天正元年(1573年)、黒田官兵衛がまだ、播磨の御着城主・小寺政職に仕えていた頃、播磨は東に織田、西に毛利、南方に三好といった大国に囲まれており、小寺氏は生き残りのために三家のいずれかに臣従する必要性に迫られていた。
これはこうした情勢の中で、小寺政職が老臣たちを集めて意見を求めたときの話である。
━━ 播磨・御着城 ━━
今の天下の情勢をみると、織田・毛利・三好の三家が鼎の足のようになっておる。
一体どれに付けばよいのやら・・・。おのおの心底を隠さずに申してみよ!
すると官兵衛が前にでて意見を述べた。
今後、天下は必ずや織田が握ることになるでしょう。
ほう?それはなぜじゃ?
三好は主君を滅ぼした罪がございますゆえ、天はきっと三好家を滅ぼすでありましょう。
毛利は一門に吉川・小早川の両翼があるとはいえ、輝元が国元にいますから軍法ははかばかしくありませぬ。
それに引き換え、信長は尾張半国から身を起こし、足利義昭を取り立てて将軍にまでさせたことから、多くの者は信長に心を寄せております。いまでは山城をも手に入れており、のちに天下をとるのは必ずや織田でございましょう。
・・・他の者たちはどうじゃ?官兵衛の言うようになると思うか?
老臣A:うむ、やはり織田じゃ!わしも官兵衛の意見に賛成じゃ!
老臣B:わしもじゃ!
老臣C:・・・・わ、わしもそう思う。。
そうか!皆同じ意見のようじゃのう!!
わしも決めた!官兵衛の言うとおりにしようぞ!!
さっそくじゃが、官兵衛。お主が遣いとして信長に伝えてまいれ。
ははっ!
こうして信長の才を高く評価していた官兵衛の進言は受け入れられ、秀吉の取次で岐阜城へ赴き、信長と対面した。
━━ 美濃・岐阜城 ━━
そちが黒田官兵衛か。猿(=秀吉)から話は聞いておるぞ。
ははっ!官兵衛にござりまする。
ほにゃらがほにゃらがほにゃらがほにゃらが・・・・
・・・と、官兵衛は信長に臣従する旨を話すと信長は大いに喜び、その後も色々と話をして時を過ごした。
そして帰り際になって信長は、
そのうちにわしが中国を討つときには必ずや、そちを先鋒にしよう。
ははっ!それがしには身に余る役、そのときには恐れながら受けさせていただきます。
こうして官兵衛は承諾し、秀吉とも助け合うことを約束して帰った。