甲冑に行列、そして自らの死さえもデザインした伊達政宗の美学
- 2025/11/26
美意識の高い戦国武将
奥州の戦国大名・伊達政宗。政宗は仙台藩74万石を築き、初代藩主となった名将である。そして、「伊達者(だてもの)」の語源になったとされるほど、美意識の高い人物でもあった。まず注目すべきは、あの黒光りする三日月の前立てで知られる甲冑「黒漆五枚胴具足」である。その造形の美しさは、後に『スター・ウォーズ』のダース・ベイダーのデザインにも影響を与えたといわれる。
政宗の美的センスは、時代や国境を越えて通用するものであった。
独眼竜の「眼帯」
政宗といえば、黒い眼帯を思い浮かべる人が多い。しかし実際には、政宗本人が眼帯をつけていたという記録はない。戦国時代の日本に「眼帯」の文化はまだ存在していなかったのだ。そのため、政宗の肖像画や木像を見ても、眼帯をしているものは一つもない。では、あの眼帯のイメージはどこから来たのか。
これは、実は1987年の NHK 大河ドラマ『独眼竜政宗』の創作であるそうだ。山本勘介や柳生十兵衛が眼帯をつけるようになったのも、昭和の映像作品からである。
つまり、政宗の眼帯は史実ではない「演出」にすぎない。だが、その姿があまりに似合っていたため、いまや政宗を象徴するアイコンとして定着してしまったのだ。
華麗なる伊達行列
政宗には数々の逸話があるが、なかでも有名なのが「武者行列」である。豊臣秀吉の時代、政宗は朝鮮出兵のため上洛を命じられた。当初は500人(あるいは1500人とも)での上洛を求められていたが、政宗は気を張り、1000人(説によっては3000人)以上を動員して参列した。これには人々も驚嘆したという。
行列は京都から九州の豊臣軍本営へと向かったが、その途中、京都の老若男女を驚かせた。第一陣は前田利家、第二陣は徳川家康、第三陣は伊達政宗、第四陣は佐竹義宣。名将が並ぶ中でも、政宗の行列は群を抜いて華やかだった。
家紋「竹に雀」を染めた大軍旗を先頭に、紺地に近い日の丸の幟が続く。伊達兵の甲冑はすべて黒く、特に陣笠は「金ノトガリ笠長三尺計」(『伊達日記』)と呼ばれる異様な形状をしていた。文献だけでは正確な形はわからないが、烏帽子型の陣笠に金箔を押し固めたものだと考えられる。
これらは後の江戸時代における「大名行列」の先駆けともなった。京都の人々は「見物ノ人」として静かに見守っていたが、政宗本人が姿を現すと、そのあまりの「カハリ候出立(=変わった装い)」に歓声が上がり、武具の音さえ聞こえなくなったという。
政宗は、おそらくあの「黒漆五枚胴具足」を身にまとっていたのだろう。政宗の行列は、京都中で賞賛を浴びた。
若き日の政宗の偽悪
しかし政宗には、恐ろしい逸話も残っている。天正13年(1585)閏8月、政宗は陸奥国安達郡の小手森城を攻めた。守将・大内定綱は、かつて政宗に味方する約束をしながら、それを反故にした。政宗にとっては許しがたい裏切りだった。
小手森城を陥落させた政宗は、妻の兄・最上義光や家臣、地元の僧侶らに宛てて手紙を送り、「籠城した兵を皆『撫で斬り』にした」と報告している。さらに、「犬まで」殺したと書き添えている。これらは歴史学でいうところの一次史料であり、当事者が同時期に記した書状であるため、信憑性がとても高い……とされている。
しかしその後、大内定綱は政宗の岩出山移転に際して、伊達家の家臣となっている。籠城した家臣を皆殺しにされた人物が、後にそれを自分の主君にするとはどういうことだろうか。
なお、伊達家が関与していない二次史料によれば、小手森城の城兵たちは落城の際、「侍女や軍馬まで敵に討たせるな」と誓い合い、全員自害したと伝えられている。
私はこの二次史料の方が信憑性が高いと思う。つまり、一次史料の内容は、政宗一流の強がりなのだ。政宗は真実を隠し、「これは俺がやった」と敢えて言いふらしたのだろう。敵に侮られることを嫌った彼の、偽悪的な見栄であったと考えるのが自然であるように思う。
病床の政宗
政宗の美意識は、最期まで貫かれていた。晩年、重病に苦しむ政宗を見舞おうと、ひっきりなしに客が訪れた。徳川家光が驚くほど衰弱していたにもかかわらず、政宗は周囲の制止を振り切り、来客に正装で応対した。苦しい時にまで体裁を整える者は、そう多くない。政宗の胆力は本物だった。
最期の時、妻子を呼ばず、看護にあたる老いた侍女たちに語った。
「昔は戦場を死に場所と駆け巡っていたが、こんな形で死を迎えることになろうとは思わなかった。」
やがて「もはやいかん」と言い、西方(仏教の聖地・天竺)の方角に手を合わせて倒れた。駆けつけた息子・忠宗と侍医を睥睨するように見つめ、「やっ!」と一喝して息を引き取った。
万治元年(1658)、享年60。伊達政宗は、最後の瞬間まで美学を貫いた。
【参考文献】
- 佐藤憲一『素顔の伊達政宗』(洋泉社歴史新書 y、2012年)
- 乃至政彦『戦国大変』(JBpress、2023年)
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この記事を書いた人
ないしまさひこ。歴史家。昭和49年(1974)生まれ。高松市出身、相模原市在住。平将門、上杉謙信など人物の言動および思想のほか、武士の軍事史と少年愛を研究。主な論文に「戦国期における旗本陣立書の成立─[武田信玄旗本陣立書]の構成から─」(『武田氏研究』第53号)。著書に『平将門と天慶の乱』『戦国の陣 ...
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