いまさら聞けない「天下五剣」。スペックとストーリー総復習
- 2022/01/01
精魂込めた匠の技と研ぎ澄まされた鋼が織りなす、優美な刀剣である日本刀。武器として生まれながら、見る者の心に深い感動を呼び起こす芸術品でもあります。古来、その美しさを称え、多くの人々が刀を愛でてきました。それは武士のみに限らず、時には戦と無縁と思われる人々によって破邪の神器としても奉じられてきたのです。
あまたの名刀はあれど、その中でも来歴・造りともに白眉とされる五振りが語り継がれてきました。世に「天下五剣」と呼ばれるものです。これらは、少なくとも室町時代頃にはその名が知られていたと考えられ、明治期以降の刀剣研究者たちがやがて「天下に響く名刀中の名刀五振り」という意味で天下五剣と呼びだしたと言われています。
近年の、刀剣をモチーフにしたメディア作品などの人気ですっかり有名になった刀もありますが、それぞれがどのようなものなのか、そのスペックとストーリーを総復習してみましょう。
あまたの名刀はあれど、その中でも来歴・造りともに白眉とされる五振りが語り継がれてきました。世に「天下五剣」と呼ばれるものです。これらは、少なくとも室町時代頃にはその名が知られていたと考えられ、明治期以降の刀剣研究者たちがやがて「天下に響く名刀中の名刀五振り」という意味で天下五剣と呼びだしたと言われています。
近年の、刀剣をモチーフにしたメディア作品などの人気ですっかり有名になった刀もありますが、それぞれがどのようなものなのか、そのスペックとストーリーを総復習してみましょう。
【目次】
三日月宗近(みかづきむねちか)
まずは太刀、「三日月宗近」です。もしかするともっともよく名が知られているものかもしれません。この太刀は平安時代の刀工・三条宗近作のもので、国宝に指定されています。刃長約80cm・反り約2.7cmで、天下五剣の中でも随一の美しさと評される優美な姿をしています。刃文に三日月状の模様が浮き出ていることが号の由来で、日本刀としてはもっとも古い部類のものでもあります。
豊臣秀吉の正室である高台院(ねね)より徳川秀忠に贈られ、以後は徳川家の所蔵となりましたが、それまでの来歴は詳らかではありません。室町幕府第十三代将軍・足利義輝が最期の戦闘でこの三日月を振るったという伝説が有名ですが、信頼できる史料にはその事実は記載されていないようです。
昭和26年(1951)に国宝指定を受け、現在では東京国立博物館の所蔵となっています。
大典太光世(おおでんたみつよ)
「大典太光世」は平安時代後期の刀工・典太光代作の太刀で、国宝に指定されています。刃長約66cm・反り約2.7cmで、太刀としては短めですが身幅が特に広いという姿が特徴です。本来は足利将軍家の宝刀でしたが、豊臣秀吉の手を経て前田利家に与えられ、以後、現在に至るまで前田家が代々守ってきました。
銘の「大典太」とは、前田家所蔵の典太光世作刀剣に長いものと短いものの二振りがあり、長い方を「大」と呼んだことに由来します。また、病魔や妖かしからの守護に霊験のあることで知られ、利家の四女で秀吉の養女・豪姫の病気平癒に力を発揮したことや、伏見城で噂された怪異を退けたなどの伝説を持っています。
数珠丸恒次(じゅずまるつねつぐ)
「数珠丸恒次」は平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての刀工・青江恒次作の太刀で、重要文化財に指定。刃長約81cm・反り約3cmで、天下五剣のうちでは最も長いものとなっています。恒次は後鳥羽上皇の命により、一か月交代で院に勤番した「番鍛冶」の一人であり、そんな刀工は敬意を込めて「御番鍛冶」とも呼ばれます。
数珠丸の所有者としてもっとも有名なのが、鎌倉時代の僧侶で日蓮宗の開祖・「日蓮」でしょう。身延山へと入山する際、信者より護身用に贈られたこの太刀の柄に数珠を巻いて封印し、武器としてではなく神器たる守り刀としたことはよく知られています。「数珠丸」の号もその故事に由来するとされています。
数珠丸は日蓮の死後、しばらくしてから所在が不明となりましたが、明治9年(1876)になんとオークションにかけられているところを発見されました。発見者である刀剣研究家の杉原祥造氏は、日蓮ゆかりの身延山久遠寺への返却を打診しますが、真贋が定かではないとされ叶いませんでした。結果、近くの本興寺に奉献、以後現在に至るまで同寺が所蔵することとなりました。
童子切安綱(どうじぎりやすつな)
「童子切安綱」は、平安時代の刀工・安綱作の太刀で、国宝に指定されています。刃長約80cm・反り約2.7cmで、特にすさまじい切れ味を誇ったことで知られています。童子切安綱は源頼光による「酒呑童子討伐」の伝説が有名で、鬼の頭目とされる酒呑童子の首を斬り落としたとされることから、「童子切」の号が付けられたといいます。源氏重代の宝刀とされながら、足利将軍家や徳川家、複数の持ち主の間を転々とした流浪の刀剣でもありました。
最終的には津山松平家の所蔵となり、昭和8年(1933)に国宝の指定を受けました。戦後には松平家から複数の個人へと所有者が移りましたが、昭和38年(1963)、文化庁が購入し現在では東京国立博物館が所蔵しています。
鬼丸國綱(おにまるくにつな)
「鬼丸國綱」は、鎌倉時代初期の刀工・國綱作の太刀で、天下五剣唯一の「御物(ぎょぶつ・皇室の所有品)」となっています。刃長約78cm・反り約3.2cmで、それまでの太刀の特徴である鍔元が大きく反る「腰反り」から、刀身全体が反る「輪反り」へと変遷していく時期のものです。「鬼丸」という印象的な号は、鎌倉幕府第五代執権の北条時頼が夜ごとうなされていた小鬼の悪夢を払ったという故事に由来しています。夢枕に國綱の太刀の化身である翁が現れ、その言い付けどおり刀身を磨き上げて部屋に立てかけていたところ、ひとりでに倒れて鞘から抜け出て、火鉢の細工物だった鬼の首を斬り落としました。それ以来、時頼が悪夢にうなされることはなくなったため、この太刀を「鬼丸」と名付けたといいます。
鬼丸はその後、時の権力者の手を経ながら後水尾天皇(1596〜1680)の時代に御所へと献上されます。しかし皇太子が亡くなったことを不吉として本阿弥家に返却、紆余曲折を経てやがて明治天皇の時代に正式に御物となりました。それゆえ、ほとんど一般公開されることがなく、写真を含めた資料も希少な刀剣となっています。
おわりに
これらは非常に古い時代の作であり、その造りの素晴らしさに加えて様々な伝説や来歴が一層の箔となり、古来多くの人々に愛されてきました。それぞれのストーリーを思いながら鑑賞すると、感激もひとしおです。貴重な展示の機会には、ぜひ刀の歴史もチェックしてみてくださいね。【主な参考文献】
- 歴史群像編集部編『歴史群像シリーズ【決定版】図説 日本刀大全Ⅱ 名刀・拵・刀装具総覧』(学習研究社、2007年)
- 『歴史群像シリーズ特別編集【決定版】図説・日本武器集成』(学習研究社、2005年)
- 本間 順治監修・佐藤 寒山編著・加島進協力『別冊歴史読本 歴史図鑑シリーズ 日本名刀大図鑑』(新人物往来社、1996年)
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