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  • 織田信長
 2017/11/20

信長の妻と子供ら総勢29名のまとめ。略系図付き!

織田信長と妻子のイラスト

織田信長の妻子は多くいますが、実は正室の濃姫や嫡男の信忠ぐらいしか知らない、といった方が多いのではないでしょうか。

ということで、ここでは信長の妻子たちについて、家系図とともに彼らの経歴を簡単にまとめてみました。

信長の妻 7人の略歴

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濃姫(のうひめ、1535?-?年)

信長の正室。織田信秀斎藤道三による政略結婚により、信長の許嫁となった。信長に嫁いだ後に関しては史料がほとんどないため、その生涯は謎めいている。また、通説では信長との間に子はいないものの、娘がいたという文献があるため、定かではない。

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生駒吉乃(いこま きつの、1528?-66年)

信長の側室。織田家の家臣・生駒家宗(いこま いえむね)の長女。長男・信忠が信長の後継者となった。

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慈徳院(じとくいん、?-?年)

信長の側室。信忠の乳母を務めたのが縁で側室となった。

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坂氏(さかし、?-?年)

信長の側室。三男織田信孝の母で名は不明。信長の死後、信孝が柴田勝家と結び、秀吉に岐阜城へ攻め込まれた際に降伏して秀吉の人質となった。その後、賤ヶ岳の戦い(1583年)で信孝が再挙兵したため、孫娘と共に処刑された。

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養観院(ようかんいん、?-?年)

信長の側室。四男羽柴秀勝の母。

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お鍋の方(ようかんいん、?-1612年)

信長の側室。信長死後は秀吉の庇護下に置かれ、秀吉の正室・ねねの側近筆頭として仕えたという。

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土方氏(ひじかたし、?-?年)

信長の側室。信長との間に九男・信貞をもうけた。土方雄久の娘と伝わる。


信長の子 22人の略歴

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織田信忠(のぶただ、1555?-82年)

信長の長男。母は側室の生駒吉乃。一説に濃姫が信忠を養子としたという。信長の後継者として、甲斐武田家を滅ぼした甲州征伐(1582年)では織田軍の総大将を務めたものの、わずか数カ月後の本能寺の変で父同様に自害の運命をたどった。

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信雄(のぶかつ、1558-1630年)

信長の二男。母は側室の生駒吉乃。信長の伊勢攻略で北畠具房の養子に送りだされた。信長死後、織田家の覇権を握った秀吉に対抗するため、家康を頼って小牧・長久手の戦い(1584年)を引き起こしたが降伏した。江戸幕府下では大坂の陣の直前で徳川方に与し、晩年はのんびりと過ごした。

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神戸信孝(のぶたか、1558-83年)

信長の三男、母は側室の坂氏と言われている。信長の死後、秀吉と対立する柴田勝家に味方し、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、最期は自害させられた。

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羽柴秀勝(ひでかつ、1569-86年)

信長の四男、母は側室の養観院。秀吉が子の羽柴石松丸秀勝を亡くしたため、羽柴秀吉の養嗣子となる。信長死後は秀吉に与し、賤ヶ岳の戦いや小牧・長久手の戦い(1584年)に従軍したが、その後まもなくして病没した。

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勝長(かつなが、?-1582年)

信長の五男、母は不明。実名は織田源三郎信房。本能寺の変で信忠の側にいて、明智軍と奮戦して討ち死にした。

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信秀(のぶひで、1571?-1597年以降)

信長の六男、母は不明。祖父と同じ名前である信秀は、父信長の死後に秀吉に仕えて羽柴姓・豊臣姓を賜った。九州征伐(1587年)への従軍や文禄の役(1592-93年)での肥前名護屋城への駐屯などの記録が残る。時期は定かではないが、関ヶ原合戦の前後には病死した。

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信高(のぶたか、1576-1603年)

信長の七男、母は側室のお鍋の方。信長死後、氏家行広に養育を受ける。関ヶ原の戦い(1600年)では東軍と西軍のどちらに属したかは史料が一定せず、定かではない。江戸幕府が成立した1603年(慶長7年)に死去。

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信吉(のぶよし、1573-1615年)

信長の八男、母は側室のお鍋の方。関ヶ原の戦いでは三成率いる西軍につき、戦後に改易となった。

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信貞(のぶさだ、1574-1624年)

信長の九男、母は側室の土方氏。豊臣政権下で秀吉の馬廻となり、関ヶ原の戦いでは三成方に与して戦後は改易となった。その後は家康から赦免されて、大坂の陣(1614-15年)では徳川方として従軍している。

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信好(のぶよし、1573-1615年)

信長の十男、母は不明。秀吉に仕え、茶人となった。

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長次(ながつぐ、?-1600年)

信長の十一男、母は不明。豊臣秀吉の馬廻衆となった。のちに関ヶ原の戦いの本戦で戦死した。

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徳姫【松平信康室】(とくひめ、1559-1636年)

信長の長女、母は側室の生駒吉乃。松平信康室。

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相応院【蒲生氏郷室】(そうおういん、1561-1641年)

信長の二女、母は側室の養観院。蒲生氏郷の正室。

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永姫【前田利長室】(えいひめ、1574-1623年)

信長の三女、母は不明。前田利長室。

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報恩院【丹羽長重室】(ほうおんいん、1574-1653年)

信長の四女、母は不明。丹羽長重室。

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秀子【筒井定次室】(ひでこ、?-?年)

信長の六女、母は不明。筒井定次の正室。実父は明智光秀という説もある。

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於振【水野忠胤室】(おふり、?-1643年)

信長の七女、母は側室のお鍋の方。水野忠胤正室、のちに佐治一成継室。

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源光院【万里小路充房継室】(げんこういん、?-1600年)

信長の八女、母は不明。万里小路充房の継室。

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三の丸殿【豊臣秀吉側室】(さんのまるどの、?-1603年)

信長の九女、母は側室の慈徳院。豊臣秀吉の側室、秀吉死後は公家の二条昭実の継室となった。

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鶴姫【中川秀政室】(つるひめ、?-?年)

信長の十女、母は不明。中川秀政の正室。

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月明院【徳大寺実久室】(げつみょういん、?-1608年)

信長の十一女、母は不明。公家の徳大寺実久の正室。

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慈眼院(じげんいん、?-1641年)

信長の十二女、母は不明。織田・北条両家での縁組で北条氏直の婚約者になったとされる。しかし、本能寺で信長が横死したため、縁組は消滅したとみられている。




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