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明智光秀公の墓所にもお参り! 苔むした石塔と巨樹の霊場、高野山「奥之院」を歩く(前編)

※この記事は2019年9月頃、「すずしろブログ」にて作成されたものです。

【目次】(前編は1~2、後編は3~14)
1、「日本国総菩提寺」、山上の聖地・高野山
2、石塔と巨樹の佇む霊場
3、武将や大名家の墓所も仲良く並ぶ
4、毛利氏墓所
5、後北条氏墓所
6、徳川頼宣墓所
7、武田信玄・勝頼墓所
8、上杉謙信墓所
9、石田三成墓所
10、明智光秀墓所
11、浅野氏墓所
12、豊臣氏墓所
13、御廟の周囲は最奥部の聖地! 写真撮影は禁止です
14、宗派を超えた祈りの場

「日本国総菩提寺」、山上の聖地・高野山

「日本の総菩提寺」とも例えられる紀伊国・高野山。

標高約800mの山地におよそ120もの寺院がひしめく宗教都市としての威容を誇り、弘法大師・空海が開創した真言密教の総本山として知られています。

その中でも、空海がいまだ禅定を続けているという信仰のある「御廟」と、その参道沿いに約20万基もの石塔や供養塔が建ち並ぶ「奥之院」。

ここが高野山の信仰の中枢といっても過言ではありません。

苔むした石塔や、樹齢数百年を優に超える巨樹が佇む霊場は、神聖な空気感に満ちていて歩くだけでも心が浄化されていくかのようです。

今回は、お盆参りで高野山に上がった際に撮ってきた奥之院の写真を、ご紹介したいと思います!

『麒麟がくる』で熱視線が注がれる、明智光秀公のお墓にも手を合わせてきました!


石塔と巨樹の佇む霊場

※「一の橋」。奥之院の正式な入口。空海の御廟まではここからおよそ2kmの道のり
※「一の橋」。奥之院の正式な入口。空海の御廟まではここからおよそ2kmの道のり
※一の橋を渡ってすぐの参道。高野山全体が平地よりかなり涼しいが、ここからさらにひんやりとする。
※一の橋を渡ってすぐの参道。高野山全体が平地よりかなり涼しいが、ここからさらにひんやりとする。
※沿道にはこのような石塔が無数に存在する。戦国武将や大名家の供養塔が、敵味方関係なく建ち並ぶ。上記の写真は仙台・伊達家のもの
※沿道にはこのような石塔が無数に存在する。戦国武将や大名家の供養塔が、敵味方関係なく建ち並ぶ。上記の写真は仙台・伊達家のもの
※この不思議な形の供養塔は「五輪塔」。一番下の立方体から「地・水・火・風・空」を表す。いわゆる「五大(五輪)」で密教の宇宙観を表現した5つのエレメントを意味している
※この不思議な形の供養塔は「五輪塔」。一番下の立方体から「地・水・火・風・空」を表す。いわゆる「五大(五輪)」で密教の宇宙観を表現した5つのエレメントを意味している
※梵字ではなく漢字を刻む例も。下から「地・水・火・風・空」の文字が読み取れる
※梵字ではなく漢字を刻む例も。下から「地・水・火・風・空」の文字が読み取れる
※ものすごい巨樹であふれかえっている。どれだけの時を過ごしてきたのか
※ものすごい巨樹であふれかえっている。どれだけの時を過ごしてきたのか
※ふと見やると、そこかしこにケルンが。無心に積み上げた人たちの祈りの跡
※ふと見やると、そこかしこにケルンが。無心に積み上げた人たちの祈りの跡
※石仏はいずれも大切にされ、頭巾や前掛けはいつも新しい。穏やかなお顔で「ようお参り」と語りかける
※石仏はいずれも大切にされ、頭巾や前掛けはいつも新しい。穏やかなお顔で「ようお参り」と語りかける
※主参道から無数の枝道が分かれる
※主参道から無数の枝道が分かれる

 後編に続きます。↓↓↓

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  この記事を書いた人
帯刀コロク さん
古代史・戦国史・幕末史を得意とし、武道・武術の経験から刀剣解説や幕末の剣術についての考察記事を中心に執筆。 全国の史跡を訪ねることも多いため、歴史を題材にした旅行記事も書く。 「帯刀古禄」名義で歴史小説、「三條すずしろ」名義でWEB小説をそれぞれ執筆。 活動記録や記事を公開した「すずしろブログ」を ...

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