好きな武将ランキングでは上位に君臨する信長ですが、残虐さでも有名です。今回紹介するのは、本能寺の変の前年である天正9(1581)年3月に信長が竹生島を参詣したときのエピソード。信長留守中に羽目を外した女房衆が成敗されてしまうというお話です。
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鬼の居ぬ間に洗濯。こわい信長がいない間に二の丸に行ったり、桑実寺に行ったりして遊んでいた女房たち(ここでいう女房は妻ではなく仕えている女性たちのこと)。
遠方に行くから信長は一泊してくるだろうと考えていたのですが、ところがどっこい信長は日帰りでさっさと帰宅したのです。帰ってきてみれば女房衆は遊び惚けている、そういうわけで信長は彼女らやかばった寺の長老まで成敗してしまったのでした。
安土城は琵琶湖の東側の湖畔にあり、竹生島は琵琶湖北部にある島です。現代の感覚からすると遠足で気軽に日帰りできる距離で、陸路でも3時間あれば行って帰れる距離です。
安土城から竹生島までどの程度の距離かというと、『信長公記』には水陸合わせて片道15里とあります。まずは陸路で長浜まで行き、そこから船で島へ渡る行路。
1里は約4kmですから、15里では60km。往復では120kmになります。地図上の直線距離では水路で片道約30km程度ですが、長浜を経由するとそれくらいになってしまうようです。
これなら確かに「どこかに泊まって帰ってくるだろう」と思うでしょうね。
信長は女房衆の予想を裏切って、日帰りで帰ってきました。
『信長公記』には、日帰りした信長の行動を
「誠に希代の題目なり。併(しかしながら)御機力も余人にかはり、御達者に御座候の処、諸人感じ奉り候なり」(『信長公記』より引用)
と述べており、普通ではありえない行動だが、信長の気力は人並み以上で皆感嘆した、とあります。
気力もそうですが、普通の人ではありえないスケジュールの詰め方は、信長がせっかちな性格だったからかもしれません。
信長と面識のあった宣教師ルイス・フロイスは「信長は性急」だと表現していますし、信長はサラサラ食べられる湯漬け(茶漬け)が大好物だったそうですから、やや性急なところはあったのかも。
竹生島から日帰りしたのも、そういう性格によるところなのかもしれませんね。
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