『源氏物語』光源氏の愛した女性は何人? 愛妻・紫の上に2人の正妻、さらには義母、人妻、40歳差熟女まで

京都市勧業館「みやこめっせ」前にある源氏物語石像。光源氏と紫の上がモチーフ。
京都市勧業館「みやこめっせ」前にある源氏物語石像。光源氏と紫の上がモチーフ。
 『源氏物語』の主人公・光源氏の恋愛対象は少女から超熟女まで幅広く、帝の中宮である義母や政敵の姫、人妻とさまざまな女性が登場します。希代のプレイボーイのお相手、いわゆる女君(おんなぎみ)はいったい何人いるのでしょうか。

愛妻「紫の上」と2人の正妻

 『源氏物語』のヒロインは紫の上。少女のときに誘拐同然に引き取った光源氏が理想の女性として育て上げた事実上の正妻です。しかし、形式的な正妻は別の2人、葵の上と女三の宮です。

「紫の上」少女誘拐からヒロインへ

 出会いは光源氏18歳、紫の上10歳。幼い期間を特に「若紫」と呼びます。父は兵部卿宮で、母は既になく、祖母・北山の尼君に育てられました。

 病気療養中の光源氏が偶然、若紫の姿を目にします。大事にしていたスズメの子を遊び相手の犬君(いぬき)が逃がし、「カラスに見つかったらかわいそう」と心配する姿が健気で、一目ぼれ。光源氏は養育を尼君に申し出ます。尼君死後、兵部卿宮が引き取りに来ると聞き、前夜に連れ去ります。ロリコン気質や変態性、犯罪性が指摘されますが、光源氏にも言い分はあります。

(1)亡くなった北山の尼君に託された。
(2)継母の子が多い父の家ではいじめの可能性があった。
(3)若紫の侍女たちは了承済み。

 一目ぼれも少女趣味ではなく、光源氏が慕う義母・藤壺の面影を見たから。若紫は藤壺の姪です。若紫は次第に光源氏に懐き、出会いから4年、新枕を交わします。いわゆる夫婦の契り。父や兄のように慕ってきた若紫はショックを受け、しばらくふさぎ込むほどでしたが、14歳にして光源氏の妻となり、ここから「紫の上」と呼ぶのが通例です。

 紫の上は知性、芸の才能を磨かれ、ほかの女性と光源氏の関係に嫉妬する姿もかわいく、美しく成長します。ライバル・明石の君が産んだ明石の姫君の養母となり、光源氏の後妻・女三の宮が登場してもその立場が揺らぐことはありません。

 43歳で他界。はかなくも美しい最期は物語のクライマックスであり、光源氏の寂しさが強調されます。光源氏は紫の上との手紙を燃やし、終活しながら物語から静かに退場。紫の上の死で光源氏の物語はピリオドを打ち、『源氏物語』は次の世代の物語へと進展します。

「葵の上」よそよそしい正妻

 光源氏は12歳で左大臣家の姫・葵の上と結婚。光源氏より4歳上で、光源氏の親友で政治的ライバルになる頭の中将の妹です。夫婦仲はぎこちなく、葵の上はプライドの高さが邪魔をして取り澄ました態度を取ります。

 それでも26歳で懐妊。気晴らしに出かけた賀茂祭(葵祭)の見物で光源氏の恋人・六条御息所と牛車の場所取り「車争い」を演じました。この後、葵の上は嫡男・夕霧を出産しますが、直後に死去。六条御息所の生き霊に祟られたのです。

「女三の宮」幼い後妻の不倫

 女三の宮は光源氏40歳のときに迎えられた後妻で、25歳ほど年下です。光源氏の兄・朱雀院(上皇)の第3皇女で、出家を控えた朱雀院が娘の将来を案じ、悩んだ挙げ句、光源氏に託しました。光源氏は押し付けられた妻の幼さにもの足りなさを感じます。

 女三の宮は22、23歳のとき、薫を出産しますが、実は柏木(頭の中将の長男)と密通してできた子で、すぐに光源氏にばれてしまいます。柏木は苦悩の末、病死。自身は若くして出家。おっとりした皇女でしたが、大きなトラブルを呼び込み、周囲も巻き込みました。

恋人から側室へ 豪邸・六条院と別邸・二条東院

光源氏は母から引き継いだ邸宅・二条院を増築して二条東院とし、さらに35歳のころ、約6万3000平方メートルの敷地を持つ豪邸・六条院を造営。その2カ所の邸宅にかつての恋人を含め何人かの女性たちを住まわせました。

「明石の君」みごとに玉の輿

 光源氏は26歳のとき、京を退去します。須磨から明石に移り、出会ったのが明石の君(明石の上、明石の御方)。父・明石入道は元地方官僚で、娘を玉の輿に乗せる強い願望を持ち、須磨に船を出して光源氏を迎えました。明石の君18歳のとき、27歳の光源氏と結ばれます。京に残る紫の上とほぼ同世代で、しかも懐妊。紫の上の強力ライバルになります。

 政界復帰した光源氏に呼ばれて上京。娘・明石の姫君(明石中宮)は紫の上が養育することになり、3歳の娘の将来のため泣く泣く手放しました。

 明石の君は六条院「冬の御殿」で暮らし、同じ敷地ながら「春の御殿」に住む娘とは離ればなれ。明石の姫君が皇太子入内のとき、紫の上のはからいで付き添い役を引き継ぎ、美しく成長した娘と再会します。さらに紫の上と対面し、互いを認め合いました。

「空蟬」つれない人妻

 光源氏が方違え(縁起の悪い方角を避ける迷信)で紀伊守の家に泊まった際、出会ったのが空蟬(うつせみ)です。伊予介(紀伊守の父)の後妻で、光源氏より8歳上。若いころの光源氏の恋の相手は年上が多いのです。強引に関係を持った光源氏でしたが、その後はきっぱり断られ、なかなか再会できません。

 光源氏が再度、部屋に侵入した際、空蟬は気配を察して脱出。残された小袿はまさにセミの抜け殻でした。空蟬も実は光源氏に思いを寄せながら、人妻であることや身分差を気にしていたのです。そして夫の任地に同行し、京を離れました。

 12年後に偶然再会。その後、空蟬は夫と死別し出家。二条東院に迎えられます。一夜限りの相手ですが、光源氏の庇護のもと余生を過ごしました。

「末摘花」容姿いじりの対象

 末摘花は亡き父・常陸宮の邸宅を相続し、身分は高いのですが、人付き合いは下手で寂しい生活を送っていました。光源氏が18歳のとき、頭の中将と競って恋文を送り、結局、親しい女官の手引きで末摘花のもとに通うようになります。

 ある雪の朝、光源氏が初めて彼女の顔を見て驚きます。座高が高く、鼻は大きくて先が赤いのです。夜だけの逢瀬で互いの顔を見ないままだったのです。

 帰宅した光源氏は末摘花の似顔絵を描いて若紫と笑い転げます。不美人さが強調されて笑いものにされますが、半面、「いじられキャラ」として強い印象を残します。

 その後、ひどく困窮しますが、失脚から復活した光源氏との再会後は二条東院で生活。立場は光源氏の側室です。年賀の挨拶や光源氏の養女・玉鬘(たまかずら)への贈り物などで少しずれた独自の感性をみせます。

 なお、末摘花とはベニバナのこと。「赤い花」と「赤い鼻」を掛けた呼称です。

「花散里」良妻賢母

 光源氏25歳、政治的危機を迎えた第11帖「花散里」で登場する女性で、以前からの恋人とされ、出会いの場面はあえて省略されています。

 桐壺帝の妃の1人・麗景殿女御の妹。光源氏が心安らぐ女性として大切にし、その後、光源氏の嫡男・夕霧や養女・玉鬘の母親代わりとなります。夕霧が「父と関係のあった女性にしては美人ではない」と意外に思う場面がありますが、紫の上に次ぐ実質的な第二妻であり、光源氏から大きな信頼を寄せられた良妻賢母でした。

スリリングで危険な恋

光源氏は危険な恋愛にも果敢に挑みます。帝の妃であり、義母の藤壺との恋は結果も含め、その最たるものです。

「藤壺」義母との悲恋

 光源氏が最初に憧れた女性が父・桐壺帝の妃の1人、藤壺。先帝の第4皇女という高い身分の女性です。光源氏の母・桐壺の更衣が死去した後、その面影を忘れられない桐壺帝がよく似た女性として迎え入れました。
 その女性を愛する光源氏のマザコン性もよく出ています。藤壺は皇子(後の冷泉帝)を産みますが、実は光源氏の子。義母といっても年齢差は5歳。光源氏が侍女の手引きで強引に関係を持ち、藤壺が懐妊したのです。

 何も知らない桐壺帝が皇子を抱き、「生まれたころの光源氏に似ている」と言い、光源氏も藤壺も内心穏やかではありません。

 藤壺は桐壺帝死後、出家。光源氏のしつこい求愛から逃れる一方で、皇太子(冷泉帝)の将来を思えば光源氏だけが頼り。この点では2人の絆は強かったようです。藤壺は37歳の若さで他界しました。

「夕顔」実は親友の妻

 第4帖「夕顔」だけの登場ですが、『源氏物語』を代表する女性の1人です。

 光源氏が乳母を見舞ったとき、隣家の花に興味を持ち、和歌を交換。恋が始まります。光源氏17歳、夕顔19歳。粗末な家に住む女性との恋は身分違いなので光源氏は正体を明かしませんが、夕顔はさわやかで明るく、甘え上手。ほかの女性にはない積極さがあり、ときに光源氏をからかいます。

 光源氏は逢瀬の場所として空き家「なにがしの院」に連れ出しますが、夕顔は物の怪に取り憑かれて急死。光源氏は事件隠蔽のため夕顔の侍女・右近を自分の侍女にします。一方、夕顔邸では夕顔の行方不明の理由が分からぬまま。その後、夕顔の幼い娘を連れて乳母が夫の任地、九州へ向かいます。夕顔は実は頭の中将の妾で、娘も産みましたが、正妻の嫉妬を恐れ、下町に隠れていたのです。

 夕顔の遺児・玉鬘は18年後、右近と再会。光源氏の養女となります。

「六条御息所」恋敵を殺める生き霊

 六条御息所はもともと皇太子妃で、20歳で皇太子と死別します。光源氏より7歳上で、光源氏に熱心にくどき落とされました。

 24歳のとき、光源氏の足が遠のき、夕顔に嫉妬する状況で作中に登場します。夕顔との密会場面、生き霊となって光源氏の枕元に現れ、ついに夕顔は死んでしまいます。

 さらに賀茂祭見物の場所取りの牛車を破壊された「車争い」後、難産に苦しむ光源氏の正妻・葵の上にも取り憑きました。着物に祈禱で使うケシの匂いがしみついていて、六条御息所も自覚します。光源氏との別れを惜しみつつ、斎宮となる娘について伊勢へ。京帰還後は病になり、娘の将来を光源氏に託して36歳で死去しました。

 六条御息所の娘は冷泉帝に入内した秋好中宮(斎宮女御、梅壺女御)です。

「朧月夜」まるでロミオとジュリエット

 朧月夜は光源氏の政敵・右大臣の六女で、光源氏の母・桐壺の更衣をいじめ抜いた弘徽殿大后(こきでんのおおきさき)の妹です。偶然の出会いから光源氏との恋に落ちます。尚侍(ないしのかみ、天皇の女性秘書)となって朱雀帝の寵愛を受けますが、実家帰省中の密会が発覚。右大臣に男帯など証拠の品を抑えられ、隠れていた光源氏まで見つかってしまう失態。光源氏は失脚します。

 その後、朱雀帝(譲位して朱雀院)との仲は悪くなく、若いころの光源氏との情事を後悔しつつ、一時的に関係が復活することも……。そして、朱雀院の後を追うように出家して光源氏との関係を断ち切りました。

ワンナイトラブ?微妙な関係

 光源氏にも一夜限りというか浮気っぽい恋愛もあり、その後、深追いせず、あっさりした関係の女性もいます。

「軒端荻」一夜の人違い

 ワンナイトラブが確かなのは軒端荻(のきばのおぎ)です。空蟬の継娘で、一緒に囲碁をしている場面を光源氏が垣間見ます。派手な顔立ちでグラマー。しかし、夏なのでだらしなく着崩して肌も丸見え。「品がない」と光源氏の評価は低めでした。

 空蟬と同じ部屋で寝ていたとき、光源氏の気配に気づいた空蟬がさっと部屋から抜け出し、光源氏は間違って軒端荻に迫ります。火を灯さず、月の光が届かない室内は本当に真っ暗なのです。気付いた光源氏は「方違えのたびにこの家に来たのは、あなたに会いたいためです」などと白々しく言い抜けました。

 その後、別の男に嫁ぎますが、光源氏との文通は続きました。

「源典侍」40歳差の超熟女

 源典侍(げんのなしのすけ)は桐壺帝に仕える女官で身分も高く、教養、実務に優れていますが、何せ好色。18歳の光源氏と関係を持ったときは57~58歳。しかも頭の中将とも関係を持ち、光源氏の密会場面に頭の中将が踏み込む場面は何とも滑稽です。刀を振りかざす男に源典侍は大慌てしますが、光源氏は頭の中将と見破って軽口を言い合い、お互いの服を破ってふざけ合います。

 典侍は天皇の女性秘書集団、内侍司(ないしのつかさ)の次官。秘書であり愛人という場合もあります。

「筑紫の五節」元カノとして登場

 光源氏の過去の恋人として登場するのが筑紫の五節。作中、書かれていない部分で恋人関係でした。光源氏が失脚し、京から須磨に移ったとき、船で通りかかり、手紙を交わしますが、再会はなし。ほかの場面でも光源氏の記憶と文通などで登場する程度です。それでも縁談を勧める父の言葉に耳を貸さず、光源氏への思いの強さがうかがわれます。

「中将の君」ら3人の召人

 葵の上に仕えながら、光源氏との男女関係がほのめかされている女房(侍女)がいます。中将の君と中納言の君、中務の3人は光源氏と主従関係にあり、男女関係でもある召人(めしうど)です。なお、いずれも女房としてはよくある呼称で、作中でも全く別人の呼称としても用いられています。

「朝顔」関係不明も噂に

 ワンナイトラブとは真逆のプラトニックな関係の女性もいます。

 朝顔は桐壺帝の弟・式部卿宮の娘。光源氏は若いころから求愛し、朝顔も光源氏を嫌ってはいませんが、その恋愛遍歴を知っているだけに踏み込めずにいました。

 光源氏32歳のころ、叔母・女五の宮の見舞いを口実に桃園邸(式部卿宮の旧邸)を訪れ、朝顔にも会い、その後も恋文を送ります。世間にも知られ、紫の上は強力ライバル出現にやきもき。光源氏は紫の上に「朝顔のことは本気ではない」と弁解します。文通以上は進展せず、恋愛巧者の光源氏が押しきれなかった女性です。

おわりに

 光源氏と男女関係にあった女君は、藤壺、葵の上、空蟬、軒端荻、六条御息所、夕顔、紫の上、末摘花、朧月夜、源典侍、花散里、明石の君、女三の宮の13人。朝顔は噂だけとしても、筑紫の五節はかつて関係があった1人。さらに中将の君、中納言の君、中務の3人の侍女を含めると計17人となります。

 さすがのプレイボーイぶりですが、ただの遊び人ではありません。愛した女性を一方的に捨てる場面は少なく、恋人関係解消後も何らかの関係を保ち、世話をみる優しさも光源氏の特徴です。


【主な参考文献】
  • 今泉忠義『新装版源氏物語 全現代語訳』(講談社学術文庫)
  • 瀬戸内寂聴『瀬戸内寂聴の源氏物語』(講談社文庫)
  • 林望『源氏物語の楽しみかた』(祥伝社新書)
  • 秋山虔、室伏信助編『源氏物語必携事典』(角川書店)

※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。

  この記事を書いた人
水野 拓昌 さん
1965年生まれ。新聞社勤務を経て、ライターとして活動。「藤原秀郷 小説・平将門を討った最初の武士」(小学館スクウェア)、「小山殿の三兄弟 源平合戦、鎌倉政争を生き抜いた坂東武士」(ブイツーソリューション)などを出版。「栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会」のサイト「坂東武士図鑑」でコラムを連載 ...

コメント欄

  • この記事に関するご感想、ご意見、ウンチク等をお寄せください。