“武家の棟梁”で知られる一大氏族!「源氏」の家紋とは?

「源氏」の家紋イラスト
「源氏」の家紋イラスト
 日本史上初の武士による政府である幕府。その開祖は言わずと知れた源頼朝ですが、その氏族である源氏は元をたどれば貴族でした。それも天皇の皇子という血筋であり、もちろん武家だけではなく、公家としての家流も大いに栄えたことが知られています。

 源氏はいくつもの系統に分かれていますが、頼朝を代表とする武家源氏では「清和源氏」という系譜がもっとも有名でしょう。本記事では源氏の出自と系統を概観し、主に武家としての家流に焦点を当てて彼らがどのような家紋を使っていたのか、探ってみることにしましょう。

「源氏」の出自とは

 「源(みなもと)」の姓のはじまりは弘仁14年(814)、嵯峨天皇の八人の皇子がこれを賜ったことによります。これは天皇の皇子が多く生まれた場合に皇籍ではなく臣下という待遇にするケースで、「臣籍降下」と呼ぶこともあります。

 この最初の源氏を「嵯峨源氏」といい、その後も仁明・文徳・清和・陽成・光孝・宇多・醍醐・村上・花山・三条の各天皇の皇子・皇女が源姓を賜りました。それぞれの始祖となる天皇の名を冠して「○○源氏」と呼び、多くの家流へと分岐していきます。

 武家源氏の系統として特に有名なのは「清和源氏」で、いわゆる「源平」と称した場合の源氏とはこの家流を指すといっていいでしょう。源頼朝も清和源氏の流れを汲んでおり、そのうち「河内源氏」と呼ばれる系統の棟梁という位置付けとなります。


 また室町幕府を開いた足利尊氏も同様であり、このような伝統から征夷大将軍は清和源氏から任命されるという慣例ができました。

 江戸幕府を開いた家康が当初は藤原姓の「松平」だったものを、清和源氏である「徳川」に改めたのもこのことによるとされています。

源氏の紋について

 代表的な源氏の紋として知られるのが「笹竜胆(ささりんどう)」です。

 竜胆は日本のほぼ全域で見られる多年生の野草で、釣り鐘型の鮮やかな青花が上を向いて咲く様子が印象的です。笹竜胆の紋は、竜胆の花を三つ描き、その下に大きく五枚の葉を配した意匠となっています。「笹」と付くのは葉の様子がそれに似ていることに由来し、二種類の植物を複合したわけではありません。

家紋「笹竜胆」
家紋「笹竜胆」

 この笹竜胆の家紋は特に「村上源氏」でよく用いられたものでした。村上源氏は平安時代に大臣を輩出した源氏諸流の一つで、鎌倉時代以降はいくつかに分流しつつ朝廷内では藤原氏に次いで隆盛しました。伊勢の公家大名として知られる北畠氏はこの村上源氏の庶流にあたり、織田信長の次男・信雄が一時北畠の家督を継いでいたことはよく知られています。

 しかし武家源氏の最大勢力である清和源氏では、実は笹竜胆はあまり使われなかったともいいます。多く用いられたのは「引両(ひきりょう)」で、これは足利将軍家とその一門の紋として有名です。

家紋「丸に二つ引両」
足利一門の今川家が用いたとされる「丸に二つ引両」の紋

 このように清和源氏との関係性は不明な点も多い笹竜胆ですが、足利義満が熊野速玉大社(現在の和歌山県新宮市に鎮座)に捧げた品にその名残が認められます。元中7/明徳元年(1390)に奉納された直衣(のうし)にあしらわれた竜胆唐草の意匠がそうで、これが笹竜胆に近い形式であるとされています。

源氏の系譜に連なる歴史上の有名人たち

 系図上の源流をたどると意外な人たちが同祖に行き着く場合がありますが、歴史上の有名人にも同じ源氏である氏族が存在します。先に述べた足利氏がそうであるように、その一門の今川氏も清和源氏の系譜です。「海道一の弓取り」と称された今川義元が思い浮かびます。

 美濃の名流・土岐氏も清和源氏の頼光流に当たり、明智光秀はこの一族だったと考えられています。土岐氏や明智氏では笹竜胆ではなく、桔梗の紋を用いたことがよく知られていますね。

 三管領の一角である細川氏も源氏ですが、宗家は衰退し分家筋の細川幽斎やその子で肥後細川家の初代となった忠興などが有名です。

 そして「甲斐の虎」と呼ばれた名将・武田信玄も、清和源氏義光流の系譜であることを強く意識していたと考えられています。武田氏の家紋である武田菱(割菱)は義光流で用いられた花菱に由来するとされ、その家流の継承者というアイデンティティを感じさせます。

 これら源氏系武将の事績を思う時、織田信長が桓武平氏の流れを汲んでいることは不思議な因果といえそうです。また、時代は下りますが、維新の元勲として知られる過激派公家・岩倉具視も村上源氏分流・堀川氏の末裔で竜胆を家紋としていました。




おわりに

 「源氏」といえば光の君で知られる貴族か、平家と覇権を争った武士の両方をイメージするかと思います。家紋を用いた集団というニュアンスでは特に源平合戦の様子を想起しそうですが、戦闘では白い旗印の印象が強く、笹竜胆の紋はあまり知られていないのではないでしょうか。

 系図上では源氏となる徳川家康もその紋を用いなかったことや、数多い諸流でそれぞれの紋が使われていたこともその傾向を後押ししているかもしれません。しかし野に咲く可憐な竜胆をもし目にすることがあれば、「源氏の紋」であることに思いを馳せるのも一興ですね。



【主な参考文献】
  • 監修:小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)
  • 『歴史人 別冊 完全保存版 戦国武将の家紋の真実』(KKベストセラーズ、2014年)
  • 『国史大辞典』(ジャパンナレッジ版)(吉川弘文館)
  • 『日本大百科全書』(ジャパンナレッジ版)(小学館)

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  この記事を書いた人
帯刀コロク さん
古代史・戦国史・幕末史を得意とし、武道・武術の経験から刀剣解説や幕末の剣術についての考察記事を中心に執筆。 全国の史跡を訪ねることも多いため、歴史を題材にした旅行記事も書く。 「帯刀古禄」名義で歴史小説、「三條すずしろ」名義でWEB小説をそれぞれ執筆。 活動記録や記事を公開した「すずしろブログ」を ...

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