病気平癒は「撫で牛」様に ~"撫でる"という身代わり信仰~
- 2023/08/09
「撫で牛」を見たことがありますか?神社仏閣にある牛の座像の置物です。あの菅原道真を祭神とする全国の天満宮や天神社に置かれていることが多いそうです。
座っている牛がぎょろりと参拝者を見ている姿は、心の内を見透かされている気になります。人々の痛みを知る撫で牛から身代わり信仰を考察してみます。
座っている牛がぎょろりと参拝者を見ている姿は、心の内を見透かされている気になります。人々の痛みを知る撫で牛から身代わり信仰を考察してみます。
撫で牛(なでうし)とは
神社仏閣の境内などに座っている牛の像です。信仰習俗のシンボル的存在といえます。いろいろな座り方の牛がいます。まったり休んでいるような牛、勇ましそうな牛…。それぞれ性格がありそうで親しみが湧いてきます。撫でることで病の平癒が叶えられるそうで人間にとってありがたい存在です。
基本的なお願いの仕方は、まず自分の身体の病んでいる部分を撫でたあと、撫で牛の同じ箇所を撫でるという簡単な作法です。これは悪い所が牛に移って病気が治るという教えです。少し牛が気の毒な気もしますが…。
東京都墨田区の「牛嶋神社」の撫で牛は、ご利益が高いそうです。須佐之男命(すさのおのみこと)に由来する神社です。肉体の病だけでなく、心も治るという心身回癒の祈願物といて名高いです。「狛牛」もいるそうで大変興味深いですね。
菅原道真と牛
学業やお金に関してもお願いできる撫で牛がいるようです。菅原道真を祀る各地の天満宮において、撫で牛は諸病平癒だけではなく、学業成就を叶えてくれると言われています。さすが学問の神様である道真らしいです。
京都の「北野天満宮」には撫で牛がたくさんいるようで、見えないところも合わせると10頭以上は座しているそうです。
菅原道真が牛を重んじた逸話もたくさんあります。
- 道真は丑年生まれで、亡くなったのは丑の月、丑の日だったこと。
- 無実の罪で大宰府に左遷されることになった道真を途中で刺客が襲ったがその時、一匹の牛が飛び出してきて道真を救ったこと。
最も決定的な話は、道真が亡くなり、その亡骸を牛車に引かせて運んでいると、なんと!牛が動かなくなりました。そうです。牛が座り込んだのです。
道真は生前、「牛のいう通りにしなさい」と門弟に言っていました。道真はその場所に埋葬され、その地は大宰府天満宮になりました。つまり、その牛が道真の化身だったのです。
撫で仏
”撫でる”という観念からすると、牛以外に「撫で仏」が挙げられます。人間の形なので牛よりは自分の弱い所と重ねやすいですね。長野市の善光寺の賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう)が有名です。一年を通していつも多くの人が集まっています。賓頭盧尊者像は300年以上たくさんの人に撫でられ続けているので、お顔も体もツルツルになるのは当然です。どれだけの人々の心身を救ってきたのでしょうか。
また、奈良「東大寺」の賓頭盧尊者像は「びんずるさま」と呼ばれ、親しまれているようです。東京の浅草不動尊の撫仏はすらっとした姿でかっこよいです。
形代(かたしろ)という身代わり信仰
人の身代わりになるのは像だけではありません。「形代」があります。人の形の白い紙にふっと息を吹きかけ、自分の魂を移して自分の病んでいるところを撫でます。己の穢(けがれ)をなすりつけたことにもなります。その紙を神社に納めお祓いをしてもらうのです。
とても神聖な気持ちになれそうですよね。身代わりになってもらうことで私たちの邪心も救われるのでしょうか。
おわりに
さて、私自身の住んでいる近くに撫で牛はいないかと探してみました。宮城県名取市の「館腰神社」にも臥牛像がありました。大きな神社ではないのですが、京都伏見稲荷から分霊されたお社で、歴史は深いです。館腰神社の牛に「撫牛大黒天」と説明書きがありました。つまり大黒天ということは財宝の守り神であり、牛はその大黒天の御使いだそうです。
「牛は素食に耐えよく働く。その牛のように質素に勤勉な生活を営み、その財を蓄えるように」という教えのようです。
ということは、牛の質素・倹約・勤勉を見習えば、私たちもお金に困らない生活ができるということでしょうか。つい何度も牛の背中を撫でてしまいました。
撫で牛の背中が光っている分、そこに人々の儚き願いが映されています。撫でることが昔から私たちの当たり前の仕草です。
・お腹や頭が痛い時に手で撫でる…
・どきどき緊張や不安を感じる時に誰かに背中を撫でてもらう…
自然に手が動きます。また「いたいのいたいのとんでけ~」のおまじないの民俗伝承にも似ていますね。
牛に人間の病の身代わりにさせるのは申し訳ない気もしますが、古くからの「身代わり」という大事な伝承に甘えてみようと思いました。
【主な参考文献】
- 戸部民夫『神様になった動物たち』(大和書房、2013年)
- 本山桂川著『日本民俗図誌第二冊』(東京堂、1942-44年)
- 北野天満宮公式HP
※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。
コメント欄