クリス・ペプラーが光秀の子孫ってホント!?タレントに光秀の末裔が存在した

タレントのクリス・ペプラー氏が明智光秀の末裔。最近初めて知ったという方も多いのではないでしょうか。2020年放送の大河ドラマ「麒麟がくる」を前に光秀への注目は高まっており、数年前にテレビ番組内で末裔だとわかったクリス・ペプラー氏は明智光秀ゆかりの地の特別大使に起用されるなどしています。

ここでは件の番組を観ていない方のために、光秀からどのようにしてクリス・ペプラー氏までつながるのかを紹介しましょう。

「7時にあいましょう」で光秀の末裔と判明?

クリス・ペプラー氏は、幼少期に祖母から「あなたは明智光秀の末裔なのよ」と聞かされて育ったのだそう。詳しくは知らないままこの言葉だけを長年覚えていて、ずっと真偽もわからず謎に思っていたクリス・ペプラー氏。TBSのバラエティー番組「7時にあいましょう」の中で調査を依頼し、歴史研究家で同じく光秀の末裔とされる明智憲三郎氏による検証が行われました。

ペプラー氏の母方は土岐氏

手がかりとなったのは、母方の姓が土岐氏であること。土岐氏といえば鎌倉時代から続く由緒正しい名家で、本姓は清和源氏。土岐氏の祖といわれる土岐光衡(ときみつひら)は平安末期から鎌倉初期にかけての武将で、鎌倉幕府の御家人です。

鎌倉時代から長く美濃国にあり、室町時代ごろには美濃守護職にあった家です。光秀がこの土岐氏の庶流にあたるということは、別の記事でも紹介しています。

クリス・ペプラー氏の母方の家は家紋も土岐氏の「土岐桔梗」であり、つながりがある可能性は十分。ここから先祖にさかのぼるべく菩提寺で過去帳を調べてみると、クリス・ペプラー氏の高祖父「土岐頼敬」氏までさかのぼることができました。

土岐氏の家紋「桔梗」
土岐氏の家紋「桔梗」

ペプラー氏の高祖父が土岐頼芸の流れを汲んでいた

頼敬氏の戒名は「院殿号(いんでんごう/最高位の諡号)」であり、これだけでも高い家柄であることがわかります。手がかりである高祖父「土岐頼敬」の名は、美濃守護の家系である土岐頼芸(ときよりのり)の系図に見られました。

頼芸といえば土岐氏の当主でしたが、斎藤道三の下剋上によって美濃国を追われて放浪の身に。晩年はもとの家臣であった稲葉一鉄の配慮で美濃にもどり、81歳で没しています。

頼敬の名は、その頼芸の系図の最後に記されていたのでした。菩提寺も一致しており、この名がクリス・ペプラー氏の高祖父の名であることは確認されました。


土岐氏と光秀のつながり

しかし、同じ土岐氏といっても頼芸と光秀はそもそも流れが違います。光秀は土岐氏の支流のひとつ「明智氏」の生まれとされています。

「クリス・ペプラー氏が土岐氏であったことはわかったけれど、でも光秀の末裔とは言えないのでは…」そう思いますよね? しかし、明智憲三郎氏は頼芸の子孫と光秀のつながりを示すある推理をします。

明智憲三郎氏の推理とは?

当時の歴史をみると、光秀の妻子は坂本城で滅んだことになっています。しかし、現に憲三郎氏をはじめとする光秀の末裔を名乗る人々は現在まで脈々と続いているわけですから、秀吉方の目をかいくぐって光秀の子供らが生き延びていた可能性は十分にありました。


そこで憲三郎氏は土岐頼芸の息子・頼次の子供たちに注目しました。

頼次の長男は系図によると「斎藤外記」。これは光秀の家老・斎藤利三の実子である可能性があるのです。斎藤利三の没後、その妻は数人の子を連れて稲葉一鉄に匿われました。なぜかというと利三の妻は一徹の娘だったからです。そのうちの男子のひとりが頼次の養子となったと考えられます。

そこからさらに、頼次の次男・頼勝に注目してみましょう。するとどうやら家督を継いだのは長男ではなく頼勝でした。系図によれば高家に列せられ、左馬助・土佐守であったようです。これはなぜなのか。

憲三郎氏は、頼勝が光秀の実子であるという仮説を立てました。

光秀の子を利三の子らの中に紛れ込ませて一徹が匿い、さらに土岐頼次の養子として名を変え生き延びた…。それならば、利三の子とされる長男ではなく、主君・光秀の子とされる頼勝が家督を継いだ理由もわかります。

人知れず生き延びた光秀の実子が土岐頼勝に名を変え、当主になっていた。それがクリス・ペプラー氏までつながっている、というのです。

100%末裔だと断定はできないが

系図にはっきり書かれているわけでもなく、口伝によって「光秀の末裔だ」と伝えられただけ。調査にあたった明智憲三郎氏は、これを以って「クリス・ペプラー氏は光秀の末裔だ」と断言することはできない、と述べています。

しかし、光秀の子孫と伝わる家では、代々「明智」姓を名乗らず、系図にも記さず、口伝のみで伝えてきたといいます。理由はもちろん、謀叛人の子孫ゆえ隠れる必要があったからですね。

明智憲三郎氏は、由緒ある土岐氏の高家があえて「光秀の子孫」と伝承してきたこと、系図を400年以上もさかのぼれることは「極めて特異」だと述べています。

だって、土岐頼芸の流れならそれだけで家格が高いことは示せます。それこそ「鎌倉時代から続く土岐氏の末裔なんだよ」と伝わっているのがふつうではないでしょうか。

あえて「光秀の子孫」を口伝によって伝えてきたのは、頼芸の家系のどこかで光秀とつながったから。光秀の実子が頼次の養子となり、その子孫が代々土岐氏をつないでいった。100%ではないとはいえ、これは確かに「クリス・ペプラーは光秀の末裔」だと示すことのできる証拠でしょう。






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  この記事を書いた人
東滋実 さん
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター。 卒業後は日本文化や歴史の専門知識を生かし、 当サイトでの寄稿記事のほか、歴史に関する書籍の執筆などにも携わっている。 当サイトでは出身地のアドバンテージを活かし、主に毛利元就など中国エリアで活躍していた戦国武将たちを ...

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