「この借りは必ずお返しいたしまする」家康の影武者となった鈴木久三郎の運命は?
- 2026/01/20
人質の身から天下人まで上り詰めた徳川家康。その生涯における三大危機の一つが、三方ヶ原の惨敗でした(あと二つは三河一向一揆と神君伊賀越え)。
時は元亀3年(1572)12月22日。家康は「甲斐の虎」武田信玄の術中に陥り、多くの家臣を喪ったばかりか、自身の命さえ危うい状況だったと言います。家康が窮地を脱せられたのは、命を捨てて守り抜いた忠臣たちのお陰と言えるでしょう。
今回はそんな忠臣たちの一人・鈴木久三郎(すずき きゅうざぶろう)について紹介したいと思います。
時は元亀3年(1572)12月22日。家康は「甲斐の虎」武田信玄の術中に陥り、多くの家臣を喪ったばかりか、自身の命さえ危うい状況だったと言います。家康が窮地を脱せられたのは、命を捨てて守り抜いた忠臣たちのお陰と言えるでしょう。
今回はそんな忠臣たちの一人・鈴木久三郎(すずき きゅうざぶろう)について紹介したいと思います。
家康の鯉と酒を盗み出す
鈴木久三郎は生年不詳、詳しい出自なども不明ながら、家康がまだ岡崎城主だった若いころから仕えていました。※徳川家康は時期によってしばしば名を変えていますが、わかりやすさのため徳川家康で統一します。
ある時、家康の鷹狩り場では鳥獣の密猟が相次いだため、家康は違反者を摘発させます。また城のお堀で魚を獲ることも禁じており、密漁者を次々と投獄させました。摘発・投獄された者の中には、徳川家臣も少なからず含まれており、主君に対する不忠を恥じ入ったことでしょう。
久三郎:「何ゆえ斯様(かよう)な振る舞いを……」
久三郎が事情を聞けば、みな飢えと貧しさに苦しむあまり、密猟・密漁に手を染めてしまったとのこと。これは情状酌量の余地があろうと思うのですが、家康は一切許してくれません。
久三郎:「よぅし相わかった。殿が左様にお考えならば……」
久三郎は家康の館へ忍び込み、池の鯉と酒を盗み出します。それで何をするのかって?知れたこと、獄中の仲間たちへ差し入れるに決まっているでしょう。
久三郎:「方々、腹が減っておろう。これは殿からの賜わりものじゃ、遠慮のう平らげよ!」
甲:「鈴木殿、忝(かたじけな)い」
乙:「しかし久三郎よ。斯様なことをして、ただではすむまい」
久三郎:「……それが狙いよ」
いったい久三郎は何を考えているのでしょうか?
久三郎かく語りき
さて、池の鯉と酒が盗まれた家康は、怒髪天を衝かんばかり。久三郎の仕業と知って、薙刀を喉元へ突きつけました。家康:「この不届き者め、何か言い残すことはあるか」
久三郎:「大ありじゃ、このどたぁけが!」
恐れ入って命乞いをするかと思ったら、開き直って大声一喝。怯む家康に構わず、久三郎は語り出します。
久三郎:「誰が好きこのんで密猟(密漁)などすると思っておるのか。みんな貧しい暮らしの中で、腹をすかせた一族郎党を食わせにゃならんのじゃ。家臣がみな飢え死にしたら、殿は誰の力で天下を獲られるおつもりか。殿が独り占めなさっている鳥や獣や魚が天下を獲ってくれると仰せなら、我ら家臣など皆殺しになさればよろしい」
家康:「わかったわかった、悪かった……」
家康は獄中の家臣らを釈放すると約束しました。
久三郎:「有り難き仕合せ……時に、それがしは殿に不敬をはたらいてしまいました。その咎は潔くお受けいたすゆえ、どうか切腹でも斬首でも、御意に処されませ」
先ほどの態度から一転、久三郎は平伏します。しかしここで久三郎を処罰したら、家康は”諫言に耳を貸さぬ暗君”との悪評が立ってしまうでしょう。
家康:「そなたの命は、しばし貸しておくゆえ、今後も忠義に勤めよ」
久三郎:「この借りは必ずお返しいたしまする」
かくして久三郎はお咎めなし、家臣たちもめでたく釈放されたのでした。
三方ヶ原で借りを返す
とまぁそんなエピソードが大道寺友山の家康説話集『岩淵夜話』第十五話(池の鯉の咄)に記されていますが、久三郎はこの時の借りを、三方ヶ原で返したのです。……御危急なりし時鈴木久三郎御麾賜りて討死せんと申す。 君汝一人を討せてわが落ち延むこと本意にあらずとて聞せたまはず。久三郎はしたゝかなるものなれば大に怒りて眼を見はり。さてさて愚なる事を宣ふものかなとて。強て御麾を奪取りて只一人引き返し奮戦す。御帰城の後あはれむべし久三定めて戦死しつらんと宣ふ所へ。久三郎つと帰りきて御前へ出ければ。殊に御けしきうるはしく。汝よく切り抜しと仰ければ。久三郎思ひしより手に立ざる敵の様に侍るはとさらぬ顔して座し居たり。……
もはやこれまで、かくなる上は潔く斬り死にせんと逸る家康に対し、久三郎は進言しました。
久三郎:「御麾(采配)をお貸し下され。それがしが影武者として討死いたす」
家康:「そなた一人を見捨ててまで生き延びようとは思わぬ」
家康は強情を張って言い張りますが、またしても久三郎は家康に怒鳴りつけます。
久三郎:「このどたぁけが、よいからよこせ!」
言うなり家康の手から御麾を奪いとり、ただ一人で迫りくる武田の大軍へ殴り込みをかけたのでした。
家康:「久三郎……」
這々(ほうほう)の体で浜松城へと逃げ帰った家康は、久三郎は討死したものと思って気落ちしていたようです。”我こそは家康なり” と名乗りながら大軍の中で殴り込んで、生還できるはずはありません。が、久三郎はひょっこり帰ってきたのでした。
家康:「久三郎!そなたよう斬り抜けて参ったな!」
たいそう喜ぶ家康に対して、久三郎は事もなげに言い放ちます。
久三郎:「天下に名だたる武田の衆も、思ったほどではなかったわい(思ひしより手に立ざる敵に侍るわ)」
ボロボロになりながら呵々大笑、もう足腰も立たぬほどくたびれているのに、減らず口は天下一品でした。
終わりに
かくして見事に借りを返した久三郎ですが、その後どうなったか、詳しいことはわかっていません。たった二つのエピソードですが、忠義に篤くて偏屈な三河武士らしさが凝縮されたキャラクターとして、今も人々に愛されています。家康が天下を獲ったのは、こうした家臣たちの懸命な奉公あってこそ。他にも魅力的な武将がたくさんいるので、改めて紹介したいと思います。
【参考文献】
- 澤宮優『殿様を叱る!歴史を動かした戦国大名家臣たちの直言集』(新人物往来社 2011年)
- 高橋駿雄 訳注『泰平の世を開いた徳川家康の言行録 岩淵夜話 全五巻』(大船庵 2020年)
- 成島司直 等(編『徳川実紀 第壹編』(経済雑誌社 1904年)
- ※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。
- ※Amazonのアソシエイトとして、戦国ヒストリーは適格販売により収入を得ています。
この記事を書いた人
鎌倉の最果てに棲む、歴史好きのフリーライター。時代の片隅に息づく人々の営みに強く興味があります。
得意ジャンル:日本史・不動産・民俗学・自動車など。
執筆依頼はお気軽にどうぞ!






コメント欄