『平家物語』で語り継がれる一族の栄枯盛衰。「平氏」の家紋とは?

「平氏」の家紋イラスト
「平氏」の家紋イラスト
 平安時代末期に朝廷を脅かすほどの権勢を誇った「平氏」。平清盛をはじめとする武士氏族の栄枯盛衰を描いた『平家物語』は、およそ800年の時を超えて今なお読み継がれています。

 「平家にあらずんば人にあらず」「おごれる平家も久しからず」「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」等々、平氏と聞くとどちらかといえば栄華を極めた者が滅びゆくことへの哀悼のニュアンスが強いかもしれません。しかし、その後の鎌倉幕府創設と武士による政権誕生に至る、大きな潮流をつくったのが平氏だったといえるでしょう。

 では、平氏とはいったいどのような氏族だったのでしょうか。本記事では平氏の出自と系統を概観し、主に武家としての家流に焦点を当てて彼らがどのような家紋を使っていたのか、探ってみることにしましょう。

「平氏」の出自とは

 平氏のはじまりは天長2年(825)、桓武天皇の孫にあたる高棟王(たかむねおう)らが「平(たいら)」の姓を賜り、臣籍降下したことによります。

 桓武天皇といえば平安遷都を行った天皇として知られ、この系統の平氏を「桓武平氏」と呼んでいます。これ以外にも仁明(にんみょう)・文徳(もんとく)・光孝の各天皇の系譜に連なる平氏が存在しましたが、桓武平氏以外はやがて衰退していきました。

 平氏のうち、公家としての家流と武家としてのそれがありますが、中でも平清盛を輩出した伊勢平氏の系統がよく知られています。よく見聞きする「平家」という表現は、この清盛を中心とした集団のこととされ、血縁だけではなく清盛派の他氏族を含む捉え方という説もあります。

 全国へと赴任していった桓武平氏の一族のうち、平安時代中期以降に関東平野を拠点として武士化していった集団がありました。それは「坂東八平氏」と呼ばれ、千葉・上総(かずさ)・三浦・土肥・秩父・大庭(おおば)・梶原・長尾の各氏が挙げられます。

 伊勢平氏はこの坂東八平氏の勢力が伊勢方面へと伸長して形成されましたが、必ずしも一枚岩ではありませんでした。同じく桓武平氏の流れを汲む北条氏が源頼朝擁立の中心的役割を果たしたように、鎌倉幕府の成立にはこうした関東を拠点とする在地の平氏たちの力も大きく作用していたのです。

平氏の紋について

 平氏が用いた紋としてイメージされているものに、「揚羽蝶(あげはちょう)」があります。

家紋「揚羽蝶」
家紋「揚羽蝶」

 これは源平合戦をモチーフとした錦絵などでよく描かれたことに由来するとされ、特に清盛流の紋と位置付けられることが多いようです。しかし平氏に連なる武家でこの揚羽蝶を家紋とする例は珍しいとされ、平氏自体の代表紋としては疑問を呈する声もあります。

 その一方、中~下級公家として命脈を保った公家平氏では揚羽蝶を家紋として用いており、西洞院や交野などの名が挙げられます。

 なぜ揚羽蝶をモチーフに選んだのかという議論もありますが、家紋ではこうした天地自然の動植物から意匠のヒントを得ることは珍しくありません。

 一説には幼虫から脱皮を繰り返して華やかな姿となることや、優雅に舞うその様子にあやかったものともいわれます。一見かわいらしいデザインではありますが、そこには立身出世に精力を傾けた武士らしい願いすら感じられるようです。

平氏の系譜に連なる戦国武将たち

 もっとも権勢を誇った平氏の家流といえる清盛流は滅亡しましたが、多くの傍流があることからその系譜を名乗る戦国武将も各地に存在していました。

 もっとも有名な人物としては、第六天魔王の異名で知られる織田信長でしょう。信長は桓武平氏を称し、家紋も織田木瓜に加えて揚羽蝶を用いていました。

 また豊臣秀吉はその正確な出自がよくわかっていませんが、天正11年(1583)から同13年まで平氏を名乗っていました。これは『公卿補任』という朝廷高官の名簿に初めて記載されたもので、「平秀吉」としています。

 秀吉は天正13年(1585)に関白に叙任されるにあたり、先代の関白であった近衛前久の猶子となって「藤原」へと改めました。必要が生じた際に最初に平氏を名乗ったのは、やはりかつての主君である信長にならったものと考えられています。

 また、信長の乳兄弟である池田恒興は、氏族の正確な系譜は不明であるものの織田信秀(信長の父)から拝領した揚羽蝶の紋を用いていました。少なくとも池田氏の源流は平氏ではないと考えられていますが、主従の絆によって蝶の紋を背負った例ともいえるでしょう。



おわりに

 古来日本では、蝶は魂の化身だという観念がありました。それは生者・死者を問わないもので、それが群舞する様子について戦乱など不吉なことが起こる前触れと考えたことが史書に認められます。

 単に美しいというだけではなく、どこかこの世ならぬ幽玄の風情をまとう蝶。平氏の運命を思う時、あまりにもイメージが符合する気がしますね。



【主な参考文献】
  • 監修:小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)
  • 『歴史人 別冊 完全保存版 戦国武将の家紋の真実』(KKベストセラーズ、2014年)
  • 『国史大辞典』(ジャパンナレッジ版)(吉川弘文館)
  • 『日本大百科全書』(ジャパンナレッジ版)(小学館)
  • 古谷隆一「蝶雨 蝶合戦」『信州昆虫資料館報 No.9』(信州昆虫資料館、2012年)

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  この記事を書いた人
帯刀コロク さん
古代史・戦国史・幕末史を得意とし、武道・武術の経験から刀剣解説や幕末の剣術についての考察記事を中心に執筆。 全国の史跡を訪ねることも多いため、歴史を題材にした旅行記事も書く。 「帯刀古禄」名義で歴史小説、「三條すずしろ」名義でWEB小説をそれぞれ執筆。 活動記録や記事を公開した「すずしろブログ」を ...

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