右衛門は織田信秀(織田信長の父)に「鉄砲足軽」として仕えていたとのこと(同書の記述の中には誤りもあり、全面的に信頼することはできないが)。しかし、秀吉が生まれた頃の信秀の居城は勝幡城(愛知県稲沢市・愛西市)であり、中村から遠方にいる信秀に弥右衛門が仕えていたとは考えにくいとの見解もあります(柴裕之『秀吉と秀長「豊臣兄弟」の天下統一』(NHK出版、2025年)。弥右衛門が仕えていたのは清須城の織田大和守家ではないかと言うのです。

 また弥右衛門は「百姓」だったと前述しましたが、異説もあります。弥右衛門の姉妹の嫁ぎ先が「青木」「福島」(家)という苗字を名乗っている家に嫁いでいることから、弥右衛門は百姓ではなく「それ相応の立場」だったのではないかというのです。「それ相応の立場」というのは、具体的に言えば織田大和守家に仕えていた(在村)被官だったということです。合戦にも参加していた弥右衛門ですが、負傷してしまい中村に引っ込み「百姓」となります(『太閤素生記』)。そして同書によると、秀吉が8歳の頃に亡くなってしまうのです。

 ちなみに弥右衛門の妻は「仲」(天瑞寺殿)であり、彼女との間に智、秀吉が生まれています。かつては秀長は仲が後に嫁いだ筑阿弥の子とされていました。しかし、弥右衛門の死が天文12年(1543)ということが確認されており、天文9年(1540)に生まれた秀長は弥右衛門の子という事になります。秀吉と秀長は父母を同じくする兄弟だったという訳です。


【参考文献】
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  この記事を書いた人
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。 武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。兵庫県立大 ...

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