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カレーだけじゃない、驚きの海軍グルメ
- 2024/06/24
自衛隊の中でも、ごはんがおいしいと評判なのが海上自衛隊ですが、そのルーツは日本海軍時代の創意工夫にありました。海軍時代のレシピを参考にした「海軍カレー」は、横須賀の名物にもなっています。
そんな日本海軍では、カレー以外の洋食レシピも豊富でした。さらに調べてみると当時の海軍が直面した食糧・料理事情がみえてきました。
そんな日本海軍では、カレー以外の洋食レシピも豊富でした。さらに調べてみると当時の海軍が直面した食糧・料理事情がみえてきました。
洋食に四苦八苦した明治時代
明治時代、西洋に追いつくためにも、頑健な身体をつくるためにも、海軍では洋食メニューを積極的に取り入れました。以前、「肉じゃがのルーツがビーフシチューだった説」をご紹介しましたが、肉じゃがはその後、海軍でも採用され「甘煮」と呼ばれ、海軍から家庭に広まった料理なのだとか。
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食の西洋化を目指した明治の海軍では、シチューやロールキャベツなどの洋食も提供されていました。さらに、海軍は洋食メニューを推し進めた結果、3食すべてお米ではなくパンを採用しようとしたのですが、隊員たちから「米を食わせろ!」とクレームが多かったため、取りやめになったそうです。
その他、食の西洋化は料理以外でも行われました。士官たちは紳士教育の一環として、精養軒での食事が義務付けられ、そこでテーブルマナーを学んだのだとか。まさに「士官は紳士たれ」ですね。
また、海軍設立当初は洋食の材料を調達するのも大変でした。なにせ、冷凍・冷蔵設備のない時代のこと。なんと、艦内には牛を生きたまま(!)連れて行ったのだそうです。
栄養学の発達した大正時代
第一次世界大戦を契機に、遠洋での任務が増えていった大正時代。この頃になるとようやく日本人にも洋食が浸透して、ホワイトシチューが艦の人気メニューになっていました。 また、大正時代はビタミンの発見など栄養学の研究が発達したため、栄養への関心が高まりつつありました。
そこで、海軍は労働力に見合った栄養を食事で摂取できるように、カロリー計算や栄養学をメニューづくりに取り入れました。
この頃、洋食だけでなく本格的な中華料理がメニューに取り入れられています。日清戦争などを機に、中国料理が徐々に日本にも浸透してきた影響かもしれませんね。
スイーツも提供された昭和時代
太平洋戦争以前、軍備の増強とともに海軍では食料補給専門の戦艦・給糧艦が設置されました。中でも有名なのが総糧艦「間宮」です。間宮では和菓子職人による本格的な和菓子が提供されていました。日本海軍をモチーフにした「艦隊これくしょん」でも、間宮は甘味処としてキャラクターづけをされていますから、当時の兵士たちにとって間宮=甘味の認識があったのかもしれません。
戦争が激化する前、間宮では羊かんやアイスクリームが提供されていました。過酷な任務の多かった兵士たちにとって、甘味は日々の癒やしだったのでしょうね。
艦隊料理コンテスト
昭和初期には艦ごとに得意料理が確立され、艦隊ごとに得意料理を競うコンテストがありました。現在の海自の護衛艦カレーグランプリのようですが、こちらは、来るべき大戦に備え、食糧の不足や質の低下を補うメニューづくりを兼ねていました。しかし、士官が多く乗船する艦では手間のかかる美味しいレシピが多かったそうなので、艦によってメニューの質は違っていたそうです。
まとめ
海軍のレシピは兵士たちの活力として大事なものでしたが、食も重要な軍事活動の一環でした。残飯の量から敵に位置や動向を気づかれないように、料理でもゴミ軽減が求められていたそうです。食事は単なる栄養補給ではなく、立派な軍事活動だったのでしょう。
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