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「北白川の戦い(1558年)」三好長慶と将軍・足利義輝の和睦。将軍は5年ぶりに帰京

東滋実
 2020/06/04

京都の北白川天神宮。手前の橋は白川を渡る石橋
京都の北白川天神宮。手前の橋は白川を渡る石橋

将軍・足利義輝と細川晴元は長く三好長慶と対立と和睦を繰り返し、天文22(1553)年の東山霊山城の戦いに敗北した義輝はその後5年超の時を近江の朽木谷で過ごすことになりました。

その間、将軍の力は弱まる一方で、このままでは将軍の地位すら危ういと焦慮した義輝は、入京のための兵を挙げたのです。
(文=東 滋実)

弘治から永禄への改元を知らされなかった義輝

何年も帰京することができず朽木に留め置かれた義輝がこのままではまずいと挙兵を決意したきっかけは、弘治4(1558)年2月の改元でした。

正親町(おおぎまち)天皇の即位に合わせて行われた改元は、義輝に通告されなかったのです。

通常、改元にあたっては将軍に改元の相談し費用の負担を求めるものですが、それどころか知らされることすらなかったため、義輝は改元後も半年の間「弘治」を使い続け、天皇に抗議の意を示しました。

朽木で指をくわえて三好政権の活躍を眺めている場合ではない。この一件により、義輝は晴元とともに坂本で挙兵しました。

長く将軍家や晴元を支援してきた近江国守護・六角氏の当主・義賢の支援もあり、合計で3000あまりの兵が集まったようです。

北白川の戦い

幕府軍が5月3日に坂本に到着すると、三好方の重臣・三好長逸(ながやす)、松永久秀は1万5000の兵を集めて、幕府軍に先んじて6月2日に将軍山城(勝軍山城)を占拠。

これに対抗するように幕府軍も6月4日、如意ヶ嶽を占拠し、戦いは如意ヶ嶽の西麓の鹿ヶ谷で始まりました。

北白川の戦いマップ。色塗部分は山城国

小競り合いが続く中、将軍山城を如意ヶ嶽から見下ろす側である幕府軍が有利になります。

7日、三好軍は孤立を恐れてか城に放火して雨の中退却し、将軍山城を幕府軍に奪われることになりましたが、翌8日には長逸と久秀・長頼兄弟が如意ヶ嶽を占拠し、幕府軍の残留兵を討ち取っています。

9日、両軍は北白川で激突し、三好軍が幕府軍の兵70名を討ち取って勝利となりました。

六角義賢の調停で和睦、将軍の帰京

その後も戦いは続き、両軍一進一退で膠着状態に。幕府軍の支援者である六角義賢はこのまま将軍を援助するのは難しいと判断してか、和平交渉に入り、11月になって義輝と長慶の和睦がなりました。

この間、長慶は7月に同族の三好康長を阿波から呼び寄せ、続いて8月9月には長慶の弟・三好実休(義賢)、十河一存、安宅冬康、また長慶嫡男の義興らが続々と集まり、堺で会合を行っています。これが幕府軍側への圧力となり、持久戦の構えであった義輝も和睦に同意するしかない状況になったようです。

ただ、長慶との和睦に最後まで反対したのが細川晴元でした。天文20(1551)年の相国寺の戦いに敗れて慶と義輝が和睦したときも、晴元は和睦の条件として嫡男の聡明丸(昭元)を人質に取られるも、和睦を受け入れず出家していました。

長慶の父・元長の代から何かと因縁のある主従関係で、長慶には絶対頭を下げたくないのはもはや意地でしょうか。和睦が成立したあとも晴元は坂本に残り、依然として反長慶の姿勢を貫きます。

将軍・義輝は10代で京を追われ、ろくに将軍として働くこともできずにいた5年の月日を経て、11月27日に和睦して帰京しました。母方の実家の近衛家とも離れていたものの、翌12月には、伯父の近衛稙家の娘を正室に迎えて関係修復を図っています。

義輝は将軍家の求心力を回復させるため、その後は地方の大名同士の争いの調停を積極的に行い、権威回復をめざしました。

長慶はなぜ和睦したのか

義輝帰京後は長慶の全盛に変わりはありませんでしたが、将軍親政の時代でもありました。

あのまま戦っていれば圧倒的な兵力差をもって幕府軍を完全に追い込むこともできたはずですが、なぜ和睦に踏み切って帰京した将軍を迎え入れたのか。

これは、将軍を立てることで長慶自身の権威を高めるためであるともいわれますが、周辺諸国の大名の存在を意識したためであったのかもしれません。

義輝が帰京すると、翌永禄2(1559)年には織田信長、長尾輝虎(上杉謙信)、斎藤義龍らが上洛して将軍に謁見しています。

地方大名たちは武士の棟梁である将軍の権威復活を望んでおり、長慶は義輝との対立を長引かせることで大名たちとの関係が悪化することを危惧したとも考えられます。


【参考文献】
  • 『国史大辞典』(吉川弘文館)
  • 日本史史料研究会監修『室町幕府全将軍・管領列伝』(星海社、2018年)
  • 福島克彦『戦争の日本史11 畿内・近国の戦国合戦』(吉川弘文館、2009年)
  • 今谷明『戦国三好一族 天下に号令した戦国大名』(洋泉社、2007年)
  • 長江正一 著 日本歴史学会 編集『三好長慶』(吉川弘文館、1968年 ※新装版1999年)

  この記事を書いた人
東滋実 さん
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター ...


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