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【やさしい歴史用語解説】「鳥獣戯画」
- 2023/07/13
皆さんも一度は目にしたことがあるかも知れません。カエルやウサギを擬人化した中世の水墨画が「鳥獣戯画(正式には鳥獣人物戯画)」と呼ばれるものです。ちなみに日本最古のマンガとされていますが、いったい誰が描いたものなのか?現在もはっきりしていません。
鳥獣人物戯画は「絵巻物」というカテゴリーに該当しますが、一つの絵巻物というわけではなく、甲、乙、丙、丁と4つに分かれていて、それぞれ描かれた年代が違うのです。
もし内容が連続した作品なら、各巻で明確な繋がりがあるものですが、鳥獣人物戯画についてはまったく繋がりがなく、あたかもオムニバス作品のような印象を受けてしまいます。
元来は京都の・栂尾山高山寺の寺宝として長年伝えられていましたが、国宝に指定されてからは「甲・丙巻」が東京国立博物館に、「乙・丁巻」が京都国立博物館に収蔵されています。
作風は各巻ごとに若干異なるものの、ユーモラスな動物たちがまるで人間のように遊んだり、騒いだりする姿は滑稽そのもの。その描写力には驚きを禁じ得ません。また動物たちを通じて当時の風俗習慣が垣間見えるため、史料としての価値も見逃せないのです。
鳥獣人物戯画は平安時代後期~鎌倉時代初めの作だとされており、かなり年代に幅があります。もしかすると複数の人間によって描かれたのかも知れません。とはいえ「書いたのはこの人だったのでは?」という説もあります。
天台宗の高僧だった覚猷(かくゆう)はユニークでユーモアにあふれた作風が特徴で、時おり権力へのあてつけや政治批判が込められた風刺画を数多く残しています。
また平安時代後期の画僧・定智(じょうち)が得意としたのは、鳥獣人物戯画と同じ墨線による筆致でした。定智もまた作者の一人だったのでは?という説があります。
天台宗の画僧だった義清(ぎしょう)は「嗚呼絵(おこえ)」の名人だとされていて、同じく墨線でモデルの特徴をよく表現した戯画を描いていたそうです。
そうした人物が挙げられるいっぽうで、「実は名もなき僧が描いたのでは?」と唱える説もあります。先ほどご紹介したのは当代きっての画僧たちです。鳥獣人物戯画は反故紙(書き損じを漉いた再生紙)に絵を描いたものですから、果たしてプロである彼らが質の悪い紙をあえて使うのか?と考えれば疑問が残ります。
まだ経験が浅いヒヨッコの画僧がデッサンのつもりで描いたもの。そう結論付けると納得がいくところですね。
ところで鳥獣人物戯画はなぜ高山寺だけに伝わっているのでしょうか?この寺を開いたのは明恵という僧ですが、理由があって一カ所に集めたとされています。
明恵は動物を慈しんだことで知られ、自分が見た夢を記した「夢記」という書物の中にも動物が登場します。父母を亡くした幼い頃、子犬をまたいでしまった時に、「亡き父母の生まれ変わりでは?」と我に返り、立ち返って子犬を拝んだという逸話もあるほど。
戒律を重んじ、自分には非常に厳しい人だったようですが、他人や動物にはたいへん優しく、人前ではいつも穏やかな笑みを忘れなかったとも。そんな動物好きな明恵が鳥獣人物戯画を集めるのは自然なことだったのでしょう。また高山寺の創建が鎌倉時代ですから、ちょうど丙・丁巻の制作時期と符合します。それも大きな理由だったわけです。
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