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滋賀の絶景スポット「浮御堂」。平安時代からの歴史を辿る
- 2023/10/03
浮御堂とは?
正確には海門山満月寺というお寺です。滋賀県大津市本堅田という場所にあり、もともとは臨済宗大徳寺派の寺院。満月寺の本尊は聖観音であり、境内にある観音堂(浮御堂ではありません)には、重要文化財である聖観音座像が安置されています。浮御堂の歴史
満月寺は創建年不詳ですが、平安時代につくられたと言われています。恵心僧都(源信)が琵琶湖から阿弥陀如来を救いあげ、その阿弥陀如来を祀り湖上の安全と衆生済度を祈願し、建立したというのが由来です。浮御堂は多くの阿弥陀如来像をお祀りしていることから別名「千仏閣」、「千体仏堂」とも言われるそう。
かつての浮御堂は、江戸時代に京都御所の能舞台を下賜され建てられたという由緒正しいものだったそうですが、残念ながら昭和9年(1934)に室戸台風によって倒壊してしまいました。その後、昭和12年(1937)に再建され、昭和57年(1982)に改修が行われ現在の形を保っています。
近江百景で名高い絶景スポット
浮御堂はその景観の美しさから、今まで多くの書籍や作品に登場してきました。そのひとつで代表的な物が、歌川広重の「堅田の落雁」です。近江八景に選ばれ、現在でも有名な作品です。
近江八景「堅田の落雁」
近江八景は琵琶湖沿岸の八か所の名勝を描いたもの。
・石山秋月(いしやまのしゅうげつ)
・瀬田夕照(せたのせきしょう)
・粟津晴嵐(あわづのせいらん)
・矢橋帰帆(やばせのきはん)
・三井晩鐘(みいのばんしょう)
・唐崎夜雨(からさきのやう)
・堅田落雁(かたたのらくがん)
・比良暮雪(ひらのぼせつ)
これらの作品が「近江八景」です。
江戸時代には錦絵が広まり、またそれだけでなく数多くの文学作品や音楽作品(能など)の題材としても登場しているのだとか。
「近江八景」が選定されたのは江戸時代初期頃と今では考えられています。その時代から現在まで変わらない景観を貫いていると思うと、訪れてみる価値がありそうですね。
この絵をみてわかる通り、しっかりと浮御堂が描かれていることがわかります。その近くにある松も現在に残っていますね。
句碑がたくさん
江戸時代初期以前から有名であった浮御堂なので、多くの歌の題材にもなっています。阿波野青畝の句碑
昭和を代表する俳人の一人、阿波野青畝の句碑は山門入ってすぐのところにあります。「五月雨の 雨垂ばかり 浮御堂」
これは五月雨に濡れた浮御堂の美しさを詠んだ青畝の向碑。昭和に入ってもその美しさは陰りません。
高浜虚子の句碑
「湖も この辺りにして 鳥渡る」
こちらは湖面にある珍しいかたちの句碑。琵琶湖は湖とはいえ満ち引きがあるため、満潮時には句碑は半分以上水没するといいます。
松尾芭蕉の句碑
「鎖あけて 月さし入れよ 浮御堂」
こちらは目立つところにある松尾芭蕉の句碑です。澄みわたる十六夜の月が湖上に銀波を散らして素晴らしい光景である。鍵がかかっている浮御堂の扉を開けて、あの月光を堂内にさし入れたらさらに良いであろうというような意味があるそう。
浮御堂へ行ってみた
満月寺には駐車場があるので車で来られる方でも安心です。満月寺の敷地内に入るときに入場料を支払います。そして中へ入れば、まっすぐのところに浮御堂が。浮御堂の入り口でスリッパに履き替えるかたちになります。
浮御堂にはたくさんの阿弥陀如来像がお祀りされていて、神聖な雰囲気もありますね。周りをぐるりと周れるかたちになるので、晴れた日には湖面がキラキラしていて気持ち良い気分の中写真もとることができます。浮御堂を入れて写真を撮りたい方は、松尾芭蕉の句碑の近くから浮御堂を撮るのが良いかもしれませんね。
浮御堂へ行ってみよう
今なお観光スポットとして人気の浮御堂。昔からその美しい景観は変わっていないのかもしれません。浮御堂の近くには、湖族の郷資料館という堅田の歴史を学べる資料館や、一休さんにゆかりのある祥瑞寺、松尾芭蕉が滞在した時に詠んだ句が残る堅田十六夜の弁の碑などが残っていて、観光スポットがたくさんあるんです。
ボランティアガイドさんもいらっしゃったので、せっかくなら色んな歴史のお話を聞きながら巡るのも良いかもしれませんね。
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