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【やさしい歴史用語解説】「禁中並公家諸法度」
- 2024/04/02
豊臣秀吉が亡くなった直後から徳川家康は朝廷工作を始めるのですが、江戸幕府を開いたのちは京都所司代を置き、皇室や朝廷の動きを監視させました。
法度が出されるきっかけとなったのが、宮中のスキャンダルといえる「猪熊事件」です。公家の乱脈ぶりが白日の下に晒され、事態を憂慮した幕府によって多くの公家たちが処罰を受けました。
天皇や公家に対して厳しい法度を定め、それを遵守させることで朝廷内において秩序やモラルを生み出そうとしたのです。これには幕府の意のままに朝廷を従わせようとする側面もあったようです。
さて、少し禁中並公家諸法度の中身を見てみましょう。まず第一条として「天皇の主務」というものがあります。
「天皇が修めるべきものの第一は学問である」
天皇は和歌や有職故実といった学問を専らとし、政治そのものに接触させないようにしました。いわば天皇は政治に関与せず、伝統を守るのが主務であるとしているのです。
少し飛ばして第七条です。ここにあるのは「武家官位」という項目ですね。
「公家の官位は、武家の官位とは別のものである」
本来、官位とは朝廷から賜るべきものですが、勝手に官位を叙任するようなことがないよう厳しく取り決めています。また武士の官位も幕府の推薦がないと得られないようにしたうえで、公家の官位とは別のものとしました。
ちなみに大名の官位は「従四位下」と相場が決まっていますから、武家だけの官位を大量生産できるようにしたわけです。
続いて第八条の「改元」をご紹介しましょう。
「改元する場合は、中国の年号から良いものを選ぶべきである」
もともと改元は朝廷だけの特権でしたが、そんなところにまで口を出すのか。というくらい横槍を入れていますね。これも朝廷統制の一環ですから、細かく干渉したのでしょう。
さて、第十一条と第十二条を見ると、いかにも幕府の居丈高な態度が見えてくるようです。
「関白・武家伝奏・奉行職が申し渡した命令に、公家が従わないことがあれば流罪に処す」
武家伝奏や奉行職といえば、幕府が任命した公家や武士のことを指します。「幕府の命令を聞かなければ、公家であっても流罪に処するぞ」いわば脅しているわけですね。
最後に第十六条をご紹介します。「紫衣(しえ)の勅許」という項目ですが、紫衣とは徳のあるお坊さんに対して、天皇から贈られる紫色の衣のこと。朝廷の貴重な収入源になっていたそうです。
「みだりに紫衣を与えてはならず、その僧が相応しいかどうかを確かめた上で、紫衣を与えること」
これは天皇だけの特権でしたが、幕府はそれすら干渉しようとしました。天皇の権威を否定するかのような幕府の態度に怒りを示したのが後水尾天皇です。
法度にかまうことなく紫衣を与え続けた天皇ですが、幕府はついに紫衣の勅許を無効とし、これまで与えてきた紫衣すら取り上げました。この事件をきっかけに朝廷と幕府の関係は悪化しますが、幕府が融和政策に傾いたことによって最悪の状況は回避されています。
このように江戸幕府は、あらゆる人々を統制する政治方針を示し、260年もの長きにわたる幕藩体制の維持に努めました。確かに人々の不満はあったかも知れませんが、長い泰平の世を築いたという側面もあったのです。
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