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【やさしい歴史用語解説】「士農工商」
- 2023/06/09
そもそも考えてみれば「士農工商」というのは職業名であり、身分を表すものではありません。この言葉は古代中国の四字熟語から来ており、「広い意味での一般民衆」「社会全般を指すもの」といった意味があるようです。
また明治時代初期に假名垣魯文が書いた戯作「牛店雑談 安愚楽鍋」の中でも、
「士農工商老若男女。賢愚貧福おしなべて。牛鍋食はねば開化不進奴と鳥なき郷の蝙蝠傘」
といったセリフがあるため、やはり「すべての職業」を指す言葉だったのでしょう。
ではなぜ「士農工商」が江戸時代の身分制度だと誤って考えられたのでしょうか?それは明治になって新政府が出したスローガンがキーポイントとなります。
「四民平等」といえば聞いたことがあるかも知れませんが、明治3年(1870)に農民や町人が苗字を名乗ることが許され、さらに穢多(えた)・非人(ひにん)などの身分を廃止して被差別民を解放する措置が取られました。
公家や藩主などは「華族」、武士階級が「士族」、そして一般民衆は「平民」として定められましたが、これに被差別民を加えた「新平民」を合わせて四民となります。
ところが四民の間で差別が解消されることはなく、政府が被差別民の生活を改善する具体的政策を取らなかったこともあり、結婚や就職などにおける差別意識は根強く残りました。
本来なら「華族」「士族」「平民」「新平民」が四民だったはずですが、いつしか新平民は忘れ去られてしまい、本来なら社会全般を指す「士農工商」という言葉に置き換えられてしまいました。
しかし近年になって歴史の再評価が成されたこともあり、「士農工商は職業に過ぎず、身分制を表すものではない」という風潮が高まります。たしかに江戸時代に身分制は存在したはずですが、庶民でも非公式で苗字を名乗れましたし、功績があれば武士に取り立てられることも不可能ではありません。
3代将軍・徳川家光の側室であり、徳川綱吉の生母として知られる桂昌院だって、商人の娘だったという説が有力です。江戸時代に厳然とした身分制があったのかどうかは、さらなる歴史研究が待たれるところでしょう。
被差別民だって幕府や藩から直接命令を受ける立場にあり、中には大きな石高を持った人もいて、経済的に潤った人も多かったとか。
かつては当たり前の歴史用語だった「士農工商」ですが、もはや死語になりつつあります。また「四民平等」にしたところで平成17年の教科書から削除されているそうですから、歴史研究のスピードたるや想像以上かも知れませんね。
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