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武田信玄の軍用道路「棒道」とは

三分一湧水の様子
三分一湧水の様子

戦国時代の武将・武田信玄が軍用道として使ったとされる「棒道」。八ヶ岳南麓の山梨県北杜市小荒間から長野県富士見町立沢までの約12キロメートル、原野の中を棒のようにまっすぐに伸びている道だ。

『甲斐国志』などには上、中、下の3本の棒道があったと伝えられるが、現在あるのは上の道のみで、ハイキングやウォーキングのコースとして楽しむことができる。

小荒間の棒道の入り口には、小荒間口留番所跡がある。武田信虎が防衛のために設けたとされ、江戸時代には口留番所として近隣の農民が人や荷物の出入りを監視したとされる。

棒道ウォーキングの前に立ち寄ってみたいのが、小荒間にある三分一湧水。環境省の名水百選にも選定されている湧水は、武田信玄が3つの村に水を均等に分けるために作ったものと伝えられる。

昭和18年(1943)の水害後に作り直されたものではあるが、その仕組みを今でも見ることができる。周辺は公園として遊歩道が整備されており、木漏れ日の中で美しい水流を目にすることができるスポットだ。

また、近くには天文9年(1540)2月18日に信濃の村上義清の軍勢と夜合戦をして勝利したとされる小荒間古戦場跡がある。本陣を敷いたところは「中屋敷」と言われ、「信玄公御座石」の立札が建つ平らな巨石がある。「御座石」のほか「遠見石」「鞍掛石」があり、「耳塚」と呼ばれる塚もあるという。

森林の中を歩く棒道の傍らには多くの観音仏像が点在している。江戸時代末期に道を行く人の道標と安全祈願のために整備されたもので、1町(100メートル余り)ごとに並んでいるという。歩きながら、聖観音、千手観音、馬頭観音、十一 面観音、不空羅索観音、如意輪観音の「六観音」に出会うことができるのは、六観音巡りからつながる「西國三十三所巡り」や「坂東三十三所巡り」を模したもので、札所番号や観音像名、建立年月日、施主名が記されているものだ。

桔梗や女郎花など自然の草花にも出会うことができる棒道。歩いてみたいけれどいきなり森の中に入っていくのは心配というときには、JR小海線を利用しながら歩くルートが紹介されている「八ヶ岳信玄棒道ウォーキングマップ」(北杜市観光協会小淵沢支部)を参考にしながら歩いてみてはいかがだろうか。


【参考資料】
北杜市観光協会小淵沢支部「八ヶ岳信玄棒道ウォーキングマップ」

【参考文献】
山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会『山梨県の歴史散歩』山川出版社
高橋義夫・桐野作人ほか『風林火山の古道をゆく』集英社

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  この記事を書いた人
KOBAYASHI Sayaka さん
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