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「八流の戦い(1569年)」強敵、安芸氏を滅ぼす!

  • 長宗我部元親
 2017/10/18
安芸城の大手虎口
安芸城の大手虎口

安芸氏との和睦が決裂

本山氏を降伏させた元親であったが、今度は翌永禄12年(1569)に安芸氏と雌雄を決するときがきた。

安芸氏と和睦していた元親だが、決裂するに至った背景には以下のような説がある。

  • 『元親記』:香宗我部親泰を通して安芸国虎が元親に降伏を願い出たが、それを破ったために元親が安芸攻めを決断したとする説。
  • 『長元記』:安芸国虎と一条兼定が、元親居城の岡豊城を攻めてきたため、元親がそれを撃退後に反撃したとする説。
  • 『土佐物語』『土佐国古城伝承記』:元親が安芸氏との確執を取り除こうと、岡豊での会談を申し出たが、安芸国虎は"敵国での会談場所は降伏扱い" だとして怒って断交、元親の安芸攻めに繋がったとする説。

これらの真相は定かでないが、両者は決裂し、永禄12年7月、元親が安芸城へと攻め込んだのは確かである。

八流の戦い

戦いの経過は『元親記』によれば、元親が7千余の軍勢を率いて出陣し、軍勢を二手に分けて攻撃したという。
国虎も支配下の土豪らに籠城を呼びかけ、5千余の軍勢で八流に陣を敷いたが、長宗我部軍が勝利をおさめ、敵方を安芸城まで退けたという。

戦後、安芸城は降伏・開城

その後、勢いに乗った長宗我部方は、敗走した敵方が籠もった新荘城・穴内城の2つの支城をまもなく陥落させ、そのまま安芸城に迫るが、このときに安芸氏の譜代家臣が次々と長宗我部方に転じたようだ。

敵方は安芸城に籠もって24日間抵抗したが、兵糧も尽き、一条氏の援軍もなかった。国虎は一条夫人を国許に返し、子の千寿丸を阿波国へ逃すという役目を終え、元親に降伏を願い出て、最期には家臣らの助命と引き換えに自害して果てたという。こうして安芸氏は滅んだ。

まとめ

元親はその後、残る安芸郡東部の安芸氏の諸城を攻略していき、安芸郡の抑えとして、安芸城には弟の香宗我部親泰を、新荘城・穴内城の2つの支城には吉田左衛門佐を配置するなどして岡豊へ帰国したのであった。


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