【小倉百人一首解説】3番・柿本人麻呂「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」

東滋実
 2022/10/19
小倉百人一首3番・柿本人麻呂のイラスト
『小倉百人一首』1番の天智天皇(てんぢ/てんちてんのう)の和歌は、実は天智天皇の御製ではないといわれています。万葉の時代のよみ人知らずの歌が別の有名な人物の作とされるのはままあることで、この柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の作とされている和歌もそういうところがあります。

そう、『小倉百人一首』に撰ばれたこの和歌も、現在では人麻呂の作ではないと考えられているのです。「歌聖」「歌神」と称されるほど時代を代表する歌人であった人麻呂でも、真作ではない和歌が代表的な作品として伝えられている。その背景には何があるのか、見ていきましょう。

原文と現代語訳

【原文】
「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」

【現代語訳】
「山鳥の長く垂れ下がった尾のように秋の長い夜を、私は山鳥のようにたったひとりで寂しく寝ることになるのかなあ」

歌の解説

あしびきの

これは山に関係する言葉に掛かる枕詞で、ここでは「山鳥」にかかります。ちなみに、古くは「あしひきの」と濁らず、濁るようになったのは平安末期ごろからといわれています。

山鳥

「山鳥」といっても範囲が広いですが、ここではキジ科の野鳥を指します。この山鳥の雄の尾は長いのが特徴なので、「長いこと」や「夜長」の例えとして用いられます。また、山鳥は雄と雌が峰の両側に離れて別々に寝るといわれていて、そのことから「ひとり寝」の例えとしても用いられます。つまり、「山鳥」だけで下の句の「ながながし夜」と「ひとりかも寝む」のどちらにもつながっているというわけです。

しだり尾

山鳥の長く垂れ下がった尾のこと。「下に垂れる」という意味の動詞「しだる」の連用形に「尾」がついた名詞です。本当なら「山鳥の尾」だけで長い尾を連想できますが、「山鳥の尾のしだり尾の」は「の」と「尾」が連続していてリズムがよく、口に出して読みたくなる和歌です。

ながながし夜

長い長い夜を意味します。ここも「長し」を連続していて、前の「山鳥の尾のしだり尾の」の連続にさらに重ねるように繰り返しの表現がされています。繰り返されることで「夜の長さ」が強調されているのがわかります。そもそも、上の句のすべてがこの「ながながし夜」に掛かる序詞で、そちらのほうも長々しいですね。

「ながながし夜」という表現には文法的な誤りがあるといわれています。形容詞が名詞に接続する場合は連体形になり、そのとおりにするなら「ながながき夜」「ながながしき夜」となるからです。しかし同様の例がないわけではないので、古い文法として理解してもいいでしょう。

ひとりかも寝む

「ひとりさびしく寝るのだなあ」という意味。「かも」は疑問の係助詞「か」と詠嘆の係助詞「も」が一語化したもので、「~かなあ」というふうに詠嘆を含んだ疑問を表します。「寝む」の「む」は推量の助動詞。
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ところで、今回の現代語訳の解釈では「秋の長い夜」としましたが、『万葉集』にとられているもとの和歌は別に秋の歌というわけではありません。題もなく、部立(ぶたて)が秋というわけでもありません。

「思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を」
(『萬葉集』巻第十一)

『小倉百人一首』とはだいぶ印象が異なりますが、この歌には「或本の歌に曰く、「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」」という注がついているため、同じ和歌らしいとわかります。

万葉の時代の人たちも「夜長といえば秋」という認識であったのかはよくわかりません。「夜長」で辞書を引いてみて、秋に関連する言葉として出てくる用例は平安時代の文学作品からで、それ以前の例は見つかりませんでした。

そもそもこの和歌、『小倉百人一首』では恋の歌に分類されています。とはいえ平安時代以降は「長い夜」といえば「秋」であったわけで、俳句でも「夜長」は秋の季語。かなり時代は下りますが、江戸時代の俳人・蕪村の俳句にもこの和歌を踏まえたと思われる秋の句があります。詠まれた当時はわかりませんが、後世の人々はそう解釈したとしてもおかしくないのでは、と思いこのようにしました。

作者・柿本人麻呂

人麻呂は生没年未詳。天武天皇(てんむてんのう)の時代(673~686年)には活動が見え、続く持統天皇(じとうてんのう)・文武天皇(もんむてんのう)の3代にわたって活躍したとされています。しかし身分はあまり高くなく、位階は六位以下でした。官人として活動した詳細はあまりわかっていません。

その一方で、歌人としてはとても有名です。人麻呂は万葉の時代を代表する歌人のひとりで、のちの時代の歌人・紀貫之(きのつらゆき)は4番歌の作者・山辺赤人(やまべのあかひと)と並んで「歌聖」とたたえています。

伝説化された人麻呂

先ほど引用した『萬葉集』の和歌は、最初に紹介したように人麻呂の和歌ではありません。人麻呂作ではない和歌に人麻呂の名がついているのは、なにも『小倉百人一首』に限ったことではありません。例えば平安中期の貴族で歌人の藤原公任(ふじわらのきんとう)が撰んだ『三十六人撰』には人麻呂の作として10首が収められていますが、このうち確かに人麻呂の作といえるのは1首のみ(『万葉集』の同じ歌の作者が人麻呂)で、後は作者不明の和歌です。

誰だかわからない作品も人麻呂作にされるというのは平安時代で人麻呂がどれだけ人気だったかを物語るようです。ちなみに「人麻呂」の表記は複数あり、『万葉集』では「人麻呂」ですが、『古今和歌集』になると「人麿」になり、やがて「人丸(ひとまる)」となって読み方まで変わってしまいます。

人麻呂は伝説化され、平安後期にはもう「人丸影供(ひとまるえいぐ)」といって、歌会で人麻呂の肖像をかかげて香華、供物をそなえるということが行われるようになります。また「人丸」のごろ合わせで「火止まる」となり、防火の神さまとして祀られるほどになります(人丸神社/柿本神社)。また音の響きから安産の神さまとしても祀られています。

このように、「人丸」となった人麻呂はもはや神格化された伝説の人物で、本人とはかけはなれた存在になってしまったようです。

『小倉百人一首』の3番歌の作者も実は「柿本人丸」。撰んだ藤原定家(ふじわらのていか/さだいえ)自身も本当は人麻呂の歌ではないと知っていて、あえて平安時代に受容された伝説の「人丸」の作として撰んだのかもしれません。

おわりに

官人であったとされる人麻呂ですが、結局その経歴は不明です。そもそも一番人麻呂が生きた時代に近いころに成立した『万葉集』からすでに人麻呂の伝説化は始まっています。巻第二に収められた人麻呂の「石見相聞歌」(そうもんか。男女や親子、兄弟など親愛の情を詠んだ歌。ほとんどは恋愛関係にある男女の贈答歌)には、石見(現在の島根県西部あたり)に関する歌があります。そのうちのひとつを紹介しましょう。

「鴨山の岩根しまける我をかも知らにと妹が待ちつつあるらむ」
(『萬葉集』巻第二・挽歌)

「鴨山の岩を枕に伏している私なのに、知らずに妻は待っていることであろうか」という意味の和歌。これだけではよくわからないかもしれませんが、詞書(ことばがき。和歌の前書き)を読むと状況が見えます。

「柿本朝臣人麻呂、石見国に在りて死に臨む時に、自ら傷みて作る歌一首」

つまり人麻呂は石見国で死にゆく中に和歌を詠んだというのです。しかし人麻呂の最期の地が石見国であるという説は現在では疑問視されていて、それどころか「石見相聞歌」の設定すら虚構なのでは、と考えられているのです。

もはやどこまでが本当の人麻呂で、どこからが伝説化された人麻呂なのかすらよくわからない。謎に包まれた歌人です。


【主な参考文献】
  • 『日本国語大辞典』(小学館)
  • 『小学館 全文全訳古語辞典』(小学館)
  • 『国史大辞典』(吉川弘文館)
  • 『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)
  • 『世界大百科事典』(平凡社)
  • 多田一臣『人物叢書新装版 柿本人麻呂』(吉川弘文館、2017年)
  • 吉海直人『読んで楽しむ百人一首』(角川書店、2017年)
  • 冷泉貴実子監修・(財)小倉百人一首文化財団協力『もっと知りたい 京都小倉百人一首』(京都新聞出版センター、2006年)
  • 目崎徳衛『百人一首の作者たち』(角川ソフィア文庫、2005年)
  • 校注・訳:小嶋憲之、木下正俊、東野治之『新編日本古典文学全集6 萬葉集(1)』(小学館、1994年)
  • 校注・訳:小嶋憲之、木下正俊、東野治之『新編日本古典文学全集8 萬葉集(3)』(小学館、1995年)

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  この記事を書いた人
東滋実 さん
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター。 卒業後は日本文化や歴史の専門知識を生かし、 当サイトでの寄稿記事のほか、歴史に関する書籍の執筆などにも携わっている。 当サイトでは出身地のアドバンテージを活かし、主に毛利元就など中国エリアで活躍していた戦国武将たちを ...

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